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 運命って意外と安い

(客×バイト)


どうにもこうにも、俺は運があまりよろしくないタイプの人種だと思う。不幸体質だと嘆くような人間ではないし、そこまで大げさな話でもないのだが、運がいいか悪いかと聞かれたらよくないと言い切ってしまえるほどにはついてない人間だ。だからといって悲劇のヒロイン(?)を気取るわけでもないし、自分の人生を嘆いたことは一度もない。だけどもこういった状況に出くわしてしまうと、そんな自分の引きの悪さにほとほと嫌気が差すのだ。

「んな連れないこと言わねェで、こっち来いってお兄さん!」

そう、こういった状況下では、特に。
手首を握るそのしっとりした掌の感触にひくりと頬が引き攣る。右手にはジョッキを三つ持っていたから、これをその禿げた後頭部に当てるのもまあ悪くない話だった。しかしそれは俺個人としての問題であって、ここに勤める俺という店員の問題としては話が違ってくる。客と客との喧嘩よりも、客と店員との喧嘩の方が、おそらく守ったものと失うものの均衡が割に合わないだろう。それを知っているからこそ、どうにかこうにかそのジョッキを振り下ろさないでいられるのだが。世の中には堪忍袋の緒が切れるということわざがあってだな。

「お客様、困ります」
「いいじゃねぇか、お兄さんもここで一緒に飲んでこうや!」

そう言って下品な笑い声を響かせる親父たちには苛立ちしか募らない。いい歳こいて酔っぱらって人様に迷惑かけてんじゃねぇよこのハゲ共が。ふざけんな。とは内心思うものの、傍から見ればそこには困ったような笑みを浮かべてやんわりと断るただのバイトしかいないわけで。それにハゲ共が調子に乗るわ乗るわ。これだから居酒屋でバイトなんてしたくなかったんだ。面倒くさい客に絡まれるなんてたまったもんじゃない。
しかしそうは思っていても、ピアスや刺青を許容してくれるバイトなんてろくなもんがないから選べるわけもない。世の中世知辛いもんだ。その結果俺は今こうしてこのアホ面晒したハゲ共に絡まれて無駄な時間を過ごしてるんだから。

「お客様、本当に…」
「んだよ、減るもんでもねぇだろ?ケチケチすんなって」
「ははは…」

俺の貴重な時間が減るわハゲ。右手に持ったジョッキを握る手に力を込めながら、米噛みが破裂しないよう乾いた笑いを息をするように吐いた。さて、マジでどうしようか。そろそろ俺の苛立ちも、この中途半端な体勢も限界だ。癪だがおもいっきり振り払って適当に逃げてしまおうか、なんて考えていた、その時だった。

「あ、ちょうどいいところにいた。おにーさん、トイレどこ?」
「え、あ…お手洗いなら、」
「あー俺よくわかんねェから連れてってよ」

不意に後ろから呼びかけられ、振り向けばそこにはひどく目立つ赤い髪をもった男がいた。はぁ、と気の抜けたような声を出せば案内してよとぐいっと腕を引っ張られる。後ろではハゲ共が何か言っていたが、それは聞こえないふりをして。そのままするりと抜けた手首に、あ、と思った。

「悪ぃな、おにーさん」
「いえ、俺の方こそ…ありがとうございます」
「ん、何が?」
「さっきの客、しつこかったから…アンタが来てくれたおかげで、」
「あー、いいってそんなの。気にすんな」

ああいう奴はほんとウザイもんなー、と男が笑う。真っ赤な髪を逆立てた、俺よりも幾分か背の高い男。歳はそう離れてもいないように思えるが、俺より年下だと言われても俄かには信じがたい。眉はないが鼻筋は通っていて、一見すると強面にも思えるが、笑った顔はひどく幼くそのギャップが………って何考えてるんだ俺は!なんで会って三十秒ぐらいしか経ってない奴のそんな隅々まで観察してんだ!いやまあ別に、助けてくれた相手のことを気にするのが変なわけじゃないしいいんだけども!そんな女が男を見定めるようにまじまじと観察しな…。

「…おにーさん?」
「えあっ、はい、?」
「トイレ入っていい?」
「あ、すいません、ありがとうございました!」

急に話しかけられてどもって声が裏返る。それが恥ずかしくて、それにトイレの前でずっとその人の顔見ながら突っ立ってぐるぐる考え事してるっていう自分のその行動も恥ずかしくて、何故かこのタイミングでもう一度礼を言うとそのまま逃げかえるように厨房の方へと戻ってしまった。振り返りはしなかったからあの人がどんな顔をしていたかはわからないが、変な奴だと思われたに違いない。いや、違うんだいつもならこんなんじゃないのに、と別に気に留める必要もないのに一人心中で言い訳する。そんなこと考えたって意味ないのに。

ああ、やっぱり今日は運が悪い。そう思いながら再びホールに出ると店の中をぐるぐる回る。さっきの行動を思い出すと何でか顔から火がでそうなくらいに恥ずかしい。どうだっていいはずなのに、さっきの人にはもっとうまくお礼が言いたかったなんてことを考えてしまう。

「…あ」

ぐるぐると回る中で、通路を通って戻ってくる先程の赤い髪を見つけて慌てて踵を返した。向こうから死角になるところまで戻ると、そこにきて初めてはたと自分の行動に気づく。何をしているんだ俺は、と女々しいその態度に罰が悪くなった。どんな形にせよ、礼は言ったし、あの話はもうあそこで完結してる。だから別に、気にする必要などないのだ。そう思っていても先程の失態を思い出すと、あの男と再び顔を合わせるのは気が引けた。……ん?

