わかるだろ、という定型詞が嫌いだ。you know,じゃねえよ、知らないよ。という気分になる。大抵の場合、そういうものに限って自分と相手の言いたいことはずれてたりして、したり顔で向こうはそんなこと言っちゃって、私は余計な気をいっぱいまわして、「ああこの女は物を知らないんだ」みたいな顔をされて、しょうがないなあって向こうは頼んでもいない私に優しく説明してくださる。無知な女に教えてあげちゃう博識な俺カッコイー。その程度の安物で容易く充足できる自尊心おばけ。そんなことはどうでもいいのだけど、私の恋人はさっぱり物を教えてくれない。遠まわしに「自分で調べろ」という旨を込めたコメントしか返さない。先日私がオフサイドの説明を求めたら数秒間を空けてから「俺もよくわからない」などとのたまった。お前が知らないわけ、あるか。

その数秒の間に、一体何が起きたか私は知っている。彼はきっと私に説明する段取りを立て、その途方もなさにさらりとあきらめたのだろう。まずその面倒くささに気力をそがれ、そこまで国語が得意だったわけでもない自分が説明するよりももっと正確に精密に解説してくれる便利なものが私達の周りには溢れているからだ。『それをするのは自分でなくてもいい』と思った瞬間彼は明確にやる気を失ってしまう。素直なことだと思う。私はパソコンを立ち上げる気力も起きないから、びっくりするほど冷たい目でしんしんと本を読んだままの彼に寄りかかる。彼はそういうとこ、おばけじゃないなあと思う。本来の姿の自尊心を持っているのだと、おもう。私は彼の冷たい目が好きだ。どうでもよさそうに、流されながら波を越えていくような、その目が。

基本的に彼はいつもつまらなそうに生きている。一切笑わないとかいつも遠い目をしてるとかそういうすこし勘違いしてる人なわけではなく、人並みに笑うくせにちっとも楽しそうに笑わない。こうしておけば相手もそういう顔するからこうしておく、みたいに。鏡のように。だから一人で部屋に入れておけば彼は本当に冷たい目をする。笑わない。表情が削げ落ちる。反射しなければ表情を作れない生き物。刺々しい拒絶よりも、受容するだけの流動体はずっと怖い。今はもうだいぶ慣れたけど、たまに怖くなる。私が此処にいても良いのか聞くことが、許されているの確認することが。私がそれを問いかけた瞬間、崩れ落ちて全てきえてしまうのではないか、と思う。手のひらを押し付けた頬は、かたくてひんやりしていた。艶やかに光る黒目がゆっくりと動いて、私の瞳をちらりと覗き込んで、再び活字に戻っていく。


「あのね、私、ここにいてもいいと思う?」

「それをどうして俺に聞くの?」

「…だって、ここ、は」


彼は少しだけ煩わしそうに鼻から息を吐く。本を持ってるほうじゃない片手が私を引き寄せるように動いて、黙った。私はそれ以上もう何も言えなくなって、なんだかすごく無粋なことをしてしまったと思って、おとなしく彼の腕を抱え込む。私は膝を折って自分の身体に出来る限り寄せて小さく小さく、荷物みたいに丸まった。「好きにすればいいのに」「出て行けってこと」彼が少しだけ眉をひそめた気配がある。「俺、そんなに器用に嫌味言えないんだけど…」「そうでした、すいません…」そしてまた沈黙。もう、だめだ…リセットして今日彼の家に来たところから選択肢を全部選びなおしたい、それくらいだめだ。私がああああってなって腕を抱えこんで足をばたばたさせてると、ぱたんと本を置く音がした。


「ね」

「っはい!」

「構って欲しいの?」


私の顎は下から持ち上げられていた。彼の可愛らしく、それなりに整った顔が横向きに見える。何の感情もない。何の要求もない。私の面食らったような顔だけが反射する。私はその状況把握の数秒の間に色んな回答を考える。彼の機嫌を伺う沢山の選択肢を流すけど、あっという間にそれは排水溝に吸い込まれる水のように消えていく。消え入りそうな声で「…うん」と言ったら今日はじめて彼がほんの少し唇だけで笑って、「言えよ」と吐息にかき消されそうなくらい仄かに低い声を出す。結局彼は全て理解しているから、どうしようもなく恥ずかしくなる。you know,私はいつだって、あなたにかまってほしいだけだよ。
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