かつて助けてほしいと、願ったことがある。


喘ぐように求めるように喉を戦慄かせて、涙でいっぱいに眼球を浮かせて、乾ききった口内をせめて温いもので満たせるように喉奥から血を吐瀉物を取り出そうとして、掴んだ泥は尖って爪の間の肉を抉った。今目を閉じるだけで、あの日の雨音はひどく自分を苛んだ。雨が降っていた。冷たい雨だった。氷を砕いたみたいな、クリスタルの破片のような雨だった。私は確かにたすけて、と声を出したのに喉からは呼吸しか生まれなかった。たすけてと何度も何度も繰り返したのに、私の声は産まれる前に息絶える。男の手が私の髪を掴み、引き上げ笑う。「俺は、」たすけて。もう嫌なの。こんなところで生きていくのには耐えられない。「お前の」寒い寒い雨の中で、酷く熱っぽい吐息だけが自分の耳を掠める。「そういうところが好きだった」涙も鼻水も雨に負けた。長い髪はうまく私の表情を奪った。そういった全ての要因は、私から弱さを見せる権利をも奪い取ってしまっていた。「この期に及んで助けさえ求められねえ―そういう所がな」

誰かを呪ってやろうと決めたのはその瞬間かもしれない。私は強くなんて、なかったのだ。不安で潰されそうだったから気丈に瞳を見開き、組み敷かれて支配されるくらいなら跨って乗りこなす。臆病さは切り込む剣にはなってくれたが、護る盾や鎧を生むことはなかった。一発でも喰らったら人生はそこで終わっていたと思う。―が、一発さえ、満足に入れることのできた人間はいなかった。私は敵陣の奥底まで辿り着いてしまった。私の臆病は、永遠に露呈することも解決することもない飽くなき強さとなって、私に根を張る病へと姿を変えた。つまり、私達は似ていた。その強さの根拠は、その誇り高さの発露は、結局、触れられては自我を保てないほど脆い何かだったのだ。彼の持ち得た領土という名の肉体が、永遠に自分のものではなかったのと同じように。


私の銀色に輝く髪飾りの先端は彼の瞳孔にめりこむ寸前で止まった。彼の手は別に、私の手首を掴むことも私の首にナイフを向けることもしていなかった。ただ横たわり、代わりにガーネットの瞳が投げる視線は私の瞳を貫いていた。「俺を殺すか」香水が湯にたっぷり垂らされ、部屋の真ん中に置かれたバスダブからは慣れ親しんだ甘く沈んでしまいそうな蜜香がする。夜の中に浮かび上がるぼんやりとした毒々しい桃の光と、死んでしまいそうに柔らかいベッドの上で、私の先端は今まさに彼を貫こうとしていた。沢山の男がしたことを―模すことに、何の躊躇いもなかった。「…お前如きに殺れるかよ」「いいこと教えてあげる。死なない存在なんて、どこにもない。人が作ったもの以外に」

彼はそこで声低く嗤った。「その通りだ―」「不死を作れるのは神でなく人間だ」彼の指は私の髪を掬い取る。「私の声は聞こえていた?」―唇が歪んだのが見て取れた。鋭い犬歯が覗き、「聞こえていた」と信じられない一言を発した。…届いていたの?「だが、あの時のお前は知るべきだった。世界はお前を助けない」「なんでッ!!どうしてそんなことを言うの…?私はあなたも同じ存在だって思ってた…だから…」彼はせせら笑うような表情を崩さない。「だから?何だ。そもそも俺様と一介の汚い娼婦のお前の何が似通っていた?流れる血の一滴さえてめえと同じものなんて無い」


歯を食い縛る。


「助けてくれると思ってた」―「あなたなら、助けてくれるんじゃないかって、私を」「連れ出すとか心中とか馬鹿みたいな逃避でなく、本当に、私を」私の喉は震えていた。「めでたい奴だ」「よく此処まで生きてこられたな」永遠なんて苦いだけだ。甘いのはこの部屋の全てしかない。「―もういい」私は目を閉じる。歯を噛み締めたまま、柔らかい感触に先が埋まる。肉の中にゆっくりと埋め込まれていく。そこで物を受け止めることに慣れているような気軽さで、彼は静かに息を漏らしただけだった。私が瞳を開くと、見開かれ固定された右目からは涙のように血が溢れ、もう一つは緩く細められる。慈愛をもって。私は動揺した。何か言おうと思って唇を開いた瞬間、私の左目に彼の指が二本、的確に一瞬で沈められた。――――激痛も視界の黒も受け止めることができなかった。あまりに急すぎて私は喘ぐように鳴き声を漏らした。いた、い。―助けてではなく。



「俺達は盲目になる」



食いつくように私の眼前に彼の顔が迫る。にちゃ、という音をたてて、私の左目は彼の二本の指に眼窩の中で蹂躙され粉々の肉に変わっていく。「お前も俺も生きるしかない」私の唇は戦慄いたまま役割を忘れ、代わりにショックと不快感で喉のすぐそこまで吐瀉物が迫っている。「恐ろしいならこうして目を閉じてろ」頭の中の血液はぐるぐる回って、涙と溢れ出す血となって決壊してしまいそうになっていた。私は押し込まれて脳に届く勢いの長い強張った指を、異物としてでなく自分の神経として受け止めてしまいそうになっていた。「世界は俺達を助けない」それがあなたの優しさと知る。

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