ロー誕2011 | ナノ

それから幾日か過ぎたが相変わらず俺はローの隣にいた。最初はローの方も朝起きるたびに不安そうな顔をしていたが、最近ではすっかり慣れたのか、俺が朝隣にいることを当たり前のようにしていた。
俺はいつかここから出て行こうとは思っていたが、そのいつかが未だ分からなかった。正直言ってここで暮らすことに何の不自由もない。出て行くことに対して俺に何かメリットがあるのかと言われれば何もないだろう。ただここでぬくぬくと過ごしていくのは何だか違和感があった。けれど朝起きて、おはようと笑顔で言ってくるローを一人には出来ないような気もして。まだ俺は答えを見つけられていない。


きちんと服を着たローが、じゃあまたあとでね、と部屋を出て行く。平日の半分はローと過ごすが、半分は暇だった。何故ならローは朝九時から昼の三時まできっちりと授業が入っているわけで、それ以降はローが纏わりついてくるので一緒に過ごすが、そうなるまで俺にやることはない。
最初は部屋でテレビを見ていたが大人しくするのは性に合わない。ということで屋敷を散策しまくった。でかい上に広いからちょうどいい暇潰しになった。しかも面白いことに、誰かに会っても別段何も言われない。一度だけ声を掛けられたことがあるが、それはメイドに暇ならお茶でもどうぞ、とただ言われただけだった。
やっぱりこの屋敷の住民の考えていることは分からない、と思いはするが変な気を使わなくて楽だ。体は鈍りそうだが。

今日も今日とて暇なので、ローを見送って暫くしてから部屋を出た。どこがどこで、と場所を覚えるのはまだ大変だが、それでも迷わず部屋に戻れるようにはなった。
特に行くところもないのであてもなく彷徨っていると、ばったりあの嫌味な男と出くわした。ペンギンとか言う奴も、あ、というような顔をしたがすぐに気を取り直したようで何故か普通に話しかけられた。

「暇なんだろ?」
「まぁ…」
「よかったら俺の相手してくれないか?」
「は?」

唐突にかけられた言葉に眉根を寄せるが、奴は何も気にしていないらしく、こっちこっちと手招きするので仕方なく後についていく。ついた先は俺もまだ入ったことのない部屋。開けると壁も床も天井も一面白と黒の市松模様に覆われていて、部屋の真ん中にはテーブルが五つ均等に並んでおり、その上にはチェス板が一つ一つ乗っていた。奥では男が二人、チェスに興じている。何なんだこの目の痛くなるような部屋は。

「相変わらず目が痛くなるな、この部屋は」

ペンギンは同じようなことを呟くとすぐ手前の椅子に腰掛け、促されるままに俺もその向かいに座る。どうやら相手とはチェスの相手のことらしい。ここも恐らくチェスするためのだけの部屋なんだろう。娯楽施設か。

「つうか、どういう風の吹き回しだよ」
「なにが?」
「俺を誘うとか」
「あぁ、なんか興味深くて」
「どういう意味だそりゃ」
「そのまんまだよ」

第一印象は最悪だったが、話してみるとなんら普通の人間と変わりない。ポーンを進めながらその真意を探るが、ペンギンは肩を竦めただけだった。

「坊ちゃんがお前のこと、すげぇ気に入ってるからさ。気になって」
「…そうか?」
「お前気づいてないの?言っとくけどこうやってお前が勝手に歩き回れるのも、坊ちゃんが旦那様に頼み込んだおかげなんだぞ?」
「は?聞いてねェぞ!」
「だろうな、だって嘘だし」
「あ!?」
「はは、まぁ怒るなって。ただの冗談ってことだ」
「何だそのクソつまんねェ冗談は…!」

まぁお前が気に入られてるのは事実だよ、と笑いながらナイトを進めるペンギンに舌打ちした。面倒臭ェ奴だと言えば、よく言われると返される。

「便宜上は旦那様に買われた坊ちゃんのオモチャってことなんだろうけど…お前って、つまりただのベビーシッターだよな」
「…今の状況だけ見りゃそうだろ。そのうち出て行くけどな」
「何だ逃げるのか?つまんねぇな、お前は結構持つと思ったのに…」
「持つ?」
「あぁ、お前が初めてじゃないんだ、借金持ちで体売られた『ベビーシッター』。けど坊ちゃんが嫌だいらないとか言ってな、すぐ返却するから結局ある程度持った奴っていないんだ」
「…その返却された奴ってどうなったんだ」
「さぁ?旦那様は常人が思いつかないようなことするからなぁ。ま、そいつを買った分の金を賄えるぐらいのこと、そいつでしたんじゃねーの?」

