ロー誕2011 | ナノ

ひどく心残りがあるような顔をして出て行ったせいで、俺が心配していると思ったのだろう。部屋に戻ってきたローは、なんにもなかった、大丈夫だったよ、と笑ってみせた。
それを信じていいか、少し気になるところはあった。だがローがそう言うなら、という気持ちが勝ったのも事実。

あのとき俺が軽い返事で済まさずに、ローの心情を見破って何か言っていたならこの現状も少しは変わっていただろうか。
どうして気付けなかったのか、今でも自分が許せない。





ローの様子がおかしいと、普段と少し違っていると、馬鹿な俺が気付き出したのは、その日から一週間ほど経った後だった。

最初はほんの些細なことだった。ローが飛び付いてこなくなったり、寝る前に本を読んでと強請ることをしなくなったり。
でも言ってもそのぐらいだったので、まぁそういうときもあるだろう、ぐらいにしか思っていなかった。

それが顕著になりだしたのはいつだったか。
寝るときはいつも一緒で、先に寝てろと言うと駄々を捏ねるローが一人でベッドに潜っていたり。朝はいつも俺より遅く起きていたくせに、早く起きてとっくに着替えていたりすることが多くなった。それと同時に、朝起きてまず一番にした、あの確かめるような行為もなくなった。
だから最初はそれこそ、ローの不安が徐々に消えていっているのではないかと、嬉しいとさえ思った。やっと俺を、心の底から信じてくれたのか、と。
そう、最初はそんな能天気思考だったのだ。だがそれも、少し経ってどうやら違うらしいと漸く気が付いた。

ローが、何だか余所余所しいのだ。

まるで気を使う他人として扱われているような気分だった。俺が何かを言えば答えてくれるが、ローから話しかけてくることがめっきり減った。暇さえあれば遊ぼうとうるさかったくせに、一人で静かにしていることが多い。不思議に思うを通り越して、最早不審に思うの域だった。

俺が何かしたのだろうか。考えても思い当たるような節はない。
やはりこういうことは本人に直接聞くのが最もよい方法だろう。だが何となく、躊躇してしまいたくなるものがそこにはあった。柄にもなく、拒絶されるのが怖いと思えた。こんな、小さな子供に。

今までの自分なら考えられなかったことだ。だから余計対処に苦しむ。
ハァ、と溜め息を吐いて、背を向けて眠るローを見やる。溜め息を吐くなんていつぶりだろうか。それほどこの小さな子供に振り回されていた。

(抱きつかないで眠ることとか、なかったのにな…。)

ローの背を見て、そんなことすら思う始末だ。自分でも末期だとは分かっている。分かっているがとめられない。

じっとローの小さな背を見つめ、何となしに手を伸ばす。この体に触れることを躊躇ったことなどない。けれど一瞬、触れるのを躊躇してしまった。
何だかなァ、と久しぶりに思いつつ、それでもゆっくりとローの頭を撫でる。

「…ユースタス、屋」
「悪ぃ、起こしたか?」

起こさないようにそっと、と気を使ったつもりだったが、ごろりと寝返りを打ってこちらを見やるローに慌てて手を離した。寝てていいぞ、と声をかけたが、ローはじっと俺を見つめていた。

「どうかしたか?」

そう聞くときはいつもローの頬を撫でていた。けれど今は何となく、触れることができない。見えない境界線が張られているみたいに。
じっとローの答えを待っていたが、ローは暫く答えなかった。その代わり見つめていた視線をそらし、物憂う気に目を伏せる。こんな表情ができるのかと思えるほど、大人びた顔をしていた。

「……いつになったら、にげるの?」
「…は?」
「もうやだ、つかれた」

伏せたままの瞳で、ローが呟く。シーツを握りしめた小さな手を見つめながら、今言われたことを頭の中でもう一度反芻した。あまりに唐突な出来事に処理が追いつかない。
間抜けにも、俺はローを見つめたまま固まっていた。幼いローは自分のことに精一杯なようで気付かない。気付かれなくてよかったと思う。こんなにも動揺した姿を。

