温かい夢を見ている。羊水の中で、薄い膜に包まれ、深くまで沈んで目を閉じる感覚で、ああ、誰かに、抱かれている。誰かに覆われて―温かく一本の肉の鎖に繋ぎ止められ浮かんでいる。宇宙が見える。母体の胎内には那由多の空間が敷き詰められている。瞳を閉じられて身体は畳んで動けないまま、空間だけが限りなく広がって、置き去りにされそうになるのに膨張は止まらない。夢みたいにあかるい。夢みたいにきもちいい。夢みたいに、夢みたいに、しあわせ。誰かに抱かれているみたい。これは、私の夢?いいえ違う。あなたのゆめよ。そう、なまえの夢。誰かが囁く。そもそもどれが私で誰が私じゃないのかわからない。あったかくてみどりいろ。萌黄色。若葉の色新芽の色閉じた瞼の裏の色、包まれてるのはあなたの瞳のなか。「…こいし?そこにいるの?」毛布の中に誰かいる。壁の側を向いて眠る私を後ろから抱き締めてる、やわらかい感触。「なんだぁ。おきちゃったの、なまえ?」やわらかい声。起きたのならこっちをむいて?と言葉が紡がれると同時に私の身体はくるりと反転し、それでも瞼が開くことは無い。暗闇だ。目前に吐息の感触。甘い香りがした、お菓子のような香りだ。「うん、かわいい。可愛いわとっても。素敵な顔よ。だいすき」ちゅっと音を立ててこいしが私の唇を攫う。瞼が開かない。封じられてしまったよう。願っても願っても開かない。ああ、絡め取られてしまった。寝ている間は無意識の塊だ。そしてこいしは無意識を操れる。結果、寝込みを襲われることによって私の身体はたとえ意識が戻ってきても彼女の支配下に置かれることとなり、「…ふふ!おこってるの?嘘よ。目を開けていてもなまえは可愛いものね。笑ったり怒ったり悲しんだり、拒んだ顔だって可愛かった。知っている?恋をしてるとなんだって可愛く美しく見えるの。幸せよ。とても。汚いものなんて、何も見えないの。素敵でしょう?世界がとても美しくて、どきどきする。ああ明日はどうなるのかな、明日はもっと綺麗になるのかな、って。恋ってしあわせ。胸がきゅんって苦しくなってでもあったかくなってねそれでね」暗闇の中にはこいしの声だけがぽつんと、池に小石が投げられたようにあらわれて、わんわんと波となって広がっていく。なまあたたかい夢の感触が残っている。身体に絡むように。



「―いやなことはなにも、みえなくなる」



私の瞼を誰かがなぞる。こいしだろう。たぶん。きっと。私は視覚でしかあの子であるという確信が持てないから、こわい。朝から晩までゆめみてるみたいなこいしの声を出しているのが別のものだったら。とか。私の身体を縛っているのが無意識ではない能力だったとしたら。とか。「こわい。これを、といて」うふふと楽しそうに声は笑う。「だめ。なまえはずっとこのまま私と同じように、恋の中で生きるの。しあわせにしてあげる。私が、誰より、あなたを。つらいこともこわいこともない場所で、一緒に遊びましょう、ずっとずっと。私がまもってあげる。きたないものから、いらないものから」ここを閉じてるときもちいいでしょう?手がゆっくり私を撫でる。震える。身体が。動けないけど。望むものも望まないものも全部見えない。求める存在も知覚できない。何もかもが幻想みたいなこの場所で、あなたが見えない恐ろしさ。無意識がいたくて、くるしくて。意識さえ潰れそうになる。「こいし?」おそろしい。誰かが笑った音がする。「なまえ」―なにがいやなことでなにがきたないことでなにがいらないことなのか、心を覗けない私はきっと一生わからない。「こいし、私を」こいしが私を抱き締める。暖かい。気持ちいい。わからない、わからないけど。私はこいしがみえないのがいやだ。「私をだきしめたりしなくていいわ。私がだきしめてあげるもの」あなたに触れられないのも、あなたにうまく言葉を紡げないのも。心さえ動かせない。身体だけでなく。こいしのことしか考えられない。無意識を完全に密閉されて、意識が一定の場所から動けなくなってしまった。「こいし、やめて、おねがい。私、こいしのことしか考えられなくなる」「あら、嬉しい。それが恋よ。なまえは私に恋してるのね。うふふ、私とおなじ!」心底うれしそうにこいしは私に抱きついた。きゃっきゃと喜び、やっと私に恋してくれたんだと歌うように繰り返す。あたたかいものに包まれて。胎児のように、母体に依存し保護されてそうしてそのまま。そのまま。「…すき。だいすき。だれよりもなによりもあなただけ。だれにもわたさない。死んだってお燐にも死神にも運ばせない。私が食べてあげる。すこぉしずつ、あじわって、よぉく噛んで食べてあげるわ。ああ、たのしみだなぁ…目を閉じたなまえとずっといっしょ。あっもちろん死ぬまでもいっしょよ」こいしは独り言が得意だ。まるで私が返事をしているように、会話を一人で紡いでいく



「逃がさないわなまえ。あなたの周りは全部私が埋めちゃった」



私の瞼はゆっくり開く。こいしの不思議な色をした瞳と目が合った。ふわぁと横になったのこいしの顔の上に閉じた黒いひとつだけの瞳が飛んできて私を見つめた。硬く縫合されたように動かないはずの瞼がかたかたと動く。哀しい産声を聞いた気がする。光が一拍遅れて私の視界を埋め尽くした。遠くで赤子が泣いている。こいしは幸せそうな笑顔を貼り付けている。横になった私の上の瞳から一筋涙が落ちて、もう片方に吸い込まれていく。手を伸ばす。触れた瞳はつめたくて、いきものの温度を持っていなかった。



夢を孕む


(母は微笑み子は泣き喚く)