「ねえ、まぶたに睫毛ついてるよ」
なんの変哲もない机を隔てて前後。自分の席に座る平和島くんと、前の席に座って後ろを向く私。放課後の教室はがらんとして、なんかさみしい。
「ああ、サンキュ」
睫毛を取ってあげようと指を伸ばした私だったけれど、平和島くんは顔をぐしゃぐしゃと覆ってこすって、伸ばした指は空を切る。
「NAMEは帰らねえのか」
「うん、明日の予習…しちゃいたくて」
「そうか」
平和島くんは思案顔で肘をつき、開け放した窓の外を見つめる。窓の外、視界の下ではグラウンドで何人かの男の子たちが制服のままサッカーボールを蹴って遊んでいる。
「…ねえ、平和島くん」
「ん」
何だ?と言いたげな瞳が私に向けられる。こんな時、平和島くんは大人びて声を掛けるのに躊躇ってしまう。
「平和島くんの帰る道って、確か大きい本屋さんがあったよね」
「ああ…あるけど、それがどうかしたか?」
声を掛けられたくないから壁を作っているのかな、とは思ったけど、そこで怯むようじゃ話にならない。平和島くんの視線が窓の外じゃなく私を真っ直ぐに見つめてることに満足して、口を開いた。
「欲しい参考書があるんだけど、うちの近くの本屋さんになくて…でもあっちの大きい本屋さん、あるのは知ってるけど行き方がよくわからないの」
「ああ、大通りまで出れば看板が出てるからすぐにわかる」
机の上にとりあえず広げたノートと教科書のページを、窓から入り込む空気がめくっていく。手に持ったままのシャーペンを手持ち無沙汰にノックして、次の話を。
「…シャーペンの芯、一本ちょうだい」
「ペンケースん中、別に何本でもいいぜ」
平和島くんの机の上には藁半紙のプリントとペンケース、転がったシャーペンに消しゴム。プリントは半分程度埋まっている。
平和島くんのペンケースから目当てのものを取り出して、1本貰う。
「私、数学得意だしわからないとこあったら教えようか?」
「いや…、大丈夫だ。NAMEは自分のやれよ」
平和島くんに出されたプリントは数学教師からのペナルティ。今日の数学の時間、平和島くんは折原くんと鬼ごっこをしていた。ちなみに折原くんはプリントを秒殺してさっさと帰宅した。
「…うん」
しぶしぶ机に向かう。シャーペンの芯をちょうどいい長さに戻して、教科書の例題をノートに書き写す。背後からもシャーペンがプリントを引っ掻く音がする。
背後に感じる平和島くんのダイレクトな気配。不思議と背筋が伸びた。
「…NAME、」
「あ、なに?」
勢いよく振り向いて、なんだろうと期待に胸が膨らむ。プリントでわからないところがあったのだろうか。しかしそんな期待を打ち消す言葉が、低い声で紡がれる。
「自分の席戻った方がいいんじゃねえか、後でプリントの回収が来るし」
「…ああ、うん。そうだね」
私の席は廊下側。つまり平和島くんの席からははるか遠い。
「つーか、そういえば何でNAMEここの席にいんだ?」
「………暑いから、窓際がよかったの」
「そんならそこにいりゃいいんじゃねえか」
なんでもないことのように言う平和島くん。私はふつふつと湧き上がる怒りを奥歯で噛み砕き、更にごくんと飲み下した。
「…平和島くんって、モテるよね」
「あ?モテるわけねえだろ。こんな馬鹿力で」
「絶対モテてるって。彼女欲しいとか思わないの?」
「それは、欲しいと思うけどよ」
欲しいとは思うのに、平和島くんの恋のアンテナはたぶん壊れている。そして問題なのは壊れていることに気づいていないこと。
「…このニブチン」
「…あ?」
プリントから顔を上げた平和島くんは間抜けな顔。ニブチンなんて言われたことないんだろうなあ。
「私、帰る。戸締まりして帰ってね」
「あ?おう」
平和島くんは大人びているんじゃない、無関係だと思いこんでるから全くそっち方面に頭が働かないんだ。
がしゃがしゃと荷物をバッグに放り込んで教室を出た私。追いかけてもくれないんだから、困ったものだね。
そのこどこのこ?
わたしのこ!(よてい)
*
鯛子さま
頭悪い平和島、頭悪いってどういう状態だろうと考えた結果、対恋愛に関してばかな子になりました。
こ、こんなんでよろしかったでしょうか…
リクエストありがとうございました。