「鈴木くん」


一年生の教室は、やはり雰囲気がまるで違うな。
そんなことをぼんやりと思いながら、一つの机を囲んでいる目的の人物に声を掛ける。

黒い髪のその人は一瞬胡乱な表情を浮かべたけど、すぐに合点がいったように「はい」と返事をくれた。


「先週はありがとう」


先週末、学食戦争に惨敗して食糧難に陥った私。
空腹を紛らわせるために中庭で大量の紙パックのジュースを啜っていた私は、こともあろうに彼が通り過ぎるまさにその瞬間、腹の虫が鳴り響くという失態を犯した。
彼が手に持っていたマドレーヌの袋を「どうぞ」と差し出してくれなければ、午後の授業も惨事だっただろう。


「もらったマドレーヌ、おいしかった。ありがとう」

「…おいしかった?」


鈴木くんの返事より先に、椅子に座って傍観していた男子生徒が声を上げる。

なんだろう、とちらりと鈴木くんに視線を向けたら、鈴木くんが不遜な表情を浮かべた。


「あのマドレーヌ、作ったのこいつなんで」

「そうだったの?すごくおいしかったよ。お菓子作りが上手なのね」

「おいしいなんて言われたの久しぶりだ…」

「平介は菓子だけは上手いんだ」


感動したように私を見上げる彼の髪は色素が薄く、なんだか不思議な空気を纏っている。
こういう人と仲がいいなんて意外。


「あのマドレーヌ、俺も食べたかったなあ」


へらりと笑う一人に、鈴木くんに平介と呼ばれた色素の薄い彼が「佐藤はいつも食べてるじゃない」と腑に落ちないような声音でつぶやく。


「じゃあこれ、みんなで食べて。お礼なの」


油が滲まないよう厳重に包んだ紙袋を鈴木くんに手渡す。
中身は昨日作ったカレーパン。

ごそごそと中を改めた3人は一様に、心なしかはしゃいだように声を揃えた。


「カレーパンだ」

「お菓子は平介くんに適わないけど、パンには自信があるんだ」

「わざわざすみません」


早速カレーパンの一つに手を伸ばす、平介くんに佐藤と呼ばれた彼の手が鈴木くんにぴしゃりと払われて、鈴木くんは紙袋を閉じた。


「良かったら先輩の携帯教えて下さい。平介がお菓子持ってきたら呼ぶんで」

「本当?うれしい」


携帯を取り出して赤外線を起動する。
指先が受信を設定するのとほぼ同時、スピーカーから響いたのは予鈴。


「あ、ごめん…教室戻らなきゃ…次移動なの」

「じゃあメール下さい」


え、と携帯画面に視線をやればそこには"受信完了"と記されている。
鈴木くんの向こうには平介くんと佐藤くんがびっくりしたような、そんな表情で事の成り行きを見守っていた。


「うん、ありがとう」

「いえ、じゃあまた」


教室を後にして一呼吸。
…一番最初は、なんてメールを送ろうか。


やがて響いた本鈴に、私は校内をダッシュすることを余儀なくされる。



曖昧メイド





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