「おはようございます」


彼にしては珍しく少し目覚めるのが遅くなった朝、彼女は珍しく普段彼が起きる時間に目が覚めた。
勿論彼が寝坊したとは言うものの、元より設定しているアラームは何の必要があるのかと不思議に思うほど早い。目覚めたのはそこから時間にして約30分程度ではある。


「ああ、おはよう。珍しいな…NAMEが先に目覚めるとは」

「私、初めて松永さんの寝顔を堪能したかもしれません」


くすくすと口元を綻ばせてコーヒーポットを傾けたその仕草に、彼はなんとも言えないため息を吐いて答えた。
残念そうな、幸福そうなそれに彼女が顔を上げてことんと小さく首を傾げたが、彼は口を開くでも彼女のそばに寄り添うでもなく、キッチンが見える場所で壁に背をもたれているだけ。


「堪能したにしては、随分と用意が周到だ」


既に着替え、薄く化粧が施された彼女はカフェエプロンを身につけ、キッチンで朝食の用意もそろそろ終わるかと言うところ。
普段彼女の寝顔を堪能するのは彼の方であったし、それがまさか彼の日課となっていること等夢の中にいる彼女は知らない。


「たまにはいいでしょう?でも、のんびり起きてくる松永さんもいいかも」

「やはり寝坊はするものではないな」


仕事のある平日ならいざ知らず、休日であるこの日にまで普段と同じ時間に設定したアラームを悔いたのは彼の方である。
休日生活の乱れが休み明けの出勤に影響を出すと信じている彼にとっては当然の後悔だが、それにしても彼女は上機嫌で揃ったコーヒーカップにあたためたミルクを注いでいる。


「松永さんいつも早いもの。30分くらいいいんじゃないですか?」

「まさか30分程度で卿が完璧に用意を済ませているとは思わなくてな」


年齢の割りに引き締まった体躯、彼が寝巻きに使用している浴衣の裾を翻してリビングテーブルの上の新聞を広げると同時に、彼女は出来上がったカフェオレを彼の座すテーブルに置いた。
彼が素直に一言「ありがとう」と口にすれば、彼女はますますこんな朝も悪くない、と正直まだ眠い頭を振った。


「卵、どうしましょうか」

「崩してくれ」


オーブンであたためたパンを皿に取り、小さなガラスボールに野菜を盛りつけた彼女が、ステンレスのボールに卵を割ってかき混ぜていく。
とろりと投入された生クリームが目に眩しい。

普段ならば自分がそこにいるのだと、彼は存外真剣な面持ちで彼女の行動を見守っている。
スーツ姿にジャケットとタイとを欠いただけの格好でコーヒーをカップに注ぎ、簡単な朝食を作る彼の背中に投げられる舌足らずな声を思い出し、やはり彼は新聞紙を広げながらため息を吐いた。


「…折角のお休みなんだから、ため息なんて吐かないでほしいです」


バターを溶かしたフライパンにレモンイエローの卵が広がり、香ばしい音がするのとほぼ時を同じくして椅子から立ち上がった彼は、新聞紙を丁寧に畳んでキッチンへと。


「松永さん?」

「どうやら私は、卿がテーブルからこちらを見ている光景が思いのほか気に入っていたようだ」


冷蔵庫からベーコンを取り出した彼がそれを食べやすいように切り、3つ並ぶコンロの一番端でフライパンに油を回す。
初めてかもしれない、と彼女はますますそのくすぐったさに身を捩った。
二人きりの部屋でキッチンに並ぶなんて、と彼女は年の離れた恋人の、そんな些細なかわいらしさに嘆息した。


「私の寝顔を見たかった?」

「…そうだな」


ベーコンを投げ入れてパチパチと小さく油が跳ねる中、彼は彼女の腰を抱いて引き寄せる。
彼女は手元のフライパンの中をかき混ぜて、そして丁度火をとめたところであった。


「あの、朝食、」

「見せてくれるかね」


まだ眠っている彼女に普段彼が何をしているかなど、ここでは瑣末な問題である。
その頬を指先で撫で、前髪を払い、くすぐったそうに鼻を鳴らすその仕草を、カーテンからこぼれる朝日が柔らかく照らす。
そんな小さな時間を彼がどれほど慈しんでいるか、眠っている彼女に知る術はない。


「松永さん、えっと」


彼は自らの手元の火を消し、そのまま彼女の頭を抱え込んだ。
丁度彼の唇が彼女の耳に触れる。途端にぞくりと彼女の体を走った熱になど彼は気付かない振りをして、小さく喉を鳴らした。


「もう一度、寝ようか」


フライパンの中でじりじりと冷めていく朝食に、ぬるくなっていくカフェオレ。
折角作ったのに、と彼女が思う間もなく横抱きにされて閉じ込められるベッドルームの中は、カーテンのおかげでまだまだ朝にはふさわしくない薄暗さで彼らを迎えてくれる。



おののけ、くちびる


*
浬さま
耳元で囁く松永さんというのはどうにもこうにも色気がありすぎます。
書いていてとても…楽しかったです…。
何を言わせるか迷いましたが、ちょっとドキッとしてもらえたら嬉しいです。
リクエストありがとうございました。



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