どうかお幸せに、最愛の人。 | ナノ

アーチ状に生えた薔薇は蔦が絡まり合い、赤く咲き乱れ、美しいと思えばそうなのだがとにかく匂いがきつかった。薔薇の強く甘い香りが辺り一面に立ち込め、頭がくらくらする。アーチをくぐり、自分の背ほどもある垣根を赤い薔薇だけを矢印に伝って歩いて行く。まるで迷路だ、とローは思った。早いところ出てしまいたい。ローはあまり意識しないようにしながらすたすたと赤い薔薇を道なりに歩いて行った。右に曲がり、まっすぐ進んだら左へ、そうしてまた左、左、今度は右……。

「だぁー!もう!いつになったら着くんだよこれ!!」

何度目かの右を曲がったところで堪えきれずに叫ぶとローはぐしゃぐしゃと髪を掻き乱す。一向に終わりのない、まして変化すらも見せない薔薇の垣根にどうにかなってしまいそうだった。充満する強い薔薇の香りにも頭が痛む。そろそろ鼻が麻痺してしまいそうだ。

「本当にたどり着けんのかよ…」

ローの世界の常識で考えれば、女王の城は今自分が進んでいる道とは真逆にあるはずだ。森を越えた向こう側にあるはず。しかしこの世界でその「常識」が通用しないのは分かり切っている。何せその森がまず常軌を逸脱しているのだから。
チェシャ猫だけなら存分に疑えもしただろうが、あの場には三月ウサギもいた。彼が嘘を吐いていたとは思えない。言葉足らずなのは否めないが…。

「あーあ…いつまでこんなことしてればいいんだろう…」

はぁ、とローが溜息を吐くと同時に、誰とも知らぬ溜息と悲観にくれる声が不意に耳をつく。きょろきょろと辺りを見回してみたが周りには誰もいない。仕方がないので奥へと進んでいくと道が左側に折れている。どうやら声はこの先から聞こえるらしい。

「大体、こんなの終わるわけないよ。いくつあると思って…」

ぶつぶと聞こえる声には微かな苛立ちも混ざっている。ローは顔をあげるとそっと垣根から顔を覗かせた。
あ、と小さく声をあげる。もう慣れてしまったが、その顔もやはり見知った顔だったから。

「シャチ…?」
「ん?」

小さく呟き、一歩前へ出ると悲観にくれていた青年がこちらを振り向く。身に纏う強烈な赤と輝く金髪がどうにも目立って目に痛い。白いシャツにところどころハートが散りばめられた赤のツイードジャケット、黒いスラックスと、服装こそローの知っている青年とは違う奇抜なものだが、その顔にはやはり見覚えがあった。
シャチ、ローの使用人の一人だ。ペンギンと同じで、彼もまだ年若い。ローとは十も離れていないだろう。それ故に昔はよくローの遊び相手になっていた。今でもシャチはローの良き遊び相手だ。からかって、出し抜いて困らせてはよくその反応を楽しんでいる。まだあどけなさの残るその顔立ちが、実年齢より彼を幼く見せるものだから、ローもシャチにはあまり壁がなかった。シャチもそれを気付いているのだろう、その立場を甘んじて受け入れていた。

「あれ…?もしかして君って…」
「アリス、じゃねーぞ」
「やっぱり!おかえりアリス!!」
「だからアリスじゃ、っていきなり抱きつくな!」
「わー!アリスだアリスだー!」
「おい離せっバカ!」

ぱちりと瞬きしたかと思えば急に抱き着かれて、ローは首に回された腕をばしばし叩く。苦しいから離れろと言われて漸く離れた腕にほっと息を吐きながら首を擦った。

「いやー懐かしいなーアリス!どのくらい振りだろう!」
「だからおれは…」
「あ、俺はハートのジャックね!アリスはシャチって呼んでたけど!」
「…もういい」

手を握り締め、ぶんぶんと振って離さないハートのジャックにローは心底疲れたような顔をする。これ以上自分はアリスではないと主張するのは何とも無駄なように思える。何でここの住人はこんなにも話を聞かないのだろうと思いつつ、いっそ否定しない方が話が円滑に進むのだろうか、と疲れた頭でぼんやりと考えた。

「ところでアリス、君はこんなところで何をしているの?」
「おれは女王陛下のところに行こうと思って…この赤い薔薇を辿れば行けるんだろ?なのに全然着かないからそろそろ疲れてきたんだけど。なあ、あとどのくらいなんだよ」
「う、わ…」
「おい?」
「あ、ああー…どうしよう…そっかぁ、そうだよね…」
「は?な、なんだよ」

いきなり声をあげたハートのジャックに訝しげな視線を送ると、ハートのジャックは落ち着かな気に目をそらして唸りだす。その手の中にぐるぐると缶の中で掻き回される刷毛を見つけてローははたと視線を止めた。ブリキ缶の中は赤く、白かっただろう刷毛は真っ赤に汚れている。困ったなぁと呟きながらぐるぐる回される刷毛は辺りに赤いペンキを撒き散らした。ハートのジャックの背後にある垣根をよくよく見れば、何故だか白い薔薇がある。

「女王様ね、赤が好きなんだけど誰かが間違えて白薔薇を埋めたらしくて…」

ローが見つめた先の薔薇からぽたりと赤い雫が垂れる。その先は聞かなくても分かった。

「どっから色塗りかえてたんだよお前!」
「え、っと…分かんない、白薔薇は気紛れだから現れた場所を…」
「はぁ!?ふざけんなよ、じゃあどうやったらその女のとこに行けんだよ!」
「う、ううー、ごめんって、アリス!怒らないでよお!」
「そう思うならお前がさっさと案内しやがれ!」
「無理だよ!俺、方向音痴だもん!」
「はぁ!?!?!?」
「だから怒らないでってアリスー!」
「これが怒らずにいられるか!」

最早泣いているのではないかと勘違いしそうなほど悲痛な声をあげるハートのジャックは、何とかローを宥めようとするがローの怒りは治まらなかった。
じゃあ何だよ、おれのいままでは無駄足だったってことか!?そもそもそれじゃあここから抜け出せないんじゃ…!
訳の分からない世界に連れ込まれ、話の通じない連中に振り回され、やっと帰る道しるべに立ったと思ったらこれだ!ローはここに来てからずっと感じていた理不尽な苛立ちをそのままにぎろりとハートのジャックを睨みつける。ひぃ、と間抜けな声を出すとハートのジャックはアリスゥとぐずぐず鼻を啜った。

「道、頑張って思い出すからそんな目で見ないでぇ!」
「分かったから早くしろ!」
「怒鳴んないでよ〜」
「あーもう!わかったわかった!…もうおこんねぇから。これでいいだろ?」

ふぅ、とローは息を吐いてどうにか気持ちを落ち着かせるとぎこちなく笑う。それを見て漸く安心したのか、涙で濡れていた瞳がきらきらと明るくなり、やっぱり笑った顔がアリスは一番かわいいよ!なんて抱きつかれる。またいらっとして怒鳴りそうになったがそこは何とか抑え、急いでるから案内してくれと出来るだけ落ち着いていえばハートのジャックは鼻歌でも歌いだしそうな気分でローの手を引いた。

「道…ほんとに大丈夫なのかよ?」
「たぶんねー…一日もあれば着くでしょ!」
「一日!?もっと早く着かないのかよ!」
「運が良ければ…」
「なんだよお前ほんとにつかえねぇ!!」
「つ、使え…!?ひどいよアリスゥ〜!」
「あー悪かったから喚くな!」
「だってアリスがぁ!」
「ったく何なんだよこいつ!めんどくせー!」

あっちのシャチもうざくて面倒くさいけどこれほどではないぞ、とローは心底思いながらそう叫ばずにはいられなかったのだった。




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