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(人魚姫パロ)



「俺を人間にしてほしい」

頼みがあるんだ、と言って突如現れた青年に、魔術師はちらりと視線を投げて寄越した。
だがそれも一瞬で、まるで自分には関係ないことだとでも言うように手元の書物へと視線をそらす。それに、焦れたように青年は魔術師の元へと近寄った。

「なぁ、頼む。こんなこと叶えられるのはあんたしかいないんだ」

青年は眉根を寄せると顔を伏せた。
魔術師はもう一度彼を一瞥すると、暫しその憂いげな表情を見つめた。

「そうだな。…何故だ。理由を聞こう」

考えるよう言葉を選び、口を開いた魔術師に青年は顔を上げる。だがそう聞くと彼は口を開いて―そしてまた閉じてしまった。
言葉に詰まったような表情をしていて、魔術師はそれを促すこともなく遮ることもなくじっと見つめた。


「―…好きに、なったんだ」
「…人間をか?」

戸惑いがちに頷いた彼を見て魔術師は席を立つ。それに青年は焦ったような表情を浮かべた。

これ以上お前の話を聞く気はない、と判断されたとでも思ったのだろう。確かに人魚が人間に恋をするのは禁忌だった。


「バジル屋、」
「―…条件がある」

バジル屋、と呼ばれた魔術師は青年に背を向けたままぼそりと呟いた。その言葉に、一縷の希望を見つけた彼は途端に目を輝かせる。

「人間になれるならなんでもする」

彼は高揚したようにそう言うと、何やら背を向けて作業をしている魔術師を見つめた。ちらりと青年の方を振り返れば期待に満ちた瞳と視線がぶつかる。

―あのトラファルガー・ローともあろう者が、恋をするとここまで変わるのか。

こっそりと城を抜け出してきては人間になりたいと禁忌を口にする彼を見て魔術師は心中で小さく呟いた。



「…いいだろう。

―まず一つ目。
もしもその相手がお前以外の誰かと結ばれたならお前は海の沫となり、消えてしまう。平たく言えば、死、だな。



―二つ目。お前の尾を人間の足にしてやる。
だがその代わりに、その足で歩く度に激痛が走るぞ。まるでナイフを踏むようにな。
―……だがもし、無事に二人が結ばれたなら…その時は足の痛みはなくなり、お前は完全な人間になれる。…二度と人魚には戻れないがな。



―そして最後だ。お前を人間にする代わりに、お前からそれに見合った対価を貰う」


魔術師はそこまで一息に言うと、青年をじっと見つめた。

「…対価?」
「そう。…お前の、声だ」


―…声、と青年はそっと呟く。
自分の喉元に手をあてると、困ったように眉を下げた。

「だけど声を失くしたら話せなくなる。…どう伝えればいいんだ?」
「問題ない。人間は目と目で会話する、とでも言うくらいだからな。お前には表情がある。身振り手振りで伝えることも出来る。それはお前次第だ。…どうする?」

魔術師はそう言って、青年を見据え、彼は少し考えた後、その視線を受け止めた。

「…それで人間になれるなら」
「勿論だ」

魔術師は無表情にそう言って、彼に小瓶を渡す。
青年はそれをしっかり手に持つと期待に満ちた眼差しで手中の小瓶を見つめた。

「それは陸に上がってから飲むほうが賢いな。ここで飲んでもいいが、溺れ死ぬぞ」

そう言ってもう用はないと言いたげに再度書物を読み始めた魔術師に青年は小さく微笑む。
有難う、と小さく呟くと―上にある人間界を目指していった。



「―…愚かだな」

容易く引き受けてしまった自分も、人間に恋をしたという彼も。

きっと、これからは酷く忙しくなるだろう。何せ彼は事実上の『行方不明』だ。


人魚の王子ともあろうものが、人間に恋をした、だなんて―。








「……っ、は」

大分急いできてしまったせいか、少し息が切れる。
青年―ローは海面から顔を出すとそっと周りの様子を窺った。幸運なことに誰もいない。

(これを飲めば、俺は…。)

ローはその小瓶を見つめると、蓋を開ける。万一のことも考えて、陸に上がってから飲むよりもここで飲んだ方が良いだろう。誰かに見られたら堪らない。

暫くどろりとした中の液体を見つめていたが、ローは小瓶に口付けると中身を一気に飲み干した。

(……っ!!?)

――手から滑り落ちた小瓶が、海に飲まれていく。
ローは目を見開くと、喉元を押さえた。それは恐ろしく苦く、喉には焼けるような、刺すような痛みが走っていった。

―…途端に体が熱くなり、味わったこともない痺れに眉根を寄せる。


急に体が重たく感じ、気づけばゴボッ、と口から洩れた空気が綺麗な沫になって海面へと上っていくところだった。
次第に状況を把握した頭から、体から、みるみるうちに血の気が引いていく。


(なんだこれ…泳げない!)


