人というのは、どうして窮地に立ったときに初めて後悔するのだろうか。
「随分と大人しいお嬢さんだ。流石は粟楠の…ってとこかな」
よくあるワゴン車の後部座席、両脇に居座る見知らぬ男。行き先には興味がない。…振りを、する。
「娘一人拐かして、それで済む話だとでも?」
「お嬢さんは死にたがりなんだねえ」
「私が死んだら、粟楠があなた方を潰すきっかけになりますね。大義名分の下に」
震えるな、声。竦むな、足。
こんな時にも頭に浮かぶ男の、ピンチの時にだっていつも冷静な態度を一つずつ思い浮かべて真似をする。取り繕って、それが結果私の為になると信じて疑わないこの気持ちは、正に"恋は盲目"とでも言うのだろうか。
誘拐されているその瞬間にも関わらずそんなことを考える辺り、私にはまだ随分と余裕があるらしい。
「偉い肝の据わったお嬢さんだ、」
ワゴンが停車したのは、寂れた外観の病院前。廃病院なんだろう。閉められた門にはチェーンが掛けられている。門の横に立つ男がチェーンを外し、門に手を掛ける。
余裕がある、と言えば確かに間違いではないけれど、私は確信していた。腕を捕まれた時から、車に押し込まれて尚ずっと、絶対に助けにきてくれるだろうその男を思えば不思議と心は落ち着く。
顔を上げて視界に入ったバックミラー越しの光景に、口元が緩んだ。
同時に響いた発砲音に、ワゴンがガクンと揺れる。
一瞬の隙を見たとき、あの男はいつもどうしていたか。
車内の男たちが、撃たれたであろう背後に意識をやった一瞬、あの男…四木さんに、持たされていた小型のスタンガンを上着のポケットから取り出し、そして右手側の男の首に押し付ける。
うめき声と微かな焦げ付いた臭い、崩れた男を押しのけてドアの鍵を開けたら、左手側にいた男と運転席の男が私に銃口を向けた。
「…ゲームセットだわ」
窓ガラス越しに男たちの後頭部を狙う銃口。それらを向けるのはよく見知った面々。
安心して目頭が熱くなる。でも、泣くわけにはいかない。何故か、目の前のガラスの向こうには四木さんがいるからだ。
「畜生…っ」
2発の銃声が耳をつんざくと同時に開放されたドアから、四木さんが私に両手を広げる。
それでも私は粟楠の娘だから、その手に縋るわけにはいかない。そう思っていないと今にも崩れてしまいそうな足元が怖いのだ。
縋ることができたら、抱きついて泣き出すことができたら、そうしたらきっと何か変わるのだろう。
「…大丈夫よ。ご苦労さま」
後ろは見ない。死体を見る趣味はない。アスファルトに足をついた途端に震えだしたつま先を叱咤したけど、吐いた息は唇の震えをそのままに揺れた。
「…手を」
「いらないってば、触らないで」
改めて伸ばされた四木さんの手のひらを叩き落として、両足を地面に着けた。唇を噛んで、震える足に力を込める。
四木さんはこんな時にだって変わらない。表情も口調も、いつもの同じ冷静で、事務的。悔しいけど、悔しいから、手は取ってあげない。
「…冷静な振りが巧くなりましたね」
それが私の知る四木さんなんだと、そう言ったらこの男は一体どんな顔をするだろうか。
ため息混じりに呟かれた声が耳に届く。顔を見上げるのも嫌で、がくがくとぎこちない足を動かして背を向ける。
「…四木の真似をした」
「私の?」
「隙が出るまで、私は相手の切り札だと思わせておく」
「…あまり、心配させないでください」
背後のそのセリフが言外に私と四木さんとの間に線引きをしているような気がするのは、気のせいかもしれない。気のせいだったらいいのに。
「…どうせ、素直じゃないもん」
「ええ、だから助けに来たでしょう?」
「…じゃあこれで四木さんの仕事はひとまず完了ね」
「そうですね、…貴女が素直に泣けば、完了します」
にっこりと微笑んで手のひらを差し出すその仕草は見慣れている。小さい頃から飽きるほど見てきた。いつからか私はその手を取らなくなって、それでも飽きずに四木さんは手を差し出し続けた。
「その仕草、飽きないの?」
「困ったことに、最近手持ち無沙汰です」
「止めたらいいんじゃない?」
四木さんが私を守るべき"お嬢"として扱うのに耐えかねて遠ざけた感情に掛けた鍵は恐ろしく陳腐。
「NAME、この先俺が一番傍で守るから、素直に手を取れ」
TAKE IT
好きと言ったら何かが変わる?
「…素直になっておけばよかった」
「何の話だ?」
「あのとき、そう思った」
車の中でポツリと呟いた本音に、四木さんが口元を手のひらで覆って柔らかく目を細めた。
二人の間には、手のひらが繋がれたまま。
*
玲央さま
私はアクションシーンが書けません。
お嬢様だからツンとしているというよりは、自分の立場を理解しているから素直にはなれない、という感じの子になりました。
リクエストありがとうございました。