姫さんこちら。

かぐやさま

ペラペラの紙には”入部届け”の文字と”朧月カスミ”の手書きの文字。
放課後、誰もいない教室には朧月カスミちゃんが見本のような姿勢で頭を悩ませていた。


「うーん…」

「なに悩んでんだ?」


目の前の用紙によっぽど集中していたのか、頭上から声をかけられて肩が少し跳ねる。
別にびっくりさせてやろうという意味があって話しかけたわけではないのだが、本人はすごい目を見開いて硬直していた。

パワーバーを半分かじり、カスミちゃんの前の席に勝手に座れば今度は困惑した顔。そんな表情も絵になるな、なんてこっちは呑気に笑う。



「新開隼人、2年だ。よろしく」

「せ、先輩の方…」

「はは、おめさんのこと困らせてるかな俺」

「あ、いえ…あの、ここ1年の教室です」

「部活の用事で1年のやつに話があったんだけどすれ違ったみたいでなぁ、この教室の前通りかかったらすごい真剣な顔してる女の子がいたから。ま、好奇心ってやつ」



「はあ…」と気の抜けた返事をするカスミちゃんを尻目に”入部届け”に目を向ける。
箱根学園は文武両道を掲げているため、何かしら部活動には入らないといけない。この前チャリ部の様子を見に来ていたからてっきりすぐ”自転車競技部”と書いて顧問に提出してるかと思ってた。しかし空白。



「自転車競技って書かないの?」

「え?」

「キミ、京都伏見でサポーターやってたって風の噂に聞いたんだけど」


そういうと曖昧に笑って「もー、誰ですか?そんなこと言いはったんは」と言って、少し目を伏せる。まつ毛が長いからか、西日がよく当たるこの教室の日が顔にあたって目元に影ができていた。



「…本当です。せやから簡単に決められないんです」

「へぇ、やっぱり京都伏見への裏切りになるから?」

「うち、心から精いっぱい支えたいと思ったんです。たくさん練習して、いっぱい回して、彼らの顔が好きだった、だから」

「じゃあさ、またチャリ部見に来てよ。もう一回俺らの走り見て、考えて」



続きを遮って急かすように「俺がスクバ持ってあげるから、こっち!」とカスミちゃんのスクールバッグを半ば奪って、反対の手をとって歩く。廊下には幸い誰もいなくて、それが逆に2人の空間を作ってるようだった。


部室の近くまでいくと自主トレをしていた尽八が驚きで面白い顔をしていたが今はそれに構っている暇はない。カスミちゃんに「ここで待っててくれ」と練習風景がよく見えるところにあるベンチに案内して座らせる。部室に入ると勢いよく続けて尽八も入ってくる。



「お、お前朧月さんを無理やり連れてきたのか!?」

「んー、入部届けまだ出してないみたいだったからさ」

「だからって隼人!」

「おめさんだって入部してくれるかもって言ってたろ?俺らの走りを一瞬、一回見ただけだ。じゃあもう一回、じっくり見てもらおうぜ」



俺の支離滅裂な言葉に呆れたように尽八は腰に手を当てて笑った。ウェア姿になると気分が上がる。さらには絶対に仕留めるというスイッチが入る。

外にでてカスミちゃんのところに寄ると食い入るようにペダルを一生懸命回して走る部員の様子を見ていた。その姿に尽八とこっそり笑って「(これは脈アリってやつだな)」「(手応えだバカ)」と小突きあう。



「どうだいカスミちゃん」

「すごい…」

「どいつもこいつも負けず嫌いで良いやつらなんだ」

「そらもうちゃんと伝わってきます!」

「ははっ!俺の走りもちゃんと伝わるといいな」



バキュンと一発カスミちゃんの胸を撃つ。この意味を知らないのか頭にクエスチョンを浮かべている。愛車を片手で押しながら「ちゃーんと見てて」と念を押してコースに入ると寿一と靖友が横に並ぶ。



「おい新開、女連れてチャリ乗るとかふざけてんのォ?」

「靖友、俺は道の上じゃ真剣だぜ」

「では東堂と新開の言っていた女子があの子か」

「まぁな」



俺と寿一が意思疎通できてるのが腹立たしいのか、靖友が吠えていたがペダルを回せば後ろに音が遠ざかっていく。
「なんで俺だけ知らねェんだヨ!」と最後に聞こえたけど、それはおめさんが最近テスト勉強に追われて昼休みも犠牲にしてたからだぜ。決して仲間はずれとかじゃない。タイミングが悪かっただけだ。(靖友は多分噂と名前だけしか知らないから、遠目で見てもわからないわけだな)


体を慣らすために円上のコースを回る。ちゃんとカスミちゃんはジッとこっちを見ているようだ。ウインクをするとうっすら笑って風に靡いた髪を片手で押さえている。その姿に満足し本格的に走る姿勢にすると、アップが終わった尽八が並ぶ。



「朧月さん食い入るように見てるな」

「ああ、相当ロードが好きなんだな。おめさんのファンじゃなかった」

「ぐ…、俺の走りを見たらファンになるかもしれないだろう!」



茶化すように「どうかな?」と言うと、ムっとした顔で静かに加速して抜かされる。競争をしているわけではないが、追い越されると抜かし返そうとなるのはロードレーサーの本能だろう。ペダルをグイッと踏んでまた追い返す。


「いーや、なるね!」

「それも次期山神の感か?」

「当然だ!」



先輩たちを追い越しているのも今は気にしない。風とアスファルトの熱と、彼女の双眸があればそれでいい。踏め!踏め!もっと!まだいけるだろ!

追い抜き追い越せを繰り返せば、気づけば本気で走っていた。
汗を振り切り、直線ですべてを絞りきる。荒く呼吸をするたびに口の中が血の味がする。尽八もクライマーなのにスプリントをやったせいでいつもより息が荒い。

休憩に入る頃には、俺たちに触発された奴らがこぞってペダルをぶん回している。いつもの光景を眺めながらドリンクを飲み干すと、(俺の中の)今日の主役、カスミちゃんのところへ寄る。

すでに彼女の視線は男たちではなく、一枚の紙に向いていた。教室で穴があくほど見つめていた”入部届け”だ。声をかける前に紙を覗くと口が勝手に弧を描いた。







(絶対仕留めるって合図したろ?)



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