Gift | ナノ

これの続き)


軽快なラッパ音が鳴り響く今日の空模様は晴天。雲一つない青空に白い鳩が羽ばたいていく中、誰もが上を見上げていた。広場に面したバルコニーに向かって民衆がざわめく。城下の町の者の視線を独占するその先に、この国の王子はいた。

「これより、王子の戴冠式を執り行う――」







誰とも知らず、キッドは一人溜息を吐いた。
元々病を抱えていた王――自分の父親がこの世を去ったのはつい先日の出来事だった。そこから始まった目まぐるしいほどの日常の変化に、まともに息を吐く暇すらなく。戴冠式を皮切りに、新王になってから初めて行う城下の散策、同盟国への報告や挨拶、王としてこなさなければならない執務に追われ、今まである程度の自由を確保して好き勝手生きてきた王子としての自分と比べて忙しさに眩暈がしそうなほどだ。
しかしそれも今日で終わる。自分が王となってから幾日か過ぎ、民衆も新王に慣れ、同盟国にはすべて挨拶も済ませた。自分がこなさなければならない執務は依然としてあるものの、それ単体で考えれば然程大変なものではないはずだ。明日からは、これまで通りの自分に王としての執務が加わるだけ――これで漸く息も吐けると、キッドは疲れた体を引き摺って自室の扉を開けた。

「今日も一日おつかれさま」

扉を開ければ、耳を突く優しい声。その言葉を聞けただけで心が安らぐのが分かる。ふっと笑みを零すとキッドは窓辺に座る青年に近寄った。テーブルの上には読みかけの本と温かいミルクが置いてある。

「本を読むなら灯りをともせって言ってるだろ?」
「でも月明かりがある」
「そんなこと言って目が悪くなったらどうすんだ、ロー」

キッドがそっと目の下をなぞるとローと呼ばれた青年はくすぐったそうに笑った。大丈夫だよ、と呟いて頬に触れた手にそっと手を重ねる。

「今日も疲れただろ?もう寝る?」
「まさか」

額を合わせ、触れ合うだけのキスを一つだけ。小首を傾げたローに笑って首を振った。

「ようやっと解放されたんだ。明日はどこに行く予定もない…」
「それは落ち着いたってこと?」
「ああ」
「…キッドといる時間が増える?」
「もちろん」

ローには寂しい思いをさせているだろうと思っていたが、強ち自惚れでもなかったようだ。頷けば嬉しそうに笑ったローにその様子が窺える。会えない時間が互いにもたらすのは苦痛だけだ。寂しい、などとは決して口にしなかったけれど。

「寂しかったか?」
「…うん」

静かに尋ねればこくりと頷く姿に愛しさが込み上げる。俺も、と呟けばローははにかんだように笑った。

「キッドはもう王様だからしょうがないんだけどな」
「はぁー、やっぱ辞退すればよかったか」
「そんなの周りが放っておかないだろ」
「よく言うぜ、元王子様」

にやりと悪戯っぽく笑って告げられた言葉に、ローはバツの悪そうな顔をした。確かに『あの時』の自分は周りの迷惑など考えていなかったどころか存在しないものと扱っていたに等しい。よくもまああんな無謀な行為が実を結んだものだと自分には感心さえしそうになるが、所詮は運がよかっただけの結果だろう。キッドに言わせればそれさえも運命などとふざけたことを言うのだろうが。

