沫になってさよなら | ナノ

翌朝目を覚ますと、キッドは首を傾げた。昨日は確かにローが来た気がするのだが、肝心のローがどこにも見当たらない。寝惚けて夢でも見たのだろうか。だが自分は、ローをベッドに引きずり込んだような記憶がある。現実なら現実でまたあれだが、夢なら夢で何て夢を見ているんだとキッドは自分に苦笑した。
――彼があまりにも泣きそうな顔をしていたから、というのは言い訳としては通用しないだろうか。

朝食の時にでも、さりげなく探ってみよう。そう決め、伸びをするとベッドから起き上がる。糊のきいた真っ白なシャツに袖を通し、寝間着から普段着へと服を着替える。全身鏡の前でほつれがないか映して見ていれば、不意に自室の扉が叩かれた。入れ、と手短に告げるとそこには彼の側近であるキラーが、困ったような顔をして立っていた。

「どうかしたのか?」
「――それが……」

キラーは言いにくそうに、気まずそうに視線をそらした。普段キラーが言葉を言いよどむことは少ない。それにただならぬ気配を感じたキッドが訝しげな顔をする。

「トラファルガーがどこにもいないんだ」
「……は?」

意を決して口を開いたキラーの言葉に、ぱちりと瞬き。ついで口から洩れた声は普段よりも一オクターブ低いものだった。全身で不快感を露にしたキッドが乱暴にクローゼットの扉を閉める。朝からなんて不快な話を聞かされなければならないんだ、と言いたげなその声、表情。こうなったキッドは手が付けられない。キラーはため息を吐くと、なるべく神経を逆なでないようそれまでの経緯を話した。

キラーに言わせればこうだ。
いつも通り、朝食の用意が出来たからと従者がローを起こしに行ったらしい。だがノックを繰り返しても、ローが出てくることはない。不思議に思った従者が、少し悪いとは思いつつも何かあったら大変だ、と試しにドアノブを捻ればいとも簡単に開いたそうだ。中を窺い見ればものぬけのから。ローはどこにもいない。
急いでそれをキラーに知らせると、キラーは何人かの従者に、城中を隈無く探させた。だがローは見つからず、こうして仕方なくキッドの元へ報告しにきたのだった。

「本当に城中、隈無く、余すとこ無く探させたんだろうな?」
「勿論だ」

すでに苛々し始めているキッドにキラーはしっかりと頷く。そのことに関しては自信を持って告げることが出来る。こうして見ても分かるように、如何せん彼は怒りの沸点が低いのだ。ローのこととなると、特に。それでいてどうして手など抜けることが出来ようか。事実、ローの失踪を聞いて顔面蒼白になったのはキラーの方だった。キッドが荒れる、と。

「おい、どこに行くんだキッド」
「探してくる」

キッドはそれだけキラーに伝えると、振り返ることもせず部屋を出る。壊れるのではないかと思えるほど乱暴に閉められた扉に、今日は長い一日になりそうだとキラーはもう一度ため息を吐いた。


あのキラーがそう言うのだ。本当に城中、隈無く探させたのだろう。だとしたらローは城内にいないことになる。城内にいないとなると、勝手に城外へと出て行ったのか。
キッドは舌打ちした。あの一件以来、ローには一人で勝手に城外に出るなと伝えてある。好奇心旺盛な彼の興味を惹くような何かがまたあったのだろうか。

(どこ行きやがった、あいつ……!)

キッドは柄にもなく焦っていた。一度ローが危ない目に遭ってしまってから、彼は城外でのローの行動に殊更過敏だった。ローはそれを、まるで子ども扱いされているようだと嫌がったが、そんなこと彼には関係ない。

もし万が一、また誰かに襲われていたとしたら――……。

そう思うとキッドの歩調は自然と速くなる。だが闇雲に探す訳にも行かない。一体どうしようか――そこまで考えてキッドはふと、何かに惹きつけられるようにあの海辺へと急いだ。







引いては返す波を見つめながら、ローはただぼんやりしていた。真っ青な海に、波に、チャプン、と足を浸す。一歩踏み入ってしまえば、あとは簡単だった。二歩、三歩、進む足は驚くほどに軽い。

――きっと痛みも、苦しみも、何もかも一瞬だ。

ローは短剣を携えたまま、ザブザブと波を掻き分けながら躊躇なく海へと入っていく。腰まで浸かる位置に来て、そこで漸く足を止めた。

キラリ、と海の光に反射した短剣が輝く。しっかりと両手に持つと、それを自分の喉元に――。


「何してんだお前は!」

不意に響いたその声に、ローはびくりと肩を震わせた。


酷く焦ったような顔をしたキッドが、そこにはいた。
彼もまた波を掻き分けローの元へと近づくと、ローの腕を掴んで無理矢理陸へと戻ろうとする。だがローはそれを嫌がるように首を振ると、キッドの腕を振り解き、再度自分の喉元へと短剣を持っていった。

