砂漠の雪催い

06

雪曇りの孤月(3/4)

 忘れた手紙を取りに邸宅に戻るとエビゾウ様だけが釣り堀で趣味に時間を費やしていた。


 疑問に思って『あの、チヨ様は外に出られているのですか?』と訊ねると『会議だよ』と教えてくれた。


 私のことに関しても定期的に報告に行っているようだった。

 守鶴の封印にチヨ様が力添えしたようで他にも我愛羅の件も合わせて足繁(あししげ)く通っているみたいだった。

 上役の養子だから自然と話題だけ話に上がってきて自分で調べたり何気ないふりを装って聞いたりしたのだ。

 チヨ様とエビゾウ様は、もう里に未練も未来への想いはなく、興味がないと言っていても周りがそうはさせないのだろう。


 エビゾウ様は『暴走が起き始めてしまったからね』と不穏な言葉を思わず、といった形でこぼしたがすぐに誤魔化すように『心配ないよ』と取り繕った。

 私は自室に忘れていた手紙をとって『忘れ物をしたからちょっと外に出ますね』と告げて外に出た。








 一旦戻ってしまったせいかもう日が落ちてしまった。
 明日にすればよかったかもしれないと後悔しつつもここまできてしまったら引き返すのも惜しかった。

 急がないと。エビゾウ様に『早く帰ってこいよ〜』と釘を刺されたのに、もうあたりは薄暗くても月が明るく晴れている夜の中に包まれている。


「が、我愛羅だ!」

「オ……オイ、こいつ……」


 里内が騒がしくてどこか不穏だった。
 誰かの会話の中に我愛羅の名前が聞こえてきて自然とその場所に足が歩み寄る。

 どうしたんだろう?

 するとどこからともなく「ナズナ様」と呼ばれて声の主を探した。


「あ、えっと……夜叉丸さん……?」


 夜叉丸さんは忍びの装束を身に纏っていて、いつもと違う雰囲気で一瞬誰か分からなかった。


「ナズナ様、お久しぶりです。お変わりないですか?」

「はい、見てのとおりです。会いたかったです……」


 傍に歩み寄ると夜叉丸さんはいつものように目線を合わせるように屈んでくれて私と向き合う。
 用事があって会いたかったのもあるけど、純粋に夜叉丸さんとの会えたのが嬉しい。


 口布のせいで表情が分からないからしっかりと夜叉丸さんと顔を合わせる。
 闇を皓皓(こうこう)と照らす月の中でみえる鳩羽色(はとばいろ)の瞳はどこか孤独そうで諦念(ていねん)も混ざって複雑に淀んでいた。


 近寄れば近寄るほど今日の夜叉丸さんの神経は研ぎ澄まされて周囲の張り詰めた空気感ですら私にも伝染して緊張が走る。
 修行中にチヨ様と対峙している瞬間を彷彿(ほうふつ)させた。


「避難勧告が出ています、ここにいると危ないですよ。チヨバア様が会議で風影邸に寄っていますのですぐそこに向かってください」

「えっ……そうなんですかっ!?」

「それか邸宅にお帰りになって下さい。里の外れにあってきっと、安全ですので」

「分かりました、この付近は危険なんですか? 何か起こるんですか?」


 訊いてみて、多分教えてくれないだろうと直感する。出会って間もない頃、言葉巧みにそらされて別の話題に誘導されるのを恐れて間髪入れずに「あ! あと我愛羅は一緒じゃないんですか?」と訊ねた。