この青年、ローは、自分が本来人魚であるということを想いが叶ったその日にキッドに告げていた。あの嵐の夜に一目惚れしたこと、人間になりたいと願って上に上がってきたこと、代償として声を奪われたために今まで話すことが出来なかったこと――等々、今まで話せなかったことを、思いの丈をすべてキッドに洗いざらい打ち明けた。気持ち悪いと思われやしないか、そんな話信じられないと言われやしないか、話し終った後でまるで死刑宣告を待つ囚人のような気持ちでキッドの答えを待っていた。しかし隠し通すということはどうしてもしたくなかったから。ありのままの自分を、と思うのは欲深すぎるだろうか、と不安に思うローを尻目にキッドは納得したように笑った。そうしてこう言ったのだ。あの日、俺を助けてくれたのはやっぱりお前だったのか、と。
不思議そうにぱちりと瞬きをしたローにキッドはこう告げた。嵐の夜、海に投げ出されたその時、暫くは意識があったのだと。そうして意識が途切れる瞬間、ふと誰かが自分を引き上げてくれた。ぼんやりと意識を取り戻した時には嵐はすでに止んでいて、自分は浜辺に打ち上げられていて。そしてそれを覗き込むようにこちらを見やる、不安げな瞳をした綺麗な青年――しかし自分が覚醒しきらない意識の中で目を覚ますと、嬉しそうな顔をした後悲しげな瞳で海に戻ってしまった。伸ばした腕は、宙を切り――その様子を、キッドはおぼろげながら覚えていた。その青年、ローの顔も。だから海で溺れているローを見つけたとき、キッドはもしやと思ったのだ。彼はあの時自分を助けてくれた青年ではないか。しかしそう断定するには記憶も、ロー自身もあやふやすぎて、結局最後の最後まで分からずじまいだったのだが。
『あの時』もしあと一歩でも遅れていたら――と今でも考えただけでぞっとする。腕の中に感じる温もりを知ってしまってからは、余計に。

「そろそろ親父さんも認めてくれるかな」
「さあ?でもあの人は帰って来いって言うのが口癖だから」

人間になり、キッドと結ばれてからというものローは魔術師に頼んで王と――自分の父親と対面し、後出し的にこれから人間として人間界で暮らすと告げたのだ。最初は驚き、怒りを露わにした王も、自分の役目も顧みず飛び出してきた自分の浅はかさへの謝罪とそれでもどうしても彼と過ごしたかったんだというその真摯な態度に、キッドと過ごすローの幸せそうな姿に、釈然としないまでも後を引く他なかった。結局王の後は第二後継者に任せられたらしい。
しかしそうと決まった後でも魔術師が置いていった水晶で時折連絡を寄越す王は一介の子煩悩な父親でしかない。何かあったらすぐに帰って来いと、そんな時は来ないと分かっていてもその言葉はやはり口を吐いて出るのだ。その様子に一番のライバルは親父さんだな、とキッドは苦笑した。

「厳しいな……王になるメリットとか親父さんに認めてもらえるようになるかもしれないってことしかなかったのに」
「口に出さないだけで認めてるよ、あの人は」

ふふ、と笑ったローがキッドの頬を撫でる。その手を取ったキッドは、そっと手の甲に口付けた。

「一介の市民に傅いてくれるのか?キッド王は」
「市民?俺は自分の妻に傅いてるんだ。王としても、一人の男としてもな」
「つ、ま…って」

伏せった瞳を持ち上げたキッドが、あまりに真剣にそう呟いたから。ただのからかいだったはずなのに、思ってもみなかった返答を受けたローの頬にさっと朱が走る。真っ直ぐにこちらを射抜くその瞳に目を伏せる。ぎゅっと腿の上で拳を握った。嬉しいのに、素直に喜べない自分がいた。