どうでもよさそうに言ったペンギンに俺も適当な返事を返す。賄えるぐらいのこと、は出来れば想像したくない。

「でもやっぱお前には頑張ってもらいたいかも」
「は?何だそりゃ」
「坊ちゃんって本当手がかかるガ…ご子息なんだよ。誰とも話ししないし頑固だし、子供っぽく感情を表に出したりしないし…お前が来てからだぞ?坊ちゃんが笑ったりするようになったのは」
「そんな餓鬼いんのか?」
「いるんだなそれが」

次の手に迷いを見せるペンギンに、今の言葉を反芻する。確かに一番最初に会った時、あいつは何とも無感情な目で俺を見つめていた。子供らしくない行動を取ったりもする。けれどそれと同じくらい、子供らしい表情で、行動で、俺に纏わりついてきたはずだ。

「まぁ実際、お前がいてくれると助かるんだ。給料貰って仕事してんだから文句言うのもあれだけど…でもやっぱり、ちょっと、な。扱いづらいと面倒だって言うか…お前が逃げ出したい気持ちも分かるけど、」
「俺はそういう意味で出て行くって言ったんじゃねェ」

少し言いづらそうに言葉を紡ぐペンギンに話の方向性が見えてきて、思わず途中で遮った。俺はローを鬱陶しいとも、面倒だとも思ったことはない。
それなのに、まるで全員がそう思ってるようにして腫れ物の話をするようなペンギンの態度に少し苛ついた。

「…お前がそう思ってるなら別にいいけど」

そう睨むなよ、と苦笑したペンギンに視線をそらすとチェス板を見つめる。ペンギンもそれ以上は何も言わなかった。

何度かゲームをしてからペンギンに誘われて昼食をとり、午後の時間を適当に過ごしてから部屋に戻る。暫くするとローが戻ってきて、駆けて俺の胸へと飛び込んでくるその体を慌てて抱き締めた。

「危ねェから抱きつくなって言ってるだろ」
「うん」
「ったく…」

そう言っていつもこれだ、と苦笑すると擦り寄るローの頭を撫でる。このローの、どこが扱いづらいのか分からない。
問題があるのなら、ローではなくペンギンたちの方にあるような気がした。

「…なぁ、ロー」
「ん?」
「俺の他にも、ローのところに連れてこられた奴っているんだろ?」
「うん。でもね、みんな怖いし気持ちわるいからいらないって言った」
「そっか」
「ユースタス屋は怖くないんだよ?」

なんでだろ?と膝の上に座り、不思議そうに首を傾げたローの頭を撫でる。少し考えても答えが見つからなかったのか、じっと俺を見つめてきたから、どうしてだろうなと苦笑した。事実、そんなことを言われたのは初めてだった。



平日に授業があれば、休日は休み。学校と同じで土日は休みらしく、ローは俺の膝の上に座って分厚い本を読んでいた。
しかもそれがどう考えても小学生レベルの子が読むような本じゃない。何を読んでるのか尋ねれば、医学書、と。面白いのかと聞けばこくりと頷かれる。一緒に字面を追ってみたが、何を言っているのかさっぱり理解できなかった。

「普通お前くらいの歳だったらさ、童話とか読むだろ」
「どうわ?」
「シンデレラとか白雪姫とか赤頭巾とか…」

そこまで言ってぱちぱちとローがこちらを見つめていることに気がついた。

「もしかして知らねェの?」
「名前だけ知ってるけど、どんな話か分かんない」

そう言ったローに驚いたのはこっちの方だ。童話も知らないのに医学書なんて。いや、むしろ医学書みたいな難しい本しか与えられなかったのか?
何だかなァと久しぶりに思った。そのぐらいの楽しみだって、こいつに与えてやってもいいんじゃねェの?

