甘ったるい沈黙
「また、失敗しちゃった……」
ポツンと呟いても誰からも返事はない。当然だ、ここは人目が触れることのない私だけの場所だから。
大きくて穏やかな光を月が照らしてもあたしの心は晴れない。断崖絶壁の岩の端に腰を落として、足を投げ出す。
風が心地良い、何よりも自分を追い込むことで罪悪感が減るような気がして軽くなるり
小腹が空くと思って持ってきたリンゴをまじまじと眺めて、失敗したと自責を募らせる。
圧迫される痛みと気分が沈んでるときはどんなに好きなものでも喉を通さない。受けつける気にもならなかった。
失敗の連続だ。今日の任務での出来事を思い出してまたひとつ、ため息をこぼした。
「足引っ張っちゃったな……」
そこまで難しい任務じゃなかった。あたしがほんのすこし気を抜いたせいで仲間がケガを負ってしまった。
眠る気になれなくてとじ込もっていても苦しかったから胸の奥にたまる陰鬱を消したくて深夜徘徊をしている。
せっかく木の葉隠れで中忍試験があるのに今回の失態で仲間の負傷してしまったから出られないだろう。
……その責任はあたしにあるんだ…………。
感情がバラバラと揺れた。目元が熱くなって何度もまばたきをして溢れ落ちそうになるものを塞き止めた。
ふいにバッと振り返った。背筋に寒気が走った。
なんか一瞬、ひとの気配がした。呑み込むように恐ろしく思えるほどの……誰……?
座ったまま後ろの人物を見上げたら「愛」の文字が目に入った。誰?
眉間にシワを寄せてものすごい睨んでくる。えっ、誰。
赤毛はなんだか疲れてるようにみえた、隈がひどい。
風にのってかすかに血の匂いがしてケガをしてるんじゃないかと疑った。だけど、赤毛は無傷のようにみえた。
ケガ──任務での失敗……。
別のことで頭がいっぱいになった。
班員にもこんな風に睨まれた光景が脳裏によぎった。どうして、知らないひとにもこんなに睨まれているんだろう。
些細なことのはずが、無性に癪に障る。
「何ですか? ほっといてください。リンゴあげますから」
モヤモヤとした感情が包み込んで、取り払うように言い放った。
彼の返事も聞かずにあたしは持ってきたリンゴを投げた。
赤毛の彼の手に収まったのを確認して、彼に背中をむけた。
ゴリッ……と、みずみずしく弾ける破壊音が耳に届いて、もう一回あたしは振り返った。
うそ……ただただ目を見張った、赤毛に渡したリンゴは彼の手のひらで粉々になって、地面に落ちていて、まるであたしの心みたいだった。
果汁で彼の手のひらを滑る滴と共に……それは涙のようにもみえた。
「こうなりたくなかったら」
なぜか分からないが、赤毛は目に見えるような怒りを露にしていた。
「オレに話しかけるな、殺すぞ」
あまりにも殺気で心臓の音しか聞こえてなかった。
なんだか恐ろしくなって立ち上がってその場を去ろうとしたけど、血の匂いが気がかりで、いつも肌身離さず持っている医療ポーチを赤毛が目のつくような場所に置いといて、来た道を戻った。
無傷にみえてケガをしてるかもしれない……せめてもの罪滅ぼしだと思ったけど、改めて考えると自分の行動に後悔した。
医療ポーチをリンゴのように粉々にされると思うと胸がいたくなった。
だけど気遣いが赤毛に届けばいいと願っていた。
それから中忍試験への日が近くなると里は何だか騒がしくなった。
嫌な思いをしたというのに、あの場所に、赤毛と遭遇したところへよく訪れていた。
失敗で独占される陰鬱な胸の奥は以外にも広大な景色を目の当たりにすると丁寧にぬぐい取られてる。
なんだか落ち着くそんな特別な場所なのに、決まって赤毛がいたのが気に入らなかった。
こいつがいると雰囲気がピリピリと張りつめて嫌になる。
そんな時、中忍試験期間中は一度も現れなかったから出場したのだと予測した。
何だか寂しかったのは、この場所が広く感じたせいだ。そうに決まってる。
そして中忍試験が終わったあと──木の葉崩しが失敗に終わったあと、赤毛とあたしの関係に変化が生じた。
赤毛の警戒心ななくなった、目を合わせても睨まれなくなった。
少しずつ何かが変わっていって、ついに目を合わせたら優しげに微笑まれた。
はっきりと判断はつかないけど……、温かい気持ちで彼と沈黙を共有していた。
数日間、同じ時間を共に過ごしていたら赤毛は何か言いたげな表情をしていたけどあたしは無視した。
ある日のこと無言でリンゴと、いつかの医療ポーチをあたしに向かって投げられてお礼を言われた。
その時のお礼の言葉はぜんぜん覚えていなかった。はじめてみた赤毛の笑顔のせいだ。
──……ほんとうは、嬉しかった……。
伏し目がちで告げられたけど、照れや喜びが伝わってきた。あたしが恥ずかしくなったくらいだ。
投げて返すな、という文句を呑み込んだぐらいだ。
それ以来からか、居心地はまるで夢心地に塗りかわった。
感じる、確かにある存在に安心感を覚えはじめている。
この安堵感は冷たく澄んだ夜の空気を温める体温のぬくもりかもしれない。
一人で悩む苦しみを、ただ、触れることをしないで受け入れられているような……。
気のせいだと思うけど、ヘコんでいるとき、誰かが傍にいてくれることで生み出す安堵は、絶大だった。
いまはまだ、このままで……。
でも、このままじゃ満足いかない自分がいる。今以上に、彼が、欲しい。
なんでこう思うようになったんだろう、唐突にいとおしさが胸につっかえる。
嫌なやつ。
そう思っていたのに、今は、心から彼にいて欲しがっている。
あ、まただ。またあの目だ。
隣にいつまにか腰かけてきた赤毛を横目で窺う。
不思議な色を秘めた視線だ。妙に優しくてくすぐったくなる。すべてを寛大に受け入れてくれそうな──視線が絡むと慌てて目をそらせば、寂しそうに、こいつは微笑んでる気がする。
あたしは、息を吸い込んで……。
「名前、教えて……」
「! なんだ、急に……」
「あなたのこと、知りたくなった」
どんな気持ちであたしを見つめていたのか。
「あたしのことも、あなたに知って欲しい」
今、あたしがどんな気持ちを抱いてるのか。
沈黙がしばらくの間あたしたちを包んだ。
迷っているようだった、唇がかすかに動いてるのをあたしはただ、目で追っていた。
そして、やっと。
「オレも……」
──と、口にしてくれた。
ああ、そうか彼の名前は「我愛羅」というんだ……。
甘ったるい沈黙
2014.1.31.
加筆修正:2023.08.20.
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