世の中そううまくいくことばかりではない。
普段なら何だって俺の手のひらの上で転がっていくはずなのに、ただ一つ、ただ一人、俺の近くにいるのに俺の思い通りになんかならない女がいるというのは、多少なりとも腹立たしくある。
まあ、それが面白くて近くに置いてやってるんだけど、それにしても、なんか、…腹立つんだよねえ。


「ただいま」

「…ん」


あ、今日は返事かえってきた。
そんなことに少しホッとしてしまうほど、最近の俺たちに会話らしい会話はない。
昨日なんてただいまと言ったにもかかわらず、彼女が俺の存在に気付いたのは俺が帰宅してから悠に1時間も過ぎた頃だった。
それも「あ、いたんだ」という一言で。
大体俺の家に俺がいることの何がおかしいのかって話だと思う。俺の家に彼女が当たり前のようにいて、家主に向かって「いたんだ」はないだろ。常識的に考えて。


「ねえ、最近ずっと思ってたんだけどさあ、君ってなんで俺の家なのに我が物顔で当たり前みたいな顔していられるんだろうね」

「じゃあ出て行く」

「そういうことじゃなくて、ちょっと待って」


最近の二人を覆う空気は決して最初の頃のようなものではない。それは俺自身がよくわかってるし、彼女もわかっているだろう。
いろんなことがご無沙汰で、確か人並みにお付き合いとやらをしていたような気もする。のに、まあこれが所謂倦怠期と言うやつなんだろう、と冷静に分析するくらいには人様の恋愛模様を把握しているつもりだ。


「臨也、コーヒー」

「…淹れてくれるの?」

「持ってきて」

「………」


そういえば最後に彼女の笑った顔を見たのっていつだっけなあ、とは思う。感傷的になるのは俺らしくないけど、頭に浮かんだひとつの疑問をたどる内、笑顔どころか怒った顔も見ていないことに気付いた。
それどころか表情を変えた記憶も無い。


「NAME、俺たちって一応付き合ってるんだよねえ」

「あー、…そうだね。なに、別れる?」

「それは困る、かな」


いや、困ることなんかただのひとつもないんだけど。こんなの全然俺らしくないじゃないか。
駒なんか使い捨てで十分だ。ただ一緒にいるのが心地良いと言うか、安心するというか、ただそれだけの女じゃないか。
心地良いとか安心するって言うなら別にペットでも飼えば済む話だ。勿論ペット相手じゃできないこともあるけど、別に俺はその為に彼女と付き合ってるわけじゃない。
じゃあなんで付き合ってるんだって言えばそりゃあペットとは違うって、そういうことだろ。


「ふーん」


別れる?と聞かれて困ると答えているにも関わらず彼女は無関心を決め込んで、雑誌を読みふけっている。
俺がこんなに悩んでいるというのになんでこの女はこうも無関心でいられるのか。
どういうことか、つまり彼女はもう俺のことなんか空気くらいにしか思っていない?


「…ああ、どうしよう。なんだか無性に腹が立ってきたよ。大体君は俺がこんなに悩んでいるって言うのにそれに気付く素振りも一切見せないってどういうこと?付き合い始めの些細なことに気付くくらいのこと訳ないだろ」

「…何、突然」

「最初の頃のさあ、臨也は人が好きなんでしょ?私のことも、同じ好きなんでしょ?って俺に聞いてきたときのピュアな感じはどこにいったの」

「言葉を返すようだけど、最初と変わったのは臨也も同じだからね」


当然だ。付き合っているカップルが時を重ねてもなお最初と同じだったらそれはそれで大問題だ。はっきり言って気持ち悪い。
だからある程度空気のようになるのが、それはそれで好ましいとは思ってる。わかってる。


「何それ、俺が自分を棚に上げて君を非難しているとでも?」

「そう」

「どこがだよ。俺は言っておくけどほとんど変わってないじゃないか。大体君は俺に食事も作ってくれなくなったしね」

「帰ってくるのか来ないのか連絡がこなくなったから」

「俺がメールしても返事くれないし」

「プライベート用の携帯から連絡がこなくなったからね」

「……一緒のベッドで寝なくなったし」

「疲れてるんだから一人にしろよ、それくらいわからないの?って言われたからね」


彼女は雑誌から顔を上げずに淡々と切り返してくる。彼女のこういうところは嫌いじゃない。
俺を遠ざけもしないし、怖がりもしない、そして的確に俺にダメージを与えることができる。


「…だからさ、つまり空気なんだよ」

「空気がなくなったら呼吸困難になるだろとか、そういうのはいらないよ」

「なんだよそれ、まるで夫婦みたいじゃない、か」


と。
そうか、つまりそういうことか。ずっと一緒にいすぎてなんかよくわからなくなっていた。
人が好きだ。人ラブ。そして今目の前で俺に関心を持たない彼女はそのたくさんの人の中でも唯一俺の、なんだ、そうだ。うん。


「コーヒー」

「そうだね、じゃあ、結婚しようか」


ようやく上がった彼女の顔の、双眸が俺を捉える。うん。悪くない。
ついでに言えば、NAMEのこんな間抜けな顔も赤い顔も、久々に見た気がするよ。


「…何か悪いものでも食べた?」

「失礼だなあ、これでも俺はNAMEのことを愛してるんだけど」

「あ、そう…」


それきり彼女の視線は泳いだまま。赤い顔に満足した俺は、とりあえず新しいコーヒーを淹れることにした。
久々に二人でゆっくり語り合ってみようか。将来のこととか。



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田中さま
倦怠期から甘い展開というのはこんな感じでいかがでしょうか…。
右往左往する折原を書くのはとても楽しかったです。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
リクエストありがとうございました。



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