キッド誕2014 | ナノ

ズキズキと頭が痛んだ。脳みそを取り出して蹴っ飛ばされたかのような痛みに襲われ、それが次いで全身を襲う。低く呻くと頭の中にも響いて痛むから困った。暫くじっとしていれば、痛みがなくなったわけではないがだんだんとましに思えてきて、引き攣る瞼に力を入れると目を開く。真っ白な天井は自室の天井と同じ色だったが雰囲気が違った。どうやらここは俺の部屋ではないようだ。そう呑気に判断するより先にガタンと大きな音が室内に響いた。

「ユースタス屋…?」

その声は何かに怯えるように震えていて、覚束なくて、この部屋が静かでなければきっと聞き取れなかったであろうほど小さなものだった。声のする方を振り向けば、ベッド横に立ち尽くしているトラファルガーと目が合う。大きく見開かれた瞳が泣きそうに揺れていて、ここがどこなのか、どういう状況なのか、そんなことよりもトラファルガーがどうしてそんな顔をしているのかの方が不思議と気になった。
どうしたんだよ、そう言おうとして喉がひゅっと鳴った。掠れた息がヒューヒューと喉を通るだけでうまく声にならない。トラファルガーはただ丸く開いた瞳で俺を見つめているだけで固まったようにじっとしていた。
次第に状況に追いついてきた脳がクリアになる。さっきまで俺はこいつとあの海にいて、それで、何で今はここにいるんだ。ここはどこだ、何で俺はベッドで寝てるんだ、俺の体はどうなってるんだ。脳みそが回転し出して気がつくのは記憶の齟齬。いろいろ聞きたいことはあったがやっぱりなかなか上手く言葉に出来なくて、俺が言えたのは「トラ、ファ、ルガー…」と弱った声で名前を紡ぐ、ただそれだけだった。

「っ…医者呼んでくる」

たどたどしく放った言葉に再び泣きそうに顔を歪めたトラファルガーは、そう言うとすぐにも立ち去ろうとした。しかし驚いた顔をしたまま動かなくなったもんだからどうしたのかと思えば何てことはない、俺が無意識のうちその腕を掴んでいたのだ。向けられた背中を見て反射的に掴んでしまった。自分でも先程目覚めたとは思えないほどの力で握っている自覚がある。ぎゅっとその細い手首を掴んでいればトラファルガーの手がその上から優しく触れた。「すぐ戻ってくるから、」触れた指先は震えていたが、そう囁いた口元には宥めるような笑みが刻まれていて、俺は促されるままにゆっくりと腕を離した。


そのあとはトラファルガーの呼んだ医師が来て、暫くしてから両親もやってきて俄かに俺のいる空間は騒がしくなった。
医師から聞いた話によるとどうやら俺はずっと昏睡状態にあったらしい。「一月十日のあの事故から」そう言われて目を見開いた。慌ててトラファルガーのことを聞けば、医師は少し眉を顰めて「先程きみが見た通り、何の怪我もないが」と言う。おかしい。俺の記憶だとトラファルガーは一月十日の事故で俺を庇ってトラックに轢かれていて、それで俺はその日から終わらない一月十日をずっと繰り返していたはずだ。目覚めた今この瞬間、時は一月十日を繰り返すどころかそれからさらに一ヶ月ばかり進んでいて、俺は「轢かれそうになったトラファルガーを庇ってトラックに撥ねられ」それから今日までずっと昏睡状態だったということになっている。それなら今までの出来事は昏睡中の俺が見た夢だったのか。そのわりにはひどくリアルだったが、これで長い悪夢が終わるならそれに越したことはない。そう思ってしまえば楽なのに何故だかそうは思えなかった。あの海でトラファルガーの言ったことをはっきりと憶えていたし、それは俺の胸にトゲのように刺さってなかなか抜けなかった。自分の無意識下で見た妄想であるかもしれないのに、あのことをトラファルガーに問うてみたくて仕方がなかった。ああ言ったあいつはこの現実でも同じことを言うのだろうか。遥か昔の約束をずっと覚えていたのだろうか。どうしてもそれが知りたくて、それなのにその日にまたトラファルガーが俺の元へ訪れることはなかった。


