やめようかなぁ、って、思ってさ。


枕に顔を埋めたアズがそう言ったのは、自分がちょうどまどろみ始めたときだったのもあいまって、注意していなければ簡単に取り逃してしまいそうな告白だった。もしかしたらそれを望んでいたのかもしれない。いや、それでも、その言葉を逃してはいけないという漠然とした危機感―彼にありがちなことだった―を、私はおぼえて、注意深く聞き返す。なにを、と。常時入れっぱなしのオッドアイのカラコンが外れた彼の目は暗い茶色をしている。澄んだ、黒目を際立たせるような自然な色。彼が私の手をとる、やさしく手首に唇を寄せる。応えてくれない。

「なにかあったの?」という自分の声はひどく浮かんでどこかにいってしまいそうな軽薄さを感じて少し嫌になる。彼は黙って私の手首を食んでいる。伏された瞳は、必要以上に攻撃的に睨むことか穏やかに逃げるように視線を逃すことしかできない、取り残されたような瞳がゆっくり細められる。「音楽、とか」「とかって」「トモは…ほら、好きでしょ、クラシック。そっちはたまに、弾くから―」私の眠気は静かにしかし確かに遠ざかっていく。「どうして」

私は彼の音楽を愛していたのはもちろん―どちらかといえば、彼の幸福を愛していた。彼が幸せそうに音と戯れるのが好きだった。もとより人を受け入れることはできても自分が他人に受け入れられることがひどく苦手な人だったから、そういった媒体にその身を溶かして呼吸をすることは彼にとってもいいことだと思っていた。だからこそ、彼の選択を曲げたいとは思わずとも、その唐突な終わりには落胆せざるを得ない、いや、落胆なんて大きな感情でなく、ただかなしいと思った。自分の愛情に関係しない場所で終わってしまうことが。

「トモがいるから、いいんだ」そう言って彼は歯を見せないように唇で笑った。私はぺたりと彼の頬に触れる。表面は冷たく、中身は柔らかかった。単純にね、俺は必要ないんじゃないかなって思うんだ。俺にとって仲間が、仲間にとって俺が。そういうものはどちらか片方だったら―ぎくしゃくするかもしれないけどうまくいくんだ。でも、重なってしまったらそこで去ったほうがいいんだ。そういうものだと思うんだ。それでもそこに固執し続けることは、かつて心から愛した人達との関係にだって泥を塗るようなものでしかない。彼はよく喋る。私の前でだけ。

彼は基本的に、運命論者である。そういった決められた事象に唾棄するような態度を取りつつ―決してそれには抗わない。簡単に、本当に、いとも簡単に理不尽を呑んでしまう。それは恐ろしいことだった。さして運命のようなものに表立って歯向かわない代わりに―そういったものの決定を信じたいと思わない私の逆位置にいる。「そっか」私は静かに、それだけを落とす。彼は私の頬にそっとキスをする。

ごめん、と少しだけ声音を落として呟くような息がかかる。私は、ううん、ととってつけたように言う。私は彼の選択に抗えない、抗えないけど―「いいんだよ、俺のこと、いらないと思ったら、トモも」卑屈な笑顔だった。like a shit.「そんなこと思ってないよ」私は嫌いだ。彼の運命を決定付ける総てが。彼から選択権を奪う全てが。「嘘だよ」「これからも続けるよ、ちゃんと。だから明日起こしてね」彼が私に抱きついた。私は、うん、と静かに言う。ふかふかの色が抜けた髪に頬を乗せる。「クソみたいな奴らばっかだね」彼から返事はなかった。でも彼はとても愉快そうに笑う。くすくすって、楽しそうに笑った。嬉しそうに私に抱きつく手に力を込める。


私たちはおそらく、共犯者だ。
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テーマ「人外ファンタジー」
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