「…キッドは、妃をとらない、のか」
「お前がなればいいだろ。法律なんざいくらでも捻じ曲げられる」
「そーいうことじゃなくてさ……」

そこまで言ってローは口を噤んだ。
人魚だったときは人間になることばかり考えていた。でもいざ人間となった今では、どうせなら性別も変えてもらえばよかったと思っている。そんな方法があるのかないのかは別として――当たり前の話だが男同士では子供を授かることが出来ない。薄々考えてはいたが、キッドが王になった瞬間からローは今後の自分たちを案ずることが多くなっていた。城の者たちは自分たちの関係を知っているが、キッドのことを好ましく思っていない人間が王には男色の気があるなどと裏で馬鹿にしていることを知っていた。
ローの出生についてもキラーたちのようにキッドの信頼の元にある、ごく限られた一部の臣下しか知らない。そのため、あんな身元の知れぬ男を城に住まわせて、とそういった人間たちが自分を快く思っていないことも知っていた。そういった一部の人間たちは今後自分たちの関係に口出してくる機会もあるだろう――特に、跡継ぎの面で。しかしその口出しが正論でしかないことも分かっていた。だからこそ気が重いのだ。それはもちろん、しかるべき時期になったら由緒正しい家柄の令嬢を貰い受けたほうがいいに決まっている。王としては。そう分かっているのだが。自分の独占欲が、嫌というほど邪魔をした。

「……跡継ぎとか、大事だろ…?」

しかしいつかこの話はしなければいけないと自分でも分かっていた。まだいい、まだ大丈夫と今までは向き合うことから逃げていたけれど、不安定な台の上に立たされた幸せなどいつ崩れ落ちるか分からない。ローはぎゅっと握った拳に力を入れると震える声で呟いた。はっきりさせるにはちょうどいい頃合いじゃないか。いまここではっきりと――。

「何だ、そんなこと心配してたのか」

そう、意を決して放った言葉にキッドはあっけからんとした表情で肩を竦めた。大したことないとでも言いたげに告げられたキッドの言葉に思わず全身の力が抜ける。

「そんなことって……」
「どうにかなるだろそんなの。親族の中から誰か立てりゃいいし、優秀な子を養子にしたっていい。反対する奴もいるだろうけどな、俺には逆らえねェだろうよ」

何たって王だからな、と笑ったキッドにそれは職権乱用ではないかと思いつつも、今まで思い詰めていた自分が馬鹿らしく思えるほどにキッドはあっさりと胸中の不安をさらっていった。一見楽観的ともとれるその口調も、笑みも、力強い眼差しによってその真剣さが窺える。ローはゆっくりと顔を上げるとじっとキッドの瞳を見つめた。

「キッドは…それで、いいのか」

その一言に全ての想いが詰まっていた。今の自分たちの関係も、その未来も、こうして触れ合うことの意味も、全て。ずるい聞き方だと思う。愛してると囁かれるだけでは満足しない貪欲な自分がまさかこんな形で現れるとは。それでもそう聞かずにはいられなかった。答えが、欲しかった。王となったキッドの隣に、このまま自分はいてもいいのだろうか。その答えが。

「――俺はお前以外に妾をとる気はない。誰に何を言われても……俺はお前だけのものだ、ロー」

それじゃ、不満か?と。囁くような声で優しく見つめられ、捧げられた答えはローにとって十分すぎるほどのものだった。こんなにも望んだものすべて、与えられてしまっていいのだろうか。不安になるほどの幸せが胸中に満たされていく。左手の薬指にキスを落としたキッドに、ローはくしゃりと泣きそうな顔で笑った。

「俺も…キッドだけのもの、だから」

そっと囁かれた言葉。月明かりの下、愛を囁くローは、愛を囁かれて嬉しそうにするその姿は、とても綺麗で。キッドは両手で頬を包み込むと、その唇にそっとキスを落とした。
触れ合うキスは今まで何度もしてきたが、深いキスはまだ数えるほどしかしたことがない。舌を絡め取ればたどたどしい動きでもって返される。必死に舌を動かすその姿が可愛く思えて仕方がない。薄目を開けてローのその姿を眺めながらキッドは目を細めた。擦り合わせた舌を強く吸ってやればびくりとその肩が跳ねる。何度も舌を絡め、執拗に追いかけ、口端から洩れる声が引っ切り無しに耳を刺激するころに漸く長いキスを終わらせる。唇を離すと唾液の糸がプツリと切れ、目元を赤く染めた荒く息を吐くローにキッドはごくりと喉を鳴らした。



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