***


あれから一週間たった俺の病室に飾られてる花は色鮮やかだった初日に比べて元気をなくしているように思える。母親曰く、これはトラファルガーの見舞いの品らしい。毎日毎日、学校帰りにここを訪れて一週間前に花を変えていく。あの時もちょうど、新しい花を飾り終えたばかりだったらしい。花瓶にいけられた紫色のクロッカスを見つめながら考えることはとりとめがなかったが、ただひたすらトラファルガーが再びここに来てくれるのを待った。とはいえ目覚めたその日から大事をとって一週間の面会謝絶を言い渡され、(体調云々もそうだが恐らく目覚めたばかりの俺の発言が悪かったのだろう、精神的な面も以ってそう判断されたんだと思う。)今日はいよいよそれが解禁される八日目だ。しかし漸く許可されたとはいえ面会時間は短い。時計を見ればその時間まであと三十分もなかった。今日は平日で学校もある。授業が終わってここまで来るのにも時間がかかるし難しいのかもしれない。今日はもう来てくれないだろうと諦めかけたその時、病室の扉が勢いよく開いた。手に小さな花束を抱えたトラファルガーが、荒く息をしながらそこに立っていた。

「間に合わないかと思った…」

そう言って息を切らせたトラファルガーは病室に入ると花瓶の横にそっと花を置く。その姿を見て何か言葉をかけようとしたが声にならなかった。ふわりと耳元を掠めるトラファルガーの髪。背に回る温かい腕。自分が抱きつかれているのだと気付くのに時間がかかった。

「ト、ラファルガー?」

驚いて上ずってしまった声がなんとも間抜けだ。だっせェなんて思いながらも触れる体にそれどころじゃなくて、早鐘のように打つ心臓が痛い。この音、絶対トラファルガーにも聞こえてる。そう思うとあまりにも鼓動が早すぎてなんだか恥ずかしくなった。このまま死ぬんじゃないか、俺。なんて鼓動の早さに思いながらも、それでも必死に冷静を装って、どうしたんだよ、そう声を掛けるとあっさりと離れていってしまった体を残念に思った。

「よかった……」

トラファルガーはそう言うと、確かめるように頬に触れ、首筋に触れ、胸に手を当てた。離れてしまった体はいとも簡単に手の内に戻り、肩に顔を埋められて「生きててよかった」そう呟かれて全身が燃えるように熱くなった。

「ごめん、ユースタス屋…っ、俺のせい、で、ごめ…」
「謝るなよ、お前が無事で俺は嬉しい」

ぽつぽつと呟かれる懺悔には底知れぬ後悔と安堵が詰まっていて、聞きたくなかったから遮った。俯いた顔をあげさせると涙で滲む目尻をなぞる。顔色は悪いし目の下の隈はひどく濃くてまるで病人の俺よりも病人らしい。そうだ、ここでは俺がトラファルガーを庇って、こいつはずっと俺が目覚めるのを待っていたんだ。トラファルガーの痛ましい姿に漸くこれが現実なんだと思い知った。

「俺のことはいいんだよ、お前は無事なんだから。それより隈、ひどくなってねェ?ちゃんと寝て、」
「よくねぇよ!!…全然、よくねぇよ、っ」

なんでもないように笑って目の下の隈をなぞる。だけど癇癪を起こしたような声に驚いて笑うのをやめた。くしゃり、泣きそうな顔をしたトラファルガーが俺の手を掴む。そんな顔をさせたいわけではないのに。

「よくねぇよ…っ!おれが、どんだけ心配したと…おれのせいで、ユースタス屋が死んだらどうしようって…!!」

ずっとずっと怖かった。ユースタス屋がいなくなるのが怖かった。
ぽろぽろと涙を零すトラファルガーの、その言葉が痛いほど胸に突き刺さる。俺の感じたトラファルガーの死は毎回リセットされるもので、同じ日を繰り返す限りそこには同じトラファルガーがいて、尾を引く絶望の後には不安や悲しみよりも諦めに近いものがあった。だけどトラファルガーにとっての俺の場合は違う、俺の死はリセットされないし、死んだらそれは永遠にそのままだ。だけど管に繋がれている限り俺は生きていて、しかしいつ目を開けるかは分からない。死ぬかもしれない、死なないかもしれない、でももう二度と目を覚まさないかもしれない。「俺のせいで」その言葉を何度も何度も自分の胸に突き立てて、この一ヶ月ばかりがトラファルガーをどれほど苦しめたかはその姿を見ればわかる。俺の想像の中で何度も死んだトラファルガーよりもこいつは痩せていて、どう見ても病人はこっちの方に思えた。
胸元に縋る手首が一段とか細く見えて目を細める。その頬を両手で包むと目を合わせた。

「大丈夫、俺は生きてる。お前を残して死んだりなんかしねェよ」

そう言って笑うと、ぼろぼろ泣いていたトラファルガーは何か言いかけたが、瞬きを二、三度して涙を拭うと漸く笑った。そのぐしゃぐしゃの泣き笑い顔がひどく「俺もこいつもここでちゃんと生きてるんだ」という気持ちにさせて、どうにもこうにもそれが愛しく思えて堪らなかった。


***

それから暫くして無事に退院した俺は、退院祝いと称して何でも好きなことに付き合ってやると上から目線のトラファルガーにお許しをもらい、再びあの海を訪れることにした。

「ユースタス屋って海好きだったっけ?」
「んー、まあ嫌いじゃねェな」

休日とはいえやはり冬の海に人はおらず、あの時と同じ風景が目前に広がる。違うのは隣でトラファルガーが寒そうに突っ立っているということ。入らないのか?と冗談半分で聞けば嫌そうな顔をして「お前が入れば」と言われた。

「なんでここに来たかったんだ?」
「思い出の場所だから?」

そう言うとトラファルガーは不思議そうな顔をしてまじまじ俺を見つめてくるもんだから面白くて「お前との思い出の場所な」と付け加えてやる。全く覚えがないと言いたげな顔に笑った。

「俺とお前の?何の思い出?」
「一緒に生きようって誓いを再確認した思い出」
「はあ?」

そもそもここに二人で来たの初めてだろ、と告げるトラファルガーにそう言うとぽかんとした間抜け面。

「なにそれ、プロポーズみてー」

そしてくすくす笑い出したトラファルガーに肩を竦める。そんなもんだろ、と言うと笑っていたトラファルガーがぴしりと固まって、その代わりに熱でも出たかのように急激に顔が赤くなっていた。

「…お前は覚えてないんだな」
「なにを?」
「いや、いい、今度は俺から言うから忘れんなよ」

ばっかじゃねぇの、恥ずかしいやつ、そんな類のことをトラファルガーは言っていたように思う。そんなこいつの照れ隠しを軽く否しながら、やっぱり覚えてないのか、と思う。それはもちろん、俺の意識がない間に行われた幻覚で、現実のこいつとはこれっぽっちも関係ないのかもしれないけれど、俺はこの海での出来事がどうしても妄想だと切り離せなかった。どっちにしろ、妄想なら妄想でもいい、こいつが覚えてないにしてもそれでいい、結局俺の答えが変わることはない。

「俺と一緒に生きて欲しい、時間の許す限りずっと」

その瞳を見つめ、真剣な眼差しでそう告げればトラファルガーのきょとんとした顔が赤くなって、慌てたように冗談を言って、それでも俺の変わらない眼差しに呆気にとられて、そうしてくしゃりと心底嬉しそうな笑顔に変わる。「そんなの、言われなくても初めからそのつもりだ」そう笑ったトラファルガーを両腕で強く抱き締める。背中に回る腕の温かさに泣きそうになった。

「おかえり、ユースタス屋」







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