(…あー、そうしよ。)

先程の行為が「失態」で、だから「恥ずかしい」と思うなら、それをなしにして塗り替えてしまえばいいんだ。そんな単純なことすらも見落としていた自分に呆れながら来た道を戻ると、あの男の人が座っていたテーブル席の伝票を探す。見つけるとそこに書いてあるオーダーした酒の羅列を見て、適当に外れないようなドリンクを作った。まああの人一人で来てるわけじゃねぇから好きかどうかはわかんねぇけどさ。多分大丈夫だろ、と根拠のない自信を持って先程見つけた赤髪の元へと向かう。

「失礼しまーす。ドリンクお持ちしましたー」

幸いなことにその男は通路側に座っていた。その人を含めた男四人が声を張り上げて何事か喋っている。話に夢中で俺なんかそっちのけだ。ただ一人、その人を除いては。

「あれ、どうしたのおにーさん。何か頼んだっけ俺ら」
「ん、違くてその…これさっきのお礼、です。サービスなんでよかったらどうぞ」

傍にしゃがむとひっそりと囁く。一番多く頼まれていたのがハイボールだったからそれにしたんだがよかったんだろうかと思いつつも、ここで引けるわけがないのでドリンクをテーブルに置いた。男は少し驚いたような顔をしていたが、すぐに破顔すると、くしゃりと。俺の頭を撫でた。

「悪ぃな、気使わせちまったみたいで…ありがとな」
「いや、俺が勝手にしたことだから…」

失態を、先程感じた自分の行動への恥ずかしさを紛らわすために行った行為なのに、今度はスムーズに言ったのに、どうしてか気を抜くとまた訳の分からないことを口走ってしまいそうで困る。どうもりそうになる舌を何とか動かし、撫でられた頭と頬に集まる熱に必死に気持ちを落ち着ける。何をどうしてこんなに緊張してるんだろうか。相手は同じ男だというのに。

「…なあ、いつもあんな風に絡まれてんの?」
「え?いや、いつもって訳ではないけど…たまにそういう面倒な人がいるんです」
「ふぅん」

手が離れていき、それにほっとしているようないないような、何とも言えない気持ちを抱いてしまって、そんな自分にはもはや困惑しか抱かない。この人と一緒にいると自分が何を考えているんだか分からなくなるからおかしい。もうやることはやったし、これ以上また余計なことをしてしまう前に戻ろう。そう思って立ち上がろうとしたら再び話しかけられて。早く戻りたいと思いつつも、その内容にこれまでの出来事を反芻する。
いつも、と言えるほど頻繁に絡まれているわけではないが、まったくないと言えるほど少なくもないはずだ。それを曖昧に伝えると、その人は思案顔で俺の運んだドリンクを一口飲んだ。というかそんなことはもういいからいい加減戻らないとやばい気もするんだが。俺の気持ち的にも、時間的にも。そう思いつつも何でか立ち上がれずにいると、なあ、と声を掛けられて。顔を上げればニヤッと笑われた。

「おにーさん、名前は?」
「トラファルガー・ロー、ですけど」
「そっか、俺はユースタス・キッドってんだ」
「はぁ…」

突然名前を聞かれ、そして名乗られ、訳も分からず生返事を返す。男は――ユースタス屋は、そんな俺に気を悪くするでもなく、その代わり面白そうに笑っていた。

「なぁ、トラファルガーくん」
「なんですか?」
「俺の家で働いてみねェ?」
「はい……はぁ?!」

呼びかけられた名前に、次は一体何を聞かれるんだかととりとめのないことを考えていたら、その口から思ってもみなかった言葉を告げられ、思わず目を見開くと素っ頓狂な声を出してしまった。慌てて口を押えたが、ただでさえ騒がしい居酒屋だ。誰も気にしてなんかいないだろうと思い直して手を離す。しかしだからといって状況を理解し落ち着いたという訳でもなく目を白黒させる俺とは違い、ユースタス屋は相変わらず楽しそうに笑っていた。こいつ、普通そうな顔して見えるのに実はとんでもなく酔ってんのかな。なんかもうそうとしか思えないんだけど。

「あの、ちょっと意味が…」
「ここでバイトしてるよりいいと思うぜ。給料なら弾むし」
「えーっと…」
「まあすぐに決めろとは言わねェけどさ」

これ、気になるようだったら連絡して、とメモの切れ端に書かれた電話番号を押しつけられて、有無を言わせぬその態度に仕方なくポケットに仕舞い込んだ。

「すみませーん!」
「ほら、客が呼んでるぞ」

ユースタス屋にそう言われて自分がバイト中だということを思い出す。いいや、このことは後で考えよう、と思いながら手を振るユースタス屋に軽く頭を下げてその場を離れようとしたら、ぐいっと腕を掴まれた。なんだ、と振り返るよりも早くふっと耳に息が当たる。

「連絡、待ってるから」

え、と思う暇もなく耳元で囁かれた言葉。そのまま俺に何かを言わせる時間も与えず、トンッと軽く背を押されて通路に追い出されてしまった。

(っ、何だよあれ…!)

今になって顔が熱い。急いでその場を離れると、呼んだ客そっちのけに柱に背を預けて客には分からないよう身を隠す。そこで思わず座り込んでしまいそうになる自分を叱咤して、熱をもった顔に俯いた。
あんなの、あんなの反則だ。あんなこと、言われたら。
ポケットから先程貰った紙切れを取り出すと、そこに書かれた番号をゆっくりとなぞる。バイトが終わった後の自分の行動が目に見えて、くしゃりとそのメモを握りつぶした。




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