どうかお幸せに、最愛の人。 | ナノ

「『森が教えてくれるよ』……だって、バッカじゃねぇの」

ローはチェシャ猫の声真似をして不機嫌に鼻を鳴らす。あのあと不親切極まりない猫のせいで少しばかり途方に暮れたのだ。まず言葉の真意が分からなかった。やはり頭のおかしい変な奴に捕まったのだろうかとも思ったが、その思考でいくとやはり外見的に納得がいかない。どうしてああもペンギンに似ているのか。
暫くローはチェシャ猫の消えた木の枝をじっと睨み付けていたが、ザワザワとした木々の揺らぎを再び感じ、視線をそらした。ふと足元を見れば、草がおかしな形で生えている。矢印の形に。

そして冒頭へと戻る。ローは苛立ちに呟きながら足元を見つめてズンズンと森の中を歩いた。最初からそう言ってくれればいいものを、いやむしろ道案内をしてくれたっていいのに、などと思いながら歩を進める。あの自称猫が言った話――自分はここに前にも来たことがあるだとか、そもそも創ったのがロー自身であるとか――は未だに信じられないが、屋敷に帰れるなら何だってしたいところだった。多少引っ掛かる物言いいはあったにせよ、その女王とかいう人物の元に行って解決するならそれでいい。変な夢でも見たと思って我慢しよう。自分に言い聞かせるようにローは、よし、と小さく呟く。人生思いきりと切り替えが大事――。

「……ん?抜けたの、か?」

不意に辺りが明るくなり、陽光に目を細める。鬱蒼とした森の暗さが嘘のように明るい空は、時間で言うとまだ昼過ぎ頃だろうか。ローはちらりと後ろを振り返る。こうして見るとますますその不気味さが際立つようだった。
一刻も早くその場を立ち去ろうと、ローは歩を進める。しかしチェシャ猫が言うには「森が教えてくれる」らしいし、森を抜けた今自分はどうすればいいのだろうか。確かに森は矢印という形で道標を与えてくれたから間違ってはいないはずだ。その矢印を信用してよかったのかという疑問も些かあるが…。

「おやー?随分早いもんだね、アリス」
「っ、ペンギン!…いや、チェシャ猫?」
「好きに呼ぶがいいさ」

そこにはにっと笑う猫がいた。森で見かけた同じ猫は、しかしその時と違うのは、優雅にティータイムと洒落込んでいることだろうか。
今までの平坦な平野に突如現れた大きなテーブル。所狭しと並べられたティーカップ、ティーポット、ジャムにスコーンにケーキにサンドウィッチ。そして猫、その目の前に座るのは…兎?

「ってか…キラー屋?」
「久しぶり、アリス」

ごちゃごちゃと明らかに不必要な物が多すぎて汚くも見えるテーブルを前にして座る兎は、これまた見覚えのある顔をしていた。長い金髪で目元まで隠れたその顔はいつもと同じく鼻と口元が見えるばかり。違うのはぴょこんと生える兎の耳か。ローはくらりと目眩すら覚えた。

「なんで、こんな…キラー屋まで…」
「三月ウサギだ、アリス。お前は『キラー』と呼ぶがな、俺は」
「お前の知ってる『キラー』じゃない、って?」
「もちろんそうだ」

キラー、もとい三月ウサギは頷くとアリスを手招く。やはりこれは現実なのだろうか、夢にしては些か出来すぎている。頭がおかしくて知り合いに激似している人物に会っただけで、せめては世界は普通だと思いたいとも願ったが、雑草が矢印になって道案内をしてくれた時点で最早ローの知る普通の世界とはかけ離れていた。

「どうしてこんなに同じ顔なんだよ…」
「そりゃアリス、これは幼い時分に君が創った世界なんだ。年端もいかない子がゼロから創るなんて難しいと思わないか?」
「現にこのお茶会だってそうだ。お前、よく三時のお茶会に出ていただろう?何が起きたって三時にはお茶会が開かれなければいけないんだ」
「はあ…」

