風を切る音が耳に響く。
素晴らしい先輩たちがいなくなり、去年のインハイが終わって、すぐ新しいチームとなり半年。新入生の1年生がどんどんやめていき、絞られるだけ絞られた。骨のあるやつが残ったと思う。
荒北が1年と少し問題を起こしたときは胃が痛くなる思いだったが、その1年生もなにかが吹っ切れたのか、3年生や2年の自分たちによく食らいついて来ている。
もうすぐ芦ノ湖に入る。ここは中間地点でよく使うからそれを過ぎれば登りが始まる。そして下りと直線に入ればまた学校に戻ってこれる。
「おい、あそこにいる女子…」
「やっぱりそうだよな」
長い直線の脇に佇む2人の女子がぼんやり見える。
後ろを走っている同級生たちが小声で話している。今は大事なコース取りだというのにけしからん。知り合いの女子が見に来ているから調子が上がるのはわかるが、あれは俺のファンではないだろうか。でなければわざわざ食い入るように眺めてはいないだろう。残念だったな、坂本。
勢いがあるロードバイクも恐れずにすごい風が吹いても真剣に見ている。
すれ違っても周りの話し声は止まらなかったが、急な坂が始まればそれも静かになった。それでも学校に戻って自主練が始まるころにはまたその話で持ち切りになっていた。
「おい東堂お前も見たろ?芦ノ湖にいた黒セーラーの女子」
「坂本、お前たち後ろで少し騒がしかったぞ。正直1年生に先輩のだらしのない姿を見せるのは感心しないな!」
「東堂見えなかったのか?あの女子、今日転校してきた謎の美少女だよ」
「あくまでその話を続けるか…お前たちが近くで見たいと隅に寄って行ったから良く見えなかったぞ。まぁ俺のファンだったんだろうがな!」
謎の美少女だろうが女子は女子。いつも使うコースを知っている上に、あんな遠くまで来るのは”熱心なロードファン”か”俺のファン”かのどちらだろう。そうなれば勿論、後者に決まっている。
目の前の坂本は「俺一回廊下ですれ違って結構近くで見たんだけど、すっげえ美人でさ」と興奮している様子だった。目の前にすっげえ美形がいるというのになんだこいつ等。
「なんの話してるんだ、尽八」
「坂本が芦ノ湖にいた女子で盛り上がってるだけだ」
「あー、確かに綺麗な子だったな」
「だろ?新開もそう思うよな!」
隼人は女子のほとんどを綺麗だの可愛いