※10話ネタバレ




生きていた記憶は一体どこに記録されるのだろうと問われて、私はここだと即答することができない。脳か。心臓か。それとも子宮か。ぽつぽつと天から雨が降り注いでいるのを私はぼうっと下から見上げている。身体を浸している水が波を作ってざぷんと小さく音を立てた。ちゃぷちゃぷとたゆたっている。暗雲がぎっしりと詰まった空には白いモノクロ映画に黒点が散るように、白い雨が舞って消える。私達はなんて―脆いのだろうと。砕け散った世界の中で、ぼやけていく希望の光を求めていた。せめて己の記憶を、USBよろしく保存しておきたいと。愚かにもそんなことを思って。私は、



「見てよほむらちゃん」


「見たくない」


「見てみてよ」


「見たくないわ」



ほむらちゃんは目を閉じている。脆い自分と違って、彼女の身体には何の傷もなくて。ただ悔やむように唇をぎりぎりとかみ締めている。ほむらちゃんなんて呼ばないで。私は吸い込まれそうな空をじいっと見つめている。雨が降ってるよ、ほむらちゃん。ほむらちゃんは軋んだ身体を無理やりといった具合で起こして、手の中の紫の宝石を側の瓦礫の合間に投げ捨てる。あなたがほむらちゃんなんて、呼ばないで。私は静かに笑いながら自分の手を持ち上げてひらひらと動かした。雨はすり抜けて私の顔を打つ。ほむらちゃん。私がそう呼ぶたびに彼女は痙攣するみたいに震えて、聞こえることのない嗚咽と流れることのない涙を漏らして空気のように泣く。ほむらちゃん。ほむらちゃん。優しい声で、可愛い声で、か細いのに奮い立たせて搾り出すような甘い声で。愛しいあなたが求める声で、ほむらちゃんと私は、啼く



「あなたを助けたいんじゃなかったのに」


「後悔してる?それならやり直せばいい」


「言われなくてもそうするわ。私は、何度だって」


「同じように世界を生きて同じようにここで泣くの?」


「次は泣かない」


「笑って死にたいんだね」



まどかにありがとうって言って。大好き愛してる、も添えて?あなたは笑って死にたいのね。ほむらちゃんは私の上に跨って服を掴み引っ張り上げた。ふざけないで。助けられたくせに。あなたは私に救われたのよ。ほむらちゃんは今にも泣きそうな顔のまま止まっている。嫉妬だ、と心のどこかは囁いている。彼女が私に向けるものと私が彼女に向けるものは似て非なる同一事象である。愛しくて愛しくて、いつの間にか踏み外した底知れない嫉妬心。あなたも助けて欲しいの?ほむらちゃんの目は臆病なまま、あの日のままだ。どれだけ時を重ねても、どれだけ何かを壊しても。

ほむらちゃん。

彼女の呪い。私達が愛している、砂糖菓子のような魔法使いの女の子がかけた、きらきら光る星空みたいな呪い。誰も幸せになれない円環。私は、。雨が嵩を増した。たゆたう水には私の粒子が溶けていく。彼女の腕を枷として縛る金属がかしゃんと無機質な音をたてて回り始める。たすけ、るから。何度だって。眼球を押し込めていたガラスは割れ、泣きながらほむらちゃんは私に抱きつく。たすけるから、なまえ。ノイズのように霞んでいく。彼女の身体も声も、そうしてこの世界も、暗雲になって世界を覆いつくしたまどかに飲み込まれて同じように消え去るのだろう。あなただけが再び、一人ぼっちの平和な日常に引き戻されて



「まどか?」



私は呼ぶ。私達の願いと希望は、どこまでいったら、綺麗な形を持てるのだろう。ほむらちゃんの心は、ぼろぼろだ。あなたのせいよ。まどか。ほむらちゃんはあなたしか見ていない。私なんて、けしごむみたいに、どうだっていいのだ。瓦礫の隙間で倒れていた卵型の宝石はきらきらと光って、何よりも美しいと主張しながらほむらちゃんと一緒に跡形もなく消えて。彼女の中の記憶は記録されても、外の人間の彼女の記憶がどこに留まるのか私は知らない。彼女が戻る世界の私は、彼女のことを覚えてなんてないのだ。愛したことも。逃げたことも。助けられたことも。次の世界は、共に遠いどこかへ消えてしまおうと約束したことも。ああ、彼女の救いは、今ここで潰えようとしている。


希望では外に出られないとほむらちゃんはいつ気づくの、まどか。


私は喉を潰したような汚い声で泣いた。彼女が決して流せない、汚い涙をぼろぼろ流した。彼女の愛しい、お姫様の前で。憎しみと嫉妬と絶望に塗れて私はきたなく泣き続ける。かみさま。この世界にほんものの希望をください。みんながたすかるはこぶねをください。私はそれに、乗れなくてもいい。雨はどんどんと質量を持って襲い掛かるように降り注ぎ、私の身体は瓦礫と一緒に水没していく。脆い。まどかに食べられてしまうこともなく。私はここで、溢れる雨水に食われて没するのだ。ほむらちゃん。あなたもそうやって、一度は私と同じ場所にいってよ。一度でいいよ。そしたらもう、あなたは二度とひとりぼっちで苦しむことはないのだから



月が落ちてくる夜


(希望なんていらない)