「どうせ帰ってこないなら、最初から帰ってくるなんて言わないでください!」


平日の静かな昼下がり。とあるマンションの一室で、ソファにどかりと座ったまま腕を組む女が一人。
その足元には、女に投げつけられたクッションを抱え込む男。正座中。


「いや、ねえ…おいちゃんは帰るつもりだったんだよ」

「帰るつもりだったとしても帰ってこなかったのは赤林さんでしょお?!」


ほとんど半泣きになってしまった女が、ぐずぐずと携帯電話にぶら下がる華奢なストラップを指先で弄るのを、存外深刻そうに男は見つめる。
何度も下げた頭は既に「頭下げればどうにかなるって思ってるの?!」と怒らせる一つのファクターに成り下がり、男はもうただひたすらに上目遣いで女の一挙一動を見守るしかない。
もちろん、いつまでたっても、こんな時にもはずさないサングラスのせいでその殊勝な上目遣いが女の感情線に触れることはない。


「それはそうなんだけどさ、ほら、NAMEちゃんもここ最近忙しそうだったからさあ」

「忙しかったもん!忙しかったけど、赤林さんが今日は早く帰るなんて言うから、だから残業もしないで…っ」


半泣きだった女がとうとう大粒の涙をぼろぼろと零して初めて、男はことの重大さを痛感するに至った。
連絡なく帰宅しないのと、早く帰ると告げて帰宅しないのとでは随分と大きな差がある。
それでなくとも生活のリズムどころか生きている世界も全く違うふたりのこと、ふたりでゆっくり時間を取れることは残念ながら少ない。
昨晩男は連絡もせず、今朝方朝帰りをしたのであった。


「ごめんね、おいちゃんが悪かった。…だから頼むよ、泣かないでくれ」

「赤林さんにとっては連絡するの忘れちゃったって、それだけのことかもしれないけど、わたしにとっては違うの!」


こんな時、男はつくづく女がどれほど怖い生き物かを知るのだ。
いつまでたっても小学生と変わらないような軽薄さを持ち合わせる男という生物にとって、どんどんと成長していく女という生物はまるでエスパーにも似ている。
つまるところ言われたとおり、男は帰宅できないという連絡そのものを軽く扱っていたし、今目の前で泣いている女だってきっとわかってくれるだろうと高を括っていたのである。


「NAMEちゃん、ごめんね、本当に…おいちゃんが悪かったよ。ねえ、どうしたら泣き止んでくれる?」

「知らない!」


ぷいっとそっぽを向いた女は、鼻をぐすぐすと鳴らしながらティッシュを手に取る。
普段「腹の底では何を考えているのかわからない」とも周囲から言われるこの男の、こんな情けなくも素直な面を目の当たりにすることができるのはこの女のみであるが、しかし女はそんなことは知らない。
知らないし、知ったこっちゃないのである。


「NAMEちゃん、こっち向いて」


長らく正座していた両足はじんじんと痺れ、立ち上がるのも辛い。それでも男は足の裏とふくらはぎとに喝を入れて、女の頬に手を伸ばした。
怒らせた女は面倒ではあるものの、怒らせたままにしているのは辛いのだ。


「ばか、赤林さんは、いつも私に心配ばっかり掛けさせる…っんん!」


言い終わったのか言い終わっていないのか、確かめる術もないが、男は女の唇に自らのそれを合わせた。ソファの背もたれに女の体を押し付けて、その薄い肩を抱きしめる。
くぐもった声と頬を伝う涙とが、恐ろしく扇情的でもあるその状況で、女のたった一言で決壊してしまった男の理性とは、なんて脆いのか。


「悪ぃねえ、ほんと、でもな…今おいちゃん嬉しくてどうしようもないよ」

「な、なに」

「NAMEちゃんがいつも心配してくれてるってえことなんか、わかってるつもりだったんだけどねえ」


あまりに突拍子もない男の行動に頬を赤らめた女が、抵抗もどこかに忘れてサングラスを大変ぞんざいに投げ捨てた男を少し下から見つめている。
この男が「SEXでうやむやにしてしまおう」などという浅はかな思考を持っていないことを身を以ってよく知る女は、いきなりの口付けに戸惑いを浮かべるばかりだ。


「もっとちゃんと、わかっててよう…」


自分の次の言葉でこの先の流れが決まる、と女は予測して、それでも選んだ答えはその誘いにのることだった。
簡単に言えば、心配だったのと、淋しかったのと、連絡がなくて女が怒っていたのはその二点のみである。
男はようやくそれに気付いたのであった。怒らせるファクターは数知れず、挙げていけばキリがないことも理解しつつ大人しく正座と土下座とで機会を伺ってはいたものの、与えられた答えがあまりにシンプルであった為に、あとはもう、男を喜ばせるだけだったのだ。


「NAMEちゃん、」


女がその柔らかい呼びかけにかたくなな腕を解いたならば、男はするりと女の胸元へと手のひらを滑り込ませてシャツのボタンを弾いていく。
ぷつりぷつりとはずされたボタンからかわいらしい下着が顔を覗かせて、男はその胸元に唇を寄せながら背中のホックを取り外すべく冷たい指先を肌に滑らせる。
その冷たさにふるりと体を震わせた女の目は赤く、まだ完全には納得していない様子だがそれでも熱に浮かされたような視線で、男のシャツのボタンをはじいた。


「ばか」

「ごめんね」

「あほ」

「うん」


するんと、女の胸を抑えていた下着がずれて、男はその胸元に、普段よりも強く吸い付いた。
ちりりと僅かに痛んだそれに、ようやく女は真意が伝わったと見て肩の力を抜く。
その白い胸の突起を指先で挟み込み、くりくりと転がすように撫で、男は自分がつけた鬱血痕を満足げに見下ろした後、その頂を口に含んだ。


「ごめん、おいちゃん脱がしちゃったけど、嫌だった?」


その男には珍しい心遣いも、それが女に対する愛情そのままだとすれば納得もする。しかし女も男のシャツを脱がした手前、今更「嫌だ」とは言えないのもわかった上で問うのだから、やはり"らしい"と言えば"らしい"のだろう。
それでも女は男の問いに脱がしたシャツを握る手に力を込めた。


「いや。…私が寝るまでぎゅっとしてくれなきゃ、ゆるさない。私昨日寝てないんだからっ」


その言葉が女から男への精一杯の"許す"行為であって、男はそれを理解すると同時に女のスカートの裾から手のひらを滑らせ、そしてショーツの中心を指先でくるくると撫でる。
男が瞼を伏せ指先を女のしとどに濡れそぼった亀裂に埋めると同時、女が男の額に唇を寄せた。


「夜んなったら抱きしめてやるから、安心しなさいな」

「ふう、う、…っん」


仕草も言葉も優しいのに、指先だけは強烈に女の体を暴いていく。内壁をひっかくような指の腹に下腹部が波打つ。
女の臍の横に唇を落とし、胎内をまさぐっていた手の親指で亀裂の上にぷくりと存在を主張する突起を捏ねた。びくんとひときわ大きく反応した女の体に、口元に描いた弧を一層深くして、そして男が自分の着るスラックスを脱ぎ捨てる時、女はようやく男の首に自分の腕を巻いて、笑った。



恋するハルモニア
バカな男に女神の福音


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深さま
えろい話でと言われていたにも関わらずなんだか不完全燃焼です。
できれば赤林でと後ほど拍手をいただきましたが、最初から赤林で書くつもりでしたごめんなさい。
リクエストありがとうございました。



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