「もう安全なところにいますよ」


 ほっとして胸を撫で下ろす。今日は満月だ。
 満月と我愛羅について夜叉丸さんと二人きりのときに教えてもらった。

 どうやら守鶴の力が活発になって我愛羅はいつもより不安定な状況らしい、安全なところなら大丈夫だ。


「そうなんですね……実は我愛羅に会いたくて夜叉丸さんに会う約束ができないかお願いしようかと思っていたんですけど。今はそんな場合じゃないですよね……」

「そうですね……」

「あの、前のようにせめて手紙だけでも渡してもらえますか?」

「いいえ、もう私に渡すことはできません」


 まるで泣く直前のように頼りなく眉根を下げて言うから不安になる。


「夜叉丸さん……?」

「今日は……どうしてもお伝えしたい事があってきました」


 夜叉丸さんは黙考して、覚悟を決めたよう言葉を発した。


「我愛羅様の暴走が手がつけられないものとなりました。危険極まりないので、もうお近づきにならないで下さい」


 突き放すような言い方だった。


「それに、ナズナ様を傷つけてしまってから我愛羅様は大変不安定です。アナタを傷つけた罪悪感やそしてナズナ様が離れていってしまう恐怖に耐えられないのでしょう」

「え、でもそんな……」


 夜叉丸さん、らしからぬ言い方に違和感を覚えると同時に悲しくなって切なくなる。誰よりも夜叉丸さんから我愛羅から離れてほしいだなんて言われたくなった、聞きたくなかった。


「アナタが誠実でいればいるほど苦しまれるのです、それを何度も繰り返されては……」

「……なら、私は我愛羅と会って話しをして、向き合う必要がありますね」

「ナズナ様……私が先程言ってることがどういうことか分かって──」

「たとえ傷つけられても何度だって許します。罪悪感を抱えるなら一緒にどうすれば前に向けるか考えていきたいです。私からの好意が離れてしまうことに恐れて不安定になってしまうなら、たとえどんなことがあっても離れることがないと、我愛羅が大丈夫だと確信して安心できるまで私は時間を掛けてでも教えなくちゃいけませんよね?」


 乱暴だけど夜叉丸さんの言葉を切って気持ちを訴えてしまう。意見が違っても諭して心をくれる、寄り添って考えて新しい見解を見いだす。夜叉丸さんが教えてくれたように。


「しかしそれではアナタの身が危ないのですよ?」

「はい、夜叉丸さんが私の身を危ぶんでそう言って下さるのはよく分かっています」

「だったら……」

「なので見守っていてくれませんか? 今まで守ってくれたように……」


 夜叉丸さんはついに動揺をあらわにして落ち着かない様子だった。


「どうして、そこまで……」

「突然断ち切ったところでお互いが傷つくのが目に見えてます、私は自分が傷つくより我愛羅や夜叉丸さんが傷ついてしまうほうが苦しいです」

「そうやって意固地になるものではないのですよ?」

「意地でもありません、心がそうしたいって決めているんです……夜叉丸さんだってそうじゃないんですか?」


 夜叉丸さんはいつも我愛羅のこと大切に想ってて私のためにも必死だった。
 そして私と我愛羅のお互いのためになるように行動したのは、もはや理屈では説明できない。きっとそこには強い愛情があるはずだ。

 叔父だから、と頭で分かっていて仕方なく世話をしている立場でもここまでできるものではないと思う。


「なんだか放っておけなくて……私一人くらい傍にいてもいいじゃないですか……どんどん自分自身を責めて、こんなに純粋で誰かを想いやれる優しい子がたくさんの理不尽を抱えさせられて生きていかなくちゃいけないのが納得できない、ので」

「ナズナ様、アナタは本当に……困った方ですね」

「でも夜叉丸さん……」


 なんだか嬉しそうだった。


「いずれ後悔するようなことになってしまっても……それでも、ですか?」

「はいっ……! だって私の支えになる時間を貰えたのは事実なんです、後悔なんてしません」


 言葉を受け取った夜叉丸さんの腕が私を捕え、そのまま引き寄せられて胸の中に沈んだ。
 労るようでいても力が込められた優しくない抱擁でも大事にされているのが伝わってくる。


「ナズナ様は物分りのいい子だと思っていましたが、誰かを想うことになると(かたく)なですね」


 服越しから伝わる夜叉丸さんの体温があったかい。久しぶりにも感じられるぬくもりに静かに浸った。私のことを心配しているんだと分かって、肩に食い込むほどの締めつけが嬉しかった。


「理性が働いてる頭の隅で自分は何をしてるんだと、我愛羅様が助けたがってるからといってアナタを救うことは正しいのか? と自問してました」

「夜叉丸さん……?」

「もしかしたら何か大きな運命めいたものを無意識にも感じていたのでしょうね……」


 大切なことを教えるように語るから私は黙って傾聴してた。


「身勝手にもナズナ様にあえかな希望を抱いて話してしまいそうな私を許してくれますか?」

「聞きたいです、夜叉丸さん」


 聞かなくてはならない。
 どこか切羽詰まって後がない様子の夜叉丸さんの希求(ききゅう)に応えたかった。


「これは私のひとり言だと思って聞き流してもらっていいですからね」と前置きをした。


「想い続けることをやめなければ絆が途切れることはありません、たとえ道を違えてしまってもいつかきっと重なります。だからどうか、今抱いてる我愛羅様に対する想いを捨てないで忘れないで」


 夜叉丸さんは言葉を切る。微かに我愛羅様を、と聞こえた気がしたけど凪いだ風の音と溶けてしまって気のせいかもしれない。

 私はただ夜叉丸さんの次の声を待った。


「……護って下さい」


 私に安心を与えてくれた穏やかな鳩羽色の瞳が不安で揺れてると胸が痛くなる。私、この人の優しさも弱さも痛みも意志を少しでも背負いたい。


「夜叉丸さん、困難な道でもこの出逢いが幸福だったとそう言えるように私は歩んでいきたいと思います」


 そっと身体が離されると、ふと夜叉丸さんは包帯の巻かれた人指し指を愛おしむように撫でながら言葉を続ける。


「もっと、伝えたいことがあった……」


 伏せられた瞳はとても悲しげだったがまるで愛を囁いてるようだった。夜叉丸さんは瞼の裏に誰を思い浮かべているんだろう。


「気づいていましたよ、アナタは全てを寛容に受け入れながらも本心はあらわにしない……だからこそ何も触れないでいましたが振り返ったその時に誰も届かないところにいかないで下さいね」

「あの、それって……?」


 一体どういうことなのだろう。すると私の後頭部に夜叉丸さんの手が伸びてきてそっと撫でられる。

 その感触は心地よくても離れるのを惜しむようでもあった、まるで最後とでも言うように……。


「いつかきっとアナタが抱えてる秘密もその孤独に気づいて癒やして受け止めてくれる人がきっと現れる、と思っていますから」


 優しさにくらむ。私は惑わされずに胸の引っ掛かりを解きたいばかりに聞いてしまう。


「あの様子がおかしいというか、夜叉丸さん何か隠そうとしてませんか、もしかして今回の避難勧告と我愛羅は何か関係してっ──……」


 夜叉丸さんは口布を外したかと思うと私の前髪をそっと払いのけてそのまま額に口づけを落とすのだった。


「夜叉丸さん……っ!」


 慌てることもできずに目を瞬いて固まってしまう。歓喜に震えながらも絶望にも似た気持ちが這い上がって、どうしてか悲しくて途方に暮れる。


「アナタの未来を祈ってます」


 その場に立ち尽くして呆けていたら、夜叉丸さんは困ったように微かに笑み浮かべたあとに音もなくその場を立ち去ってしまった。


 初めてだった、憧れた人から、異性として意識した人からの想いは──たとえそれが親愛からくるもので未来への希望と激励(げきれい)だとしても。それ、でも……。


 ずるい……疑問も何もかも夜叉丸さんの想いに一瞬にして覆されて、翻弄されてしまった。


 (うずくま)って火照る頬と心拍と、混乱する頭を鎮めることに徹していた。




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