とりあえずどこまでなら行けるのかを見る為に一人でやらせてみると、助走は付いていてもやっぱり踏み切り板の前で失速し、結局足はそこで止まる。何度かアドバイスしながら試させるが、トラファルガーの足は踏み切り板から先に進まない。拭い切れない恐怖心と何度やっても上手くいかない事に焦ったのか、ついに走ってる途中で転んでしまった。
「おい、大丈夫か?」
「う…っ」
蹲る体に何処かぶつけたのか聞けば、また首を振って大丈夫だと呟いたが膝が少し赤くなっていた。前校長が引退し、息子の変態校長に変わってからこの学校の体育着は男子も女子もブルマに変えられた。それこそ最初は嫌がっていた生徒達も半年もすれば慣れてい たが、こっちが耐え切れずに辞めていった教師もいる。そんな中で自分に、小学生に欲情するような性癖は無いと思っていた。
「先生…?」
トラファルガーが子供の癖に妙に大人びていたのも、プライドが高いのも知っていた。テストだって満点だらけで、変な性格をしていたがそれを理解してくれる友達だって居る。だがそれ以上の長所を知らなかった。こんなに根性があるとも思わなかったし。不思議そうに見上げてくる目が青に近い色をしているのを知った。
「膝…いてぇか?」
「ん、っ…痛く…ない」
掌が余る膝小僧は薄い皮膚が擦り剥けて血が滲んでいる。傷口に触らないよう、ぶつけて青紫になった部分をそっと撫でるとやっぱり痛かったのか目を瞑るトラファルガーに腰の辺りがじんわりと熱を持つ。それを紛らわせる為にも借りておいた救急箱から絆創膏を取り出す。二枚を使って傷を手当てすれば消え入りそうな声で礼を言うトラファルガーが可愛い。つい絆創膏の上から触れるだけのキスをすれば、余程驚いたのか飛び起きた顔を茹蛸の様に赤くするから堪え切れずに笑った。
「お前、先生のこと信じられるか?」
跳び箱の後ろに敷いたソフトマットをもう一枚重ね、落ちても大丈夫なのを確認させる。全力で踏み切り板を踏む事と、もし落ちそうになっても必ず抱き留めてやると約束した。さっきよりも助走は力強い。必ず飛べると確信した。そしてようやく体育館に踏み切り板を踏む音が響く。元々飛べるトラ ファルガーは、ちゃんと跳び箱に両手を付いた見事な開脚で五段を飛び越えてソフトマットに沈んだ。補助の必要は無かったが、むくりと起き上がって直ぐに飛び付いて来たトラファルガーを約束通り抱き留める。
「飛べた…!」
「まだあんな五段が怖いか?」
「怖くない!」
腹に頭を擦り付けて来るのは擽ったいが、飛べたのが嬉しいのか汗ばんだ短い髪を撫でても嫌がるどころか掌に頭を押し付けてもっと褒めろと強請るようだった。
「これでクラス全員合格だな」
最後の一つだった空白の評価欄に花丸でも付けてやろうか。からかったつもりで言ったが、トラファルガーは腕の下でぴたりと動きを止めた。花丸じゃ足りないとでも言うのかと思えば小柄な体からは想像も付かない力で傍のソフトマットに引き戻された。全く痛く は無いが突然の事に頭が付いていかない。
「…やだ」
腰に跨った軽い体くらい少し力を入れれば退けるのは簡単だった。それが出来ないのは、目の前で怒ってるのか泣いてるのか分からない顔で嫌だと呟きながら俺を睨んでいるからだ。こいつが睨んでくるのは日常茶飯事で、それを見る度に腹が立つほど嫌いだった筈が今は可愛くて堪らない。子供体温の火照った顔を撫でれば表情はくしゃりと歪んで頭を掻き抱かれた。俺の顔にまだ柔らかい胸から心臓の音が聞こえる。上がる鼓動の速度に比例して理性が少しずつ千切れていくのを感じる。このままだと衝動に任せて教え子に手を出してしまいそうな予感がする。流石にそれだけは避けたい。背中の辺りの体育着を引っ張って剥がそうとすればトラファルガーはますますぴったりくっ付いて嫌がった。
「おれだけ見て…他のヤツなんか見るな…先生」
誰にでもある子供特有の独占欲だと、気の迷いだとでも言って無理矢理にでも細い体を引き剥がして帰らせれば良かった。それこそ高学年の女子生徒からバレンタインにチョコを貰ったり、中々帰らないと思ったらそれっぽい告白をされた事は結構ある。相手が子供だから真に受ける事も無かった。それが、同じ事をトラファルガーが言うから俺は動揺している。ずっと嫌われていたと思っていたからか素直に嬉しいと感じるがただの嬉しい、じゃない気がする。
「俺がお前以外を見たら嫌なのか?」
「…や」
「何で嫌なんだ?」
震える背中を撫でながら一際優しく訊ねると顔を上げ、泣いていたのか腕で目元を何度も擦るのを止めさせれば赤く腫れた目が真っ直ぐに俺を見下ろした。答えを聞く事に期待と後悔を感じながら、逃げようとした腰を咄嗟に鷲掴んで固定する。俺の体を跨ぐブルマ の裾から伸びる足に色気を感じるのは、相手がトラファルガーだからだと思う。
「先生が…好きだから」
幻聴にしてはハッキリした声の告白は聞き違いでも俺の勘違いでも無かった。今までの態度も好きだからこその物だったと思えば急に湧き上がる愛しさに戸惑っていると、ふにっとした物が唇に押し当てられる。それは呆気無く離れた。
それがトラファルガーからのキスだと気付けば、俯いた頭に手を回して引き 寄せてキスしていた。一瞬だけ強張った体は直ぐに力が抜けて崩れ落ちないように腕を首に回される。キスが深くなるほど腕に力が入るのが分かった。十歳以上も年下の小学生にするようなキスじゃなかったが、夢中になって小さい唇を貪った。酸欠寸前になったトラファルガーに髪をぐいぐい引っ張られて唇を離すと腰が抜けた体が覆い被さってくるのを起こした上体で受け止める。
「俺も好きだ」
「ほんと、に…?」
「本当に」
「嘘じゃない?」
トラファルガーがもう十年早く生まれていたらこのまま押し倒していた。そう言う意味で好きだった。そもそも十年早く生まれていたら出会う事さえ無かったが、子供らしく嬉しそうに笑う顔があまりに無邪気で、ぎりぎりの所で踏み止まれた。
「ちゃんと好きだ。生徒としても好きだしそれだけじゃねぇからキスしたんだ。分かるな?」
「うん…おれも先生のこと特別に好き」
「いい子だ。もう一段高いヤツ飛べるようになったら家に送ってやるから頑張ろうな」
猫っ毛の黒い髪を撫で回せば愛らしく笑う姿に最近忙しくて抜く事も出来なかった欲が疼いたが、まだ早いと必死に我慢する。トラファルガーがもう少し大人になったその時までずっと好きでいてくれる可能性は少ないとしても。今はこんな風に笑ってくれるだけでいい。後は妄想で何とか補う。その 行為自体が危ないとしても直接手を出さなければ個人の頭の中にまでPTAが口を出してくる権利は無い筈だ。
それから段を一つ上げて準備が出来ると謀ったようなタイミングで放送が体育館に響き渡った。俺に職員室まで来いと言った内容の放送に、まさかさっきの事がバレたのかとも思ったが電話が来ているだけらしい。動悸の激しい心臓を押さえながら首を傾げるトラ ファルガーにそのままで居ろと言い残し、半袖から剥き出しの腕が寒そうでジャージの上着を頭から被せて職員室に向かって走り出した。
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