「1年、朧月カスミ。入ります」
聞きなれない京訛りの声に誰もが振り返る。
もちろん女子がこの部室に入ってきたということよりも、その人が入ってきたことに驚きを隠せない。新開さんが自転車競技部のマネージャーに猛烈なプッシュしていたというのは誰かから聞いたが、昨日の今日で本当にそうなるとは。
「朧月、今日からよろしく頼む」
「はい、精一杯頑張らせてもらいます」
「ここでは女子はお前だけだ、無理はしない程度にな」
そう言われてもはんなり笑って「おおきに」と返す姿に不安が残るのは自分だけではなかったと安心する。目の前の福富さんが心配そうにしていたからだ。(周りにはいつもの表情に見えていただろうけれど)
全体ミーティングに挨拶を済ませ、揚げ物でも揚げているのではないかと間違えるくらい凄まじく大きな拍手の音に苦笑い。僕だって嬉しいとは思うが露骨すぎるだろう、これは。ミーティングが終わると各々練習に向かうが、サポーターたちは彼女に付きっ切りだった。朧月さんがやや困った顔をしているように見えるのは気のせいだろうか。
「えっと、ボトルはどこに置いてはりますか?」
「ボトルはココ、冷えたスポーツドリンクは向こうに大きい冷蔵庫があるから。アッ!!いいよいいよ!朧月さんはタオルとか用意してもらっていいかな?」
「は、はい」
とか、
「あの、洗濯洗剤ってどれを使こうたらええですか?」
「タオルはこっちの柔軟剤入りのやつで、ウェアはネットに必ず入れること。えーっと、手が荒れちゃうと思うからタイムを計ってもらおうかなー?」
「…はい」
とか
「タイムの計測をお願いされたんですけど…」
「基本インハイメンバーの記録をするんだけどロードってスピード出てて危ないし、今日はドリンクとタオルを渡すお手伝いをしてくれる?」
「…」
腫物を触るような扱いに見ていて可哀想になってくる。朧月さんだってがっかりしたはずだ。王者箱学とまで呼ばれているこの場所でこんな扱いをされるなんて。今までの女子マネージャーにもこんなに優しい配慮をしてくれれば今頃それが当たり前になっていたはずだ。
マシンを降りて朧月さんのフォローに入ろうとして彼女の顔を見るとそこには冷え切った表情をしていた。周りにはユキもいて、同じことを考えていたのだろうが朧月さんの怒ったような雰囲気にのまれて動けずにいる。両胸筋が激しく痙攣した。
「なんやようけ可愛がってくれとるみたいですけど、うちそんなか弱くみえはります?」
「えーーっと…」
「うちかてロード経験者や。甘く見んでや」
そうかロード乗りだったのか!通りで脚の筋肉に無駄がなくて整っていると思ったんだ!女子にしては柔らかな線というよりはどこか骨ばっているような気がしていたが、骨ではなく鍛えこまれた身体がしなやかに表れていたのだ。ここ最近すれ違うたびに顔より脚に目がいって仕方なかったのだ。
朧月さんはそれからは黙々と教えてもらった通りドリンクを用意し、洗濯物をし、記録をとった。そして言われずともメカニックに部品のアドバイスと相談までし始めるころには、サポーターとして認められていた。表情もいつもみたいに花がほころんでいる。(誰から聞いたのか、近くまで駆けつけてきた福富さんがホッとした顔をしていた)
「よ、泉田。カスミちゃん、大丈夫そうだな」
「お疲れ様です新開さん!ちょっと冷や冷やしましたけどね」
「ははっ、あの子はそんなに柔じゃないさ。だけど泉田は同学年だから、なるべく気にかけてやってほしいんだ。調整してる時期に大変だとは思うけどしばらくは頼まれてくれるか」
「わかりました!ユキも面識があるみたいなのでユキにも頼んでおきます」
「黒田が?へぇ…じゃあ、よろしくな」
「はい!」
新開さんは入部を勧めたからか、表には出さないが心配だったようだ。僕は身体の調整時期に入っているためトレーニングルームで過ごすことが多い。外ではユキにも頼まないといけなくなるだろう。朧月さんが室内にいるときは葦木場に頼むのもいいかもしれないな。
東堂さんと荒北さんが話しかけに行っているのを見て、あの2人でもいいのに。と何を考えているのかわからない新開さんの目を思い出した。
(それはどこか燃ゆるように)