――刹那。
ポタ、ポタ、と短剣を伝って海へと流れ落ちていくその赤色に、ローは目を見開いた。


「……んで、こんなことすんだよ」

ボソリと呟いたキッドが、ローの目をじっと見つめる。悲しそうな、苦しそうな瞳に見つめられて胸の内がぎゅっと痛んだ。なぜ、そう尋ねる瞳は痛いくらいまっすぐにローを射抜く。しかしそう聞きたいのはローの方だった。

短剣はすでに、ローの喉元から離されていた。キッドがその刃を掴んでローから取り上げたのだ。
引き剥がすために強く握り締めた掌からは、止め処なく血が流れていた。

――ぽろり、とローの瞳から涙が零れ落ちる。
ローは手を伸ばすとキッドの手に触れた。弾みでキッドの掌から短剣が滑り落ちる。波に飲まれたそれはぽちゃりと、深い海の底に沈んでいった。だが今はそんなこと、どうだって良かった。

汚れるから触るな、とキッドが言ってもローは聞かなかった。ローの手を血で汚したくなかった。振り払おうとしても強く握られて離せない。どうしたものかとキッドはローの頬に触れようとして、不意に手に冷たい感触を感じた――ローの涙だった。

彼は俯いて、ぽろぽろと涙を流していた。大切な人を、故意にではなくても傷つけてしまったという事実にショックを受けていた。
キッドはそんな彼の顔を上げさせようとして――そしてその唇が小さく、だが忙しなく動いてることに気がついた。


『ごめんなさい』


ローの唇は、そう言葉を紡いでいた。
涙を溢しながら小さく震える体に、キッドは息の詰まるような思いがした。

衝動的にローをぎゅっと強く抱き締める。突然のことにローはびくりと体を揺らすと息を詰め――だが、恐る恐るキッドの背中に腕を回した。
キッドはローの肩に顔を埋めて、強く強く抱き締める。それに、控えめだが少し力のこもったローの腕に、キッドはローのことを―堪らなく愛しい、と。そう感じていた。

「なぁ、何かあるなら俺に言えよ。一人で抱え込むなよ――……なぁ、ロー」

頼むから俺を置いていくな。


眉根を寄せて切なそうに告げられたその言葉と、唇に触れた温かい感触。ぎゅっと強く抱き締められて、驚きに見開かれた瞳から溢れた涙が頬を伝って流れていく。


「――……ロー…好きだ」


唇を離したキッドが、目と鼻の先でそっと呟く。ローの涙は止まらなかった。


「――俺も、好き」


不意に空気を震わせて自分の唇から発せられた言葉に、ローは目を丸くしてキッドを見つめた。

「……ロー、お前、声が、」

同じく驚いたような顔をしたキッドがローを見つめる。ローは確かめるように自分の喉元へとそっと触れた。あ、と声を出せば声帯が震え、耳に入ってくるのはもはや懐かしさすら覚える、聞きなれた自分の声。

――……声が、元に戻っている。


「っ……キッド…好きだ、ずっと前から…好き…!ずっと、言いたかった…」
「……ロー」

ぽろぽろと涙を流しながらも懸命に言葉を紡ぐローに、キッドは優しく微笑む。溢れ出る思いの丈に、涙に詰まる声を聞きながら。強く、自分を想っていてくれていたんだと教えてくれるその声、表情。全てが愛おしく感じて、頬を伝う涙をそっと拭う。
本当は分かっていたはずだ、愛しく感じる気持ちも、注がれる視線がとても温かいものだったことも。失いたくないとその想いにはすべて見て見ぬふりをしてきたけれど、そのせいで本当に大切なものを失うところだった。腕の中に感じられる温もりに嬉しさと安堵が募る。拭っても拭っても零れ落ちる涙に苦笑すると、その唇に再度触れるだけのキスをした。

「愛してる、ロー……だから泣き止んで、笑ってみせてくれよ」

唇を離してそう呟くと、ぱしりと瞬きを打ったローの瞳から涙が零れ落ちる。そして照れたように頬を赤く染めると、それはそれはとても嬉しそうに笑った。





(なんてそんなこと、言わせない。)





企画に参加してくださったoop様に捧げます!すみません…素敵リクにみなぎりすぎてこんなに長く…!しかも最後の力尽きた感が…!本当はもっと色々書きたかったんですがもちろんカットです(笑)
今回は人魚姫パロということで切甘な感じにしみましたがどうでしょう。原作で人魚姫は十五歳、王子は十六歳らしいですが、今回の設定的は十八と十九にしました。oop様のお陰ですっかり目覚めてしまったので、また童話パロやりたいです!><
リク有難うございました!





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