スーツを着込んで、髪が乱れるのもお構いなしに屋敷の中を走る。仮眠から寝坊した朝にはいつもこの屋敷の広さを呪う。


「走っていては転びますよ」


玄関で車のキィを指先にぶら下げて私を待っていた四木が、仕方無さそうに眉を下げて柔らかい視線を向ける。


「四木が送ってくれるの?」

「他の男に見送りをさせるのも癪でしょう」


くるりと私に向けられた背中。ぴんと伸ばされたその背中が、少し照れた表情を隠しているのを知っている。


「心配しなくても浮気なんてしないわよ」

「浮気の心配はしていません」


私がヒールを足先に引っ掛けて慌ただしく背中を追うのを知ってか知らずか、四木の歩くスピードは緩やかに落ちる。
そんな些細な気遣いに頬が緩むのは至極当然のことで、スキップでもしたいような気持ちで後を追う。


「油断はしない方がいいと思うよ」

「NAMEさんは私の隣に戻ってきてくれるでしょう?」


恭しく車の後部座席のドアを開けた四木が私を中へと誘う。
臆面もなくさらりと告げられた言葉に、後部座席に先に詰め込まれていたトランクケースが途端に目障りな存在へと姿を変えた。

無意識に腕を組んだら、それに気付いた四木がため息を吐いて「会長から頼まれた大切な仕事ですよ」と呟いた。


「行くわよ。行くけどさ」

「あまり可愛らしいことをしないでいただきたいものですね」


するりと座席に体を沈めて見上げたら、四木が目を伏せて後部座席のドアを閉める。
運転席に体を滑り込ませた四木がバックミラー越しに私をちらりと見やって僅かに目を見張った。


「…やれやれ、そんな表情をされたら、素直に送り出せませんよ」


緩やかに走り出した車のシートに身を預け、窓の外を流れる景色にだけ意識を集中させる。
四木の今朝の仕事が私を無事に目的地へ送り届けることである以上、私は我慢しないといけないのだ。


「一週間も会えないなんて、頭がおかしくなりそうだわ」

「いいな、二人しておかしくなってやろうか」

「…一週間後が楽しみね」


車の中に二人きりになった途端に取り払われた敬語が胸をくすぐる。僅かとはいえ一応私の方が粟楠にいる期間が長いのだから、それは四木なりの矜持なんだろう。


「…NAME、」

「お土産は何がいい?」


トランクケースのポケットから航空券を取り出して確認。行き先は北海道。お馴染みの網走。刑務所の門構えが壮観だわねえ、なんて軽口で笑ったけれど、さすがに一週間は長い。長いけれど海外というわけではない。それでも見送られる時と言うのは何故こうも感傷的になってしまうのだろう。


「迎えに行ってやるから、新しい下着つけて帰って来い」

「…四木にしては随分即物的ね」


バックミラー越しに目が合う。空港への道はいつもと変わらない。私は午後には北海道にいる。たったそれだけのこと。仕事と言えば仕事だけど、刑務所に収監されている会長の知人に挨拶と差し入れをするだけ。ついでにあちらのお仲間のトコに顔を出すけれど。つまり一週間という期間は私への休暇も含まれている。


「一週間が長いか短いかくらいわかってんだ」

「ちゃんと前を見て」


どうせ休暇をくれるなら四木と一緒にってオプションもつけてくれたらよかったのに。
ふう、とため息をついてバックミラー越しに四木の表情を伺ったら、四木は器用に片手でタバコを取り出してくわえ、火をつけていた。


「俺好みの下着にしろよ」


髪の毛を乱す風が邪魔になってウィンドウを閉めたら、すぐに頬にまとわりついた生ぬるい空気と四木のタバコの匂い。


「…四木ってどんな下着が好みだったっけ」

「さあ、なんだろうな」

「とか言っちゃって、私がつけてる下着ならなんでもいいくせに」

「わかってんなら聞くな」


くくっと喉を鳴らす四木。この男のこんな少年みたいな仕草は私しか知らないんだろう。


「…折角だから網走監獄で監獄食でも食べようかしら」

「…いずれ本当にぶち込まれないことを祈ろう」

「…私がぶち込まれるときは四木も道連れよ」


閉ざされた車の中で、二人の密やかな笑い声だけが私の出発を彩る。


「連絡はしなくていい」

「そうね、淋しくなっちゃう」


もうイイ年した大人の、しかも二人そろってヤクザの、高校生カップルのような青臭さ。これが私たちの普通だとみんなが知ったら、一体どんな反応をするだろう。



スティービー


*
有さま
甘々ってなんだっけ…?と脳内辞書を片っ端から探しましたが見つかりませんでした。
今の私が思いつく限りの甘々です。
ふ、不甲斐ない…!
リクエストありがとうございました。



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -