私は今まで一人で戦ってきた自負があるし、それに誇りを持っていた。自分の戦場には敵以外何も踏み入らせたくは無かった。群れるのは弱者の証だと思っていた。強者はいつだって一人で全てをこなすし、人から距離を置かれるものだと思っていた。私は持て余された。色々なところで。決して実力ではなく、そのメンタルの問題によって。認める気なんてなかったから私は長年そういう他人の素敵な助言には耳を貸さなかったし、あたかもそれこそが自分のアイデンティティーであるかのように―振舞った。その実自分の中身はどんどん空洞化し、剥がれ落ちるどころか中身から崩れてしまうのではないかと錯覚するほどに。

次の試験まで時間が空くので、何か趣味で遊んでみようと思って最寄り駅内の楽器店でピースを選んでいたら、爪先立ちで飛び石のように配置されたふかふかの雲の上を渡っていくような、膜が張られたように世界と隔絶された、しかしそれを知っていてなおかつ確かめるように動く硬い電子ピアノの音が響いていた。知らない曲だった。アマチュアバンドのキーボードが、かっこつけて伴奏アレンジして弾いてるみたいなメロディなのに、その指の跳ね方は自分の見知ったものだった。毎日毎日、飽きるほど、物心つく前から自分が続けてきた―私の周りも、皆、そうだ―自分の世界のものだった。

私は指をはなして、振り向いた。近くの、おそらく最も値段が高い(鍵盤の重さが違う!フェイクなんてもう言わせない―と店員によってぴかぴかの原色ポップが貼られている)、堂々と置いてある隣りの、細々としかし安くはない電子ピアノを撫でるように弾いていた男の子の姿が目に入った。霞んだような色の分けられた前髪と、そこから覗くバカげた色のカラコン入りの瞳が、いかにもアーティスト気取りで、私は鼻を静かに鳴らした。あんな男だったなんて!―くだらない、疲れていたに違いない。私は再び愛する穏やかなクラシックの世界に帰ってくる。見知った名前の過去の偉人の言葉に埋もれて、目を閉じる。学問のように統率され、隙も無駄もなく完成され、研究し尽くされた"遊び"なんてものを許さない―完璧な過去の理解及びラーニングから始まる世界は私を安心させ、私の空洞に温かい水を注いだ。水のように、音は入ってきた。耳にぶつかる音楽は柔らかく私の鼓膜を揺さぶり、浸透する。統率され完成され研究し尽くされた、弾き方で。


私が彼のほうに歩み寄ると、彼はものの数歩で手を止める。がたり、と小さく音をたててそうっと蓋を閉め―私の顔を、見た。不気味な人工オッドアイは、焦点を正確に私に絞る。「弾きます?」「別に…電子ピアノなんて弾きたくもない」彼は少しだけ、唇を歪めるようにへたくそに笑った。「最近のはすごく重くて、綺麗だと思うよ」私が眉をひそめたら彼はそのへたな笑いを押し込める。「クラシックピアノ、長いんじゃないの?」「…人並みだよ。長く続いた習い事レベル」「へえ、それで今はアーティストごっこのキーボード担当?ありがちね」「おしい、後半は間違い―ベースだよ。ピアノはメインじゃない」


私は鼻白んだ。


「クラシック、好きなんだね。誰が好き?」「…リストとラフマニノフ」「ドビュッシーは」「私のスタイルに合ってないから、あまり」彼は今度はあのへたくそな一生懸命の作り笑いじゃなく、楽しそうに他人の前で不慣れに笑う。「そんな感じするなぁ」その物言いは、変に気張っていた自分がバカみたいになるほど、彼は私のことなんて平坦な壁に突如現れた模様程度にしか考えていないように見えた。「そんな感じって、なに」「パトリオット」「はぁ?」「うそ。…おかたい、どっぷりクラシックマニア」

「俺の演奏なんて、どうってことないでしょ。俺かこのピアノにケチでもつけにきた?」「強いて言うなら、あなたに。…アンバランスで耳障りだったから」「…どういうところが」「私達みたいな弾き方するから」彼はゆっくり目を細める。とん、と椅子の上に手をついて、私を見る。「………楽しい?アーティストごっこ。」「お姉さんはバンドがそういうものに見えるの?」「見える。プロならまだしもね」「じゃあプロと俺たちの違いってなに?」「…。演奏でお金を取る、「俺たちはその程度もうしてるよ。お姉さんが言いたいのはMステで下手なトークかましたり、どこのコンビ二に入っても流れてないとごっこ遊びは抜けられない、ってことじゃないの?」

彼は決して自分のごっこ遊びでなく、私の価値観のほうを見つめていた。一人の戦場で生きてきた私の前にすんなりと立ち、銃口を眉間に突きつけている。私は搾り出す。「くだらない」―「虫唾が走るの、そういう、楽して楽しく音を自分のものにしてる奴らが」そういう風に弾くものじゃないって、あなたも知ってると思うけど。さっきの弾き方から判断する限り。私が歯噛みするみたいな音で続けると、彼は、こくんと頷いて、「でもね、お姉さん」―「一人だけじゃないっていうのは、悪くないとおもうよ」

一人だとどうしても楽しさがわからなくなってくる時があるんだけど、みんなでやってるとそれは違うものになるんだよね。時々それは音楽でなくてみんなといることが楽しいんじゃないかって思うんだけど、それでもいいんじゃないかって感じるよ。俺は、楽しいんだからさ。楽しい俺が作った方が、楽しいものができると思う。みんながいるって、いいことだよ。

たとえそこに居場所なんてなくたってね。彼はそう言って、私の瞳を上目で見つめた。上も下も右も左も大きさも長さも立っている場所さえわからない真っ暗な場所で、俺はみんなの行き先にサイリウムを投げていくみたいなことをしているんだよ、とぼんやり宙に浮くように彼は言葉を膨らませる。「俺が今まで無心に、楽しさなんて発想もなく、ただ義務的にこなしてきたことが、今みんなで作るもののサイリウムになれたとするなら、それでよかったって俺は思うよ」私は黙って、唇を結んで、その人間であることを拒否するみたいに光ってるめちゃくちゃな瞳を見つめた。ゆらり、と彼の視線はあっという間に私の瞳から零れて虚空をさまよい始める。「…私にも」


そういう終わりが来てくれると思う?

うん。

なぜそう言えるの?

だってお姉さん、俺にすごく似てるから。


―まさか。私が呆れたように息を吐くと、彼は今度は「うそ」とは言わずに黙って流すように笑った。「勘違いしないでほしいけど、」―「私は、楽しいからね。作り出す世界を完璧に統率することが」「うん、」お姉さん、練習魔人って顔してるしね。私は少しだけ心から笑い、言う。「今はその程度の喜びで充分だもの」

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