カタカタ、朝からずっと目の前で聞こえるのは、キーボードを叩く音。たまにカチ、と聞こえるのはクリックする音。

握りしめたままの彼の腕時計を覗き込めば、ただいまの時刻、PM7:32。

ずっと見つめている背中だけれど、痛いくらいの視線くらい感じてくれてもいいのに。そんなことをぼんやりと思いながら、彼のベッドに身体を預け、手持ち無沙汰に枕を抱きしめた。


「…あ、小十郎さんの匂い」


ポツリとこぼしたセリフさえ無視を決め込む彼の肩。しかし、無視をしているのか集中しているかの二択を与えられたなら、私は迷いなく後者を願ってしまう。
きっと、惚れるが負け、ということなんだろう。

ちらりとたまに視線を移動する彼の瞳には、焦りや疲労なんか欠片も見えない。ついでに言えば私への配慮も見えない。

久々の休みだというのに、どうして私は日がな一日ずーっと彼の背中だけ見つめて過ごしているのだろう。

たまに立ち上がったと思えばトイレ。
そしてコーヒーのおかわり。
あとは部屋の電気をつけたり、暖房を入れてみたり、資料を探してみたり。

忙しいのはわかるけど、少し酷過ぎやしませんか、ねえ?


カタカタ、カタカタ、カチ、カチ。
聞き飽きたキーボードを叩く音と、彼の溜息。

久しぶりだから張り切って買い込んだ冷蔵庫の中身が泣いてるよ、私だって泣いちゃうよ。


あーあ、いろいろ予定考えてたのに。
何気なく自分の手首につけてみた彼の腕時計は、ベルトの一番奥の穴を使っても緩くて、私の手首でくるくると回る。
今日封切りの映画とか、二人が好きな職人さんの陶器展示会とか、美術館とか、行きたかったなあ。

触れることも叶わない彼の背中の代わりに、腕時計に触れてみる。
指先を這うような冷たさに、一層悲しくなってきた。

昨日までは楽しみだった今日一日。それが朝9時には「やり残した仕事がある」という一言で脆くも崩れ去ったのでした。おわり。


アイオラもこんな気持ちだったのかな。
少し気取って、大好きなジャズソングを頭の中で奏でてみる。
"Take Five"

広くて大きい背中はずっと私に向けられたまま。

本当にアイオラの言うとおり。

5分くらい手を止めて私にかまってくれてもいいじゃない、ばか。



能動ヘルプ





×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -