将来何になりたいの?と聞かれたことがある。

色とりどりの花を扱ったり、はたまたクリームをまぶしたケーキを作ったり、火の中に飛び込んで人を救うヒーローであったり、宇宙という名の遥か深海に沈む飛行士であったり、人を―幸せと安心を守る―警察であったりとか。私たちがまだ子供のころ、その問いはもうすこしはっきりしていた。システムのリズムに乗る前の私たちは好きなように理想の自分を選択し、ごっこ遊びとして投影し楽しんだ。それはもう、めちゃくちゃに―ある時は宇宙飛行士でありながらパイを焼いたり、警察だというのに正体は怪盗、めちゃくちゃだった。極彩色の絵を描いた後に洗ったパレットの水のように、原色がたっぷりと混ざり合っていた。抽出すれば全ての色を取り戻せた。私たちがしていたのは、そういう遊びだったのだ。彼が―5歳の―ああ、今でも覚えている―ひどく、ひどく幸せそうに―おれは―もう―しあわせが―いきるいみがみつかったんだ、―しすてむがもうえらんでくれたんだ―って―笑って―手を引かれて―消えていった―背が見えなくなる瞬間を。




「あーーーあ。スゲェ、真っ黒」


鈍痛だ。はじめに襲ってきたのは鈍痛。薄く手にし始めた視界はひどくぼけて、縁はがたがた。合うわけないピントを無理に合わせようとする行為によって脳にダイレクトに牙が立てられる。刺すような痛みの衝撃で、やっと身体が持ち上がったが、その反動で肩からごわついたコートが落ちる感触があった。目を凝らしてようやく輪郭が掴める闇の中で、私の前に男が背を向けて立っている。そうして、私のサイコパスを面白そうに眺めていて―ゆっくり私を振り向く。奇天烈な銃の真四角の口と一緒に。「グッモーニン、人質さん。今日は災難だったねえ」「…ひと…じち?」がさがさの唇は荒れるどころか傷だらけで、手のひらには握り締めた爪痕が残り、発音したくとも喉には唾液さえ残っていない。「んっ…ん?あれっ?」ひどく痛い頭をふらつかせながら、視線を少しの間合わせると彼はほんの少し狼狽し、コンコンと銃を叩いて、盛大なため息をついてガンホルダーにそれをしまった。「んだよ、コロコロ変えやがって……あー、Shepherd 1へ、こちらHound 4。さっき報告した人質が意識を取り戻したんすけど、記憶混濁の為に犯罪係数が正常値まで回復。執行できません。このまま保護してセラピールートっすかね?」


音声の記号のようだ。声の音階が順番にぽつぽつと発光しているような。それを目と耳で追うのに夢中になっていたら、会話は終わっていた。男―いや、まだ少年と言っても差し支えない。彼は、改めて私の落ちたコートを直し、「立てる?」と冷たく、感情のこもらない声で言った。さっきまで無線の相手に向けていたある種の社交辞令的なカバーも無い。下半身に力の入らない私が静かに首を振ると、舌打ちの後で、私の眼前にしゃがんだ。「乗ってよ、早く」私は彼の背に被さる。彼は私を背負ったままゆっくりと立ち上がり、ひどく凝った臭気の部屋を出た。真っ黒でわからなかったけど、部屋はずいぶんと鉄臭かった気がする。


「すいません」「なに」「ヒトジチってつまり―」「あー、もう、アンタそれ以上何も考えないほうがいいよ。碌な結果になんねーよ?」「…私は、裸だし…傷だらけで、ひどく喉も痛くて…だから、つまり―」「やめろっつの。面倒臭いからこのままセラピーにぶちこむけどさあ、さっきはシャレになんなかったんだぜ?色んな意味で超ラッキーガールなんだから、もう少し大事にしないと」私は口をつぐむ他無かった。けばけばしい繁華街の明かりで暗くなりきれない狭い路地を彼はゆっくり歩いた。彼の背中はとても心地よかった。広すぎない育ちきれていない背中なのに、だからこそぴったりと同化してしまいそうな大きさだった。私は彼のぱさついた髪と、その隙間に覗く白い耳を見ていた。


「…なあ、別のこと考えようか」


表情の見えない彼は心情を伺うことはできないが、その声は甘く弾んでも冷たく無情動でもなかった。奥底で震えるような響きがあった。「たとえば」「もうちょい楽しい話さ。たとえばガキの頃の―とかね。ゲームとかすんの?」「あまり…でもレトロゲームは好きです、ヴァーチャルじゃないやつ」「お、2Dの画面に向かってコマンド入れて戦っちゃう系の?」「そう、それこそ小さい頃から…よくやってたし」だよなあ、俺もなかなかやめらんないんだよね。最新型のがずっとリアルでさあ、操作性もダンチなのに―彼の声はふわりふわりと反響し、ふわふわに混ぜた生クリームのように私の中で渦を巻き、柔らかく自分のガラス玉のような精神が叩きつけられたときのクッションとなっていた夢を思い出した。極彩の中の原色、消え失せる背中。


路地の向こうの開けた道路で赤色灯が回っている。たくさんの人がいる。「…どうしてアンタが選ばれなきゃいけなかったんだろうな」「えっ?」「計算しつくされた社会で、完璧なシステムに従って、不安要素は全て俺のように―ある一定の幸福を与えられて隔離される世界になったのに、どうしてアンタがこんな役回りに選ばれなきゃいけなかったのか、バカで犯罪者の俺には理解できねえよ」―――――。路地を出たところで私の尻はストレッチャーの上に乗り、私は初めて振り向いた彼の瞳を明るい場所で見る。諦めたように冷たく膜が張られ、軽さに優しさを内包した色を持つ音程は再び不必要な上下運動を見せ、こちらに歩み寄ってきた眼鏡をかけた神経質そうな公安局の刑事さんに向かう。眼鏡の向こうの氷のような視線は私の瞳を貫き、優しい彼はほんのり歯を見せて笑って「お大事に」と手を振った。


―しゅうくん。


私の唇はゆっくりと、動いた。彼が泣くように目を細めた。私の頭はそれ以上の情報を搾り出すことはできなかった。彼の幸せは、彼の生きる意味は―あの―真っ黒の鉄臭い部屋の中にしかないのだろうか。警察にして怪盗だった自由な彼は、いま、ハウンドにして犯罪者の、不自由な少年として面影を留めるだけだった。美しく透く自分のデータが灰に染まった気がした。しゅうくんのしあわせは、ちゃんと、あの、不明瞭な闇の中に、きちんと存在していたのだろうか。私の身体に残るたくさんの痣や傷や体液の下に広がる鉄として。しゅうくん、しゅうくん、しゅうくん―幼い私が声を出す。その幸福の中に悪魔のような叫びを上げて這っていたのが私だと気づいたときの彼の瞳が脳裏を掠め、その傷口を縫うように私の脳髄には再び深々と猟犬の牙が、刺さる。

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