「…買いに行くか、童話集」

何気なくぽつりと呟いた言葉にローの目がきらきら光る。行く!と頷いたローにふと気づいた。俺金ねェんだ。
だがローはそんな俺を尻目にベッドルームの方へ駆けて行く。戻ってきた時には数十枚の紙幣を握り締めていた。

「どうしたんだ、それ」
「ベッドの下にあるの。きんきゅーじたいに使う」

そう言って押し付けてきたローに紙幣を三枚だけ抜き取ると、戻して来いとその小さな手に返した。子供らしからぬ行動だが、それを使う目的はとても子供らしいもので何だか複雑だ。時折見える子供らしさに、実はこいつは我慢してるんじゃないかと思うほど。大人しかいない空間で、求められる自分像のままに振舞う。まだまだ甘えたい盛りだろうに。

「行かないの?」
「…あぁ、いま行く」

その分俺に甘え、笑顔を見せるというのなら、何だかこいつの元を離れたくないと思ってしまう。親心に近い気もするが、どこか違うような気もする。まだ答えは見つからない。

何の考えもなしに買いに行くか?なんて提案したが、驚くほどスムーズに屋敷を出られた。ローと手を繋いで屋敷を歩いている最中、確実に何人かとすれ違ったが何も言われず。また屋敷を出てたときも、お車をお出し致しましょうかと言われただけだった。
出されたベンツに乗って市街地まで降りていく。俺はここに来るまでずっとボストンバックの中に入れられていたわけだから、ここがどこかいまいちよく分からないので歩いていくことはできなかった。
市街地にはものの三分ほどで着いた。その間景色を見ていたが、何も分からなかった。どうやら俺は全く知らないところへ連れてこられたらしい。
帰りは歩いて帰ると伝えるとこれまたあっさり了承された。それでいいのかと思いつつ、早くと急かすローに本屋に向かう。何なんだあのあっさり感は。俺がこいつを連れ出して逃亡を謀ったり、人質にして逃げたりしたら一体どうする気なんだ。とか考えてローの身を案じる俺もどうかと思う。マジでベビーシッターじゃねェか。

俺もすっかりこの思考回路が板についたなァと思いつつ、どれを買おうか迷っているローを見つめる。板についたが慣れはしない。あそこの住民たちの考えは、未だによく分からない。

「ユースタス屋、これがいい!」
「これでいいのか?」
「うん!」

ローが指差した本を取るとパラパラと捲っていく。童話全集と書かれたアンティークなその表紙の本は、ずらりと書かれた文字の羅列におまけ程度の挿絵が話の間にチラホラ。

「これ、難しいんじゃねェの?」
「なんで?」
「だって字ばっかだぞ」

ローに指し示しながら言えば、きょとんとした顔をされる。くるりと大きな目が俺を見つめた。

「ユースタス屋は読んでくれないの?」

最初からその気ならそう言ってほしい。なんて思いながら目を伏せたローを抱き上げる。寝る前でいいか?と囁けば、ローは嬉しそうな顔をしてぎゅっと俺に抱きついてきた。
このままで!とローがだだを捏ねるので、仕方なくローを腕に抱えたまま屋敷へ向かう。行きがあっさりしていれば帰りも同じようなもので、誰にも何も言われることなく屋敷に入り、部屋に戻った。これならいつでも逃げられるだろ。正面から逃げたって全然平気な気がする。

テーブルの上に買ってきた本を置いたが、読んでと催促するローに仕方なく一つだけ話を読んでやることにした。

「昔々、あるところに――」

別に信頼されているという訳でもなさそうだ。だからと言って警戒されているわけでもない。それは態度で明らかだ。ならば一体何なのか。
関心がない、というのが一番しっくりくるような気がする。他人事のような周囲の態度、ペンギンの呟いた言葉、ローの寂しそうな顔。

「―その国にはもう一人、お姫様がいました。けれどそのお姫様の存在は誰にも知られず、山奥の古びた屋敷の中で数十人の召使いと住んでいました。お姫様の誕生は、誰にも望まれていなかったのです。その国に、お姫様の存在は一人で十分でした。二人も必要とされなかったのです」

不意にローの手が本へと伸び、涙を流すお姫様の絵をそっと撫でる。どうした?と聞けば、ローはぽつりと呟いた。

「おれと、同じ」

頭の中で何かがカチリと繋がる音がした。




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