それもそのはず、ローの尾はすっかり人間の足になっていて、彼は人間の泳ぎ方など到底知らない。ましてやもう、人魚ではないのだ。

ザバッ、と海面から急いで顔を出すが、地に足が着かない。
―このままでは溺れてしまう。
今になって魔術師の言う通りにしておけばよかったと思ったが、今更後悔してももう遅い。



「……?っ!おい、大丈夫か!?」

少し遠くで誰かの声が聞こえる。
薄れいく意識の中で、ローは人間になってまで逢いたかった『彼』に逢えたような気がした。









ぱちり、と目を開けると、目の前に広がったのは全く身に覚えのない天井だった。

「…起きたか?」

ギシリ、とベッドが揺れて顔を覗きこまれる。
―それに、どくんとローの心臓は大きく跳ね上がった。


彼だ。…彼がいる。
禁忌を犯してまで逢いたかった、彼が。


ローは口を開いた。とにかく何でもいいからこの気持ちを伝えたかった。
好きだと言いたい。あの嵐の日にあんたを助けたのは俺だと伝えたい。





―…声が、出ない。





「…?どうかしたのか?」

彼は何か言いたそうなローに首を傾げると続きを促した。だがローが再び口を開くことなかった。

「…よく分かんねェけど…俺はユースタス・キッドっていうんだ。…お前の名は?」

彼が―キッドがそう聞くと、ローは顔を伏せた。
その悲しげな表情に、キッドは何故か胸を締め付けられるような、奇妙な感覚を感じ取った。


トントン、とローが自分の喉元を叩く。口を開いて―そして首を横に振った。

「もしかして話せないのか?」

キッドがそう聞くと、ローはこくこくと頷いた。
だがここで諦めては何も始まらない―それはロー自身も重々承知だった。

参ったな…、と言って視線をそらしたキッドの袖口を掴む。何だ?と言ってこちらを見た彼に、分かるように、伝わるように唇を動かした。

「…な、ま、え…?…ろ、お…?
…お前、ローっていうのか?」

キッドがそう聞くと、ローは嬉しそうに頷いた。
その笑顔に、キッドもつられて笑みを浮かべる。

「…なぁ、お前、字は書けるか?」

言葉で伝えられないなら文字を書いて伝えればいい、キッドはそう思ったのだろう。
―勿論、ローが教養を持ち合わせていたらの話として。

何も反応しないローに、やっぱり書けないのか、と思ったが、予想に反してローは手を差し出してきた。
試しに紙とペンを渡すと、ローは『書ける』と渡された紙に簡潔に書いてのけた。

幸い、ローは好奇心が強く、また博識だった。彼は人間の世界に酷く興味を持っていたのだ。だから人間が書く文字は、以前嗜んだことがあった。


彼はまたさらさらと紙にペンを走らせる。

『助けてくれてありがとう』

そこにはそう書いてあった。キッドはそれを見ると、礼を言われるほどのことはしてねェよ、と笑った。

「だけど何でお前溺れてたんだ?」

不思議そうにキッドがそう尋ねると、途端にローの筆が止まる。
まさか、人魚から人間になったら泳げなくなって溺れました、などと言える訳がない。だがそうかといって、言いたくない、教えたくない、というのはどこか変だった。

「……あー、言いにくいなら無理して言わなくていいからな?」

急に俯いてしまったローにキッドは優しく頭を撫でる。
男相手にするのはどうかと思うが、不思議とそのような感情は湧いてこなかった。

「お前、どこに住んでるんだ?そこまで送ってやるよ」

その問いに、ローは緩く首を振る。

あの小瓶の中身を飲んだ時点で、人間になってしまった時点で、彼に帰るところなどなかった。
ローは自分の持つすべてのもの―元来、地位や名誉には興味なかったが―を投げ捨ててまでもキッドに逢いに来たのだ。


―人間になってまでも、彼に。



今度は隠す必要がない。
ローは正直に『帰る場所はない』と紙の上にペンを滑らせた。


それを見たキッドは暫く考えるような素振りをしてみせた。そしてローの頭にぽん、と手を置くと顔を上げたローに、ふっと微笑んだ。

「ならここで暮らせばいい。不自由はさせないぜ?」

そう言ってわしゃわしゃと頭を撫でる。
一見乱暴そうに見えてその優しい手つきに、また、大好きな彼と一緒にいられるという事実に、ローは嬉しそうに小さく笑った。




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