「それは……っ、ローは俺に出て行ってほしい…ってこと、か?」

馬鹿みたいな話だが、みっともなく声が震えた。震えを、抑えきれなかった。

「だって、…っ」

正直、拒絶の言葉ならもうそれ以上は聞きたくなかった。それほどまでに俺の中でローの占める部分は大きかったから。こんな子供相手に、と言われたって別に構わない。今の俺にはローが全てだから。

態度は聞いているようで、心は全く耳を傾けない。そんなちぐはぐの状態で、ローの口から出る言葉をただ待った。待ったが、出てきたのは言葉ではなく、よく見知った透明な涙だった。

「だって、だって…!もう、こわい…っ」
「…怖い?」
「っ、いつか…ユ、スタ、屋は、いなくなっちゃぅ、って…だから、こわくて…!」
「は…いなくなる、って、」
「おれの、っ…相手、するの…つかれて、だからっ…きらいになるって…そんなのっ、やだから…!」

嫌われたくない、だけど嫌われないように過ごすのももう疲れた。だからいつかいなくなるなら、嫌いになるなら、早く行って。これ以上一緒にいると、離れたくなくなるから。

ぼろぼろと涙を流し、しゃくりあげながらも呟かれる言葉を一つずつ拾っていく。まだまだ子供のはずなのに、考えていることはそこらの大人と大差ないような気がした。

孤独と不安を、少しずつだけれど癒せていると、そう思っていた。実際はこれだ。俺がなぞっていたのは表面だけで、ローの心の奥の一番深いところはぽっかりとした穴のような暗闇から、何一つ変わっていなかったのだ。

「それ…あのピンク野郎に言われたのか」

ローの姿に、自然と声が低くなる。そんな根も葉もない嘘を吹き込む野郎は、あいつただ一人と相場が決まっているのだ。案の定こくりと頷いたローに、今すぐにでもあの男を殴り倒したくなった。

どうやら今までのあの余所余所しいような態度も、全部あの男の言葉のせいだったらしい。
本当は、先生に怒られたと言うのも夕食を一緒に食べたけど別段何もなかったというのも嘘なんだ、とローはぽつりぽつりと言った。先生に怒られたからではなくあの男にさっきのような言葉を言われたから落ち込んでいて、夕食のときも実はそれと同じようなことを言葉を変えて何度もチクチクと言われたらしい。
あいつのことだから、きっと不愉快になるような嫌味ったらしい言葉で以て遠回しにローの心をつついたのだろう。本当に信じられない。それが曲がりなりにも親のすることだろうか。
しかもローはまだほんの子供だ。それなのに…!

もしかしたら癒えていたかもしれない傷口を抉り、また新しく傷をつけたあいつが堪らなく憎かった。それと同時に気づいてやれない自分に腹が立つ。だがそれ以上に、この歳ですでに大人を騙せるほど上手く感情を隠すことの出来るローに、ひどく悲しくなった。
だって、それはまるで、

「……信じられないか、俺のこと」
「っ、ごめ、なさ…!…でも、もし、って、思う、と…」

しんじられない。涙混じりに呟いたローに唇を噛み締める。

蓄積され、植え付けられた大きな闇は根を張ってローの心を蝕んでいる。気づいていたのに、その深さを見誤っていた自分が情けない。それでローが自分に全て心を開いてくれていたと思っていたのだ。信じてくれていたと思っていたのだ。馬鹿は俺だ。
だけどそれより何より。ローが俺よりもあの男の言葉を信じてしまったということが、どうしようもなく悔しかった。

「いいか、ロー…あのピンク野郎の言うことなんて信じるな。俺だけを信じろ」
「っ、ひくっ、…ぅ、んっ…」
「もし信じられないなら、ローが俺を信じられるようになるまでずっと傍にいてやる。ずっとだ。何年かかっても、何十年経っても、ずっと…」
「っゆ、すた、やぁ…!」

泣きじゃくるローを抱き締め、何度も呟く。だがこの言葉ですら、結局はローが信じてくれなければ成り立たないのだ。

「俺は信じてるから…ローが俺を信じてくれることを…」

だから、とその先の言葉は続けなかった。

どれだけ先になったって構わない。いつまでだって待ってやる。
ローが朝を恐れなくなるまで、誰かの言葉に振り回され傷つかないようになるまで。信じてるよ、と。笑ってくれる日まで、ずっと。

その日が来るまで、この腕を離さないと誓おう。




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