「疲れたね」

「そだな」


平和な土手のその上に体を投げ出して、土と草の匂いがあまりに近くて不思議と満ち足りた気分になった。
「どっか遠いとこ行きてえなあ」と小さく呟いた金髪の唇からも今では微かな息切れしか出てこない。


「自転車って、結構すごいね」

「ばあか、すげえのは俺だよ。俺にばっか漕がせやがって」


今朝、通学途中で目が合った平和島はいつも通りうなだれて、目立つ風貌と極力目立たないよう小さくなった背中で小さく「おはよう」と言った。
私は乗っていた自転車を降りて、のたりのたりと歩く平和島の隣を自転車を引きながら歩いたけれど、平和島は唐突に自転車に乗りたいと口にした。


「て言うか、ここどこだろう」

「知らね。とりあえずなんか食おうぜ」


制服にローファー。平和島の白いシャツは汗で背中が透けているし、私も下着が透けていないかと心配になる。キャミソールは着てるけど、平和島を後ろに乗せるのはやっぱりちょっと抵抗がある。


「風がきもちいいね」

「あー、ああ。そうだな…つーか空が青い」

「いま何時?」

「14時………ってもう2時かよ」


いつもの道。ルーティンワークからはみ出して、もうかれこれ5時間以上自転車をひたすら前へと進めていた。
公園を見つける度に水道水で喉を潤して、平和島が頭から水をかぶるのを羨ましく思ったり、他愛もない話に大笑いして、かと思えば二人が話題探しに沈黙して、次の電信柱で漕ぎ手交換って言ったのに次の電信柱がなかなか見あたらなかったり。


「すごいね、5時間だって」

「すげえな。俺たち」


私のお腹に回る腕とか、背中の熱さとか、重さとか、平和島の汗ばんだ背中の固さとか、熱さとか、お腹をくすぐったら暴れて二人して自転車を転がり落ちたりとか。


「青春だね」

「青春だな」


学校を男女がサボって、それがバレたらなんて噂が流れるだろう。自転車漕いで知らない町まで行ってました、なんて信じてもらえないだろうな。そんな風に明日からのことを予想して、思わず笑ってしまう。


「あー、なんか、シャワー浴びたい」

「いいな、それ」

「シャワー浴びれるとこってどこかな」

「さっき銭湯の看板見たぜ」


思春期の男にふさわしくない提案にも思える。でもやましいことなんて何一つ持っていないその潔さや潔癖さが、恐ろしくきれいにも思える。


「ランドリーあったらいいなあ」

「ねえだろ。きっと」


喉はからからで、足は棒のようで、頭はすっきりと清々しくて、隣に寝転んだ平和島が気持ちよさそうに目をつむる。


「平和島、ほっぺに土ついてる」

「とって」


いつも他人に自分を簡単に触らせないのは怖いから。だと思う。平和島がなんでもないことのように一言呟いて、私も指先を彼の頬に伸ばして土のついた頬をこすった。


「…あ」

「んだよ…ってNAME、お前その指土まみれじゃねえか」


更に広がった頬の汚れに、もうこれは銭湯以外ないよね、って二人して笑う。


「ふしぎ、平和島とちゃんと話したことなんてほとんどなかったのに」

「俺も…まさかどっか遠いとこ行きてえって、あんま知らない女にじゃあ行こうかって言われると思わなかった」


薄汚れた学生が二人並んで、道行くゆったりと歩くお年寄りが不思議そうに、でも柔らかくこっちを見下ろして過ぎ去っていく。


「東京って、案外小さいね」

「そうだな」


よっしゃ、とかけ声を上げて立ち上がった平和島が私に手を出してくれる。当たり前にその手を取ってぐいっと引っ張られる力に任せて立ち上がれば、平和島が自転車のサドルに座って私を振り返った。


「漕いでくれるの?」

「おー」

「じゃあ銭湯に寄りがてら、ゆっくり帰りましょうか」

「おー」


通学用の自転車は壊れるんじゃないかと思うほど汚れに汚れて、たまに軋んだ嫌な音をたてる。
平和島が早く乗れと視線で言う。あんまり話したことのない人のアイコンタクトを既に当たり前に理解して受け入れる。


「…十代の順応力の高さかな」

「あー?」


風を遮る大きな背中になびく私の髪。薄汚れて、汗なのかいつか浴びた水道水なのかわからない水滴が風に乗って光る金色の髪。


「あ、あれだ」

「えっらい古そうだな」

「お湯があればいいよもう」

「楽しいな」

「楽しいね」

「じゃー今度は、次はどこ行くか」


放り投げるみたいな声が前から流れて。返事の代わりに引き締まったお腹に回した腕に力を込めた。平和島は一度呻いて、そして肩を揺らして笑うんだ。



あしあと
ペダルにのったきもちをひとつ


*
ハヤノさま
あなたを幸福感と平和島で満たすことができたでしょうか…
こんな青臭い青春が許されるのは平和島だけだと思います。
リクエストありがとうございました。



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