ローは二人の言葉に生返事を返すと、招かれた席へと座る。兎はティーカップに紅茶を注ぐとローに手渡す。猫はスコーンを口にしながら角砂糖のタワーを作っていた。

「しかし早かったね、アリス。もう女王様の所へ行ってきたのか?」
「まさか。矢印を追ってきたらここに辿り着いた」
「呆れた!あの森はあべこべの森だろ?矢印と反対の方角へ行かなきゃ自分の行きたいとこには辿り着けないよ」
「はぁ!?知るかそんなの!」
「全く…相変わらずアリスは無知なんだから」

やれやれと言いたげな様子で呆れたようにローを見やるチェシャ猫に眉をつり上げる。訳の分からない世界にいきなり放り込まれた上に右も左も分からないのだ。チェシャ猫だって森での自分の様子を見ていたのだから分かるだろうに、何故にそんなことを言われなければならないのか。納得いかないとローは唇を尖らせたが、まあまあと三月ウサギに宥められて仕方なく口を噤む。

「アリスが無知なのは今に始まったことではないだろう」
「はぁ!?キラー屋もかよ!」
「確かにそうだ。ごめんよアリス、君が無知なのを忘れていた」
「む、むかつく…!」

ローにしてみれば何を好き勝手なことを、と言いたいところだろう。チェシャ猫のにやにや笑いがその思いにさらに火をつけたのは言うまでもない。

「お前らの常識はおれにとって非常識なんだよ!大体お前らの存在だって本来はなぁ…!」
「そうだな、アリス。もう一杯お茶はどうだ?」
「途中なのに流すなっ……つかさっきからアリスアリスって、だからおれはアリスじゃねぇって何回言ったら分かるんだよ!」
「何言ってんだ、君がアリスでなくて他の誰がアリスだというんだい?この世界はワンダーランド、君はアリス、俺たちは君に創られた存在、何回言ったら分かるのかな?」
「うぜぇ…!」

呆れた口調でティーカップに口付けるチェシャ猫をローは苛立ちの視線で見つめる。やはりこいつとは最初から気が合わないと思っていた。何せ喋り方がいちいち勘に触る。顔はペンギンそっくりのくせに性格は……いやちょっと似てるな。
ローの貧乏揺すりで微かにティーポットの蓋が揺れるが誰も気にする人はいない。三月ウサギはまだ満杯のティーカップに紅茶を注いでいた。溢れた紅茶が真っ白なテーブルクロスに染みを作る。やはりここの住民たちの頭は少しおかしいのだろうとその光景を見つめて確信した。

「…帰る。その女王とかいうやつの元へはどう行きゃいいんだ?」
「もう帰るのか?アリス。もっとゆっくりしていけばいいのに」
「結構、もうとっとと帰りたい今すぐ帰りたい」
「どうだかねぇ」
「お前は黙ってろ」

意味深に笑うチェシャ猫をねめつけると、恐い恐いと肩を竦められる。こんな訳の分からないところに迷い込んできてしまってただでさえ苛々してるというのに。

「女王の城へはそこの薔薇園を抜けて行けばいい」
「薔薇園?」
「ああ、間違っても白薔薇を辿るんじゃないぞ。赤い薔薇を目印に進むんだ」
「はあ…でも普通に考えたら反対側じゃね?女王の城って。だってあの森が…」
「薔薇園を通れば女王の城に行けるんだよ、アリス」
「……そういうものなのか」
「そういうものだ」

積み重ねた角砂糖を崩し、再び手に取るチェシャ猫は容易にローの常識を覆す。視線で訴えた先にいる三月ウサギもこくりと頷き肯定の意を示すのみだった。なんだかなぁ、とローは頭を押さえる。ごちゃごちゃ考えない方が、この意味の分からない世界ではうまくやっていけるのかもしれない。

「じゃあ行ってくる。ありがとう」
「ああ、気を付けて」
「また後でね」
「…だから戻ってこないっつの」
「いやぁ、どうかな?」

にいっと笑ったチェシャ猫にもはや呆れを覚えたが、ローは何も言わずに黙って薔薇園の方へと向かっていった。




[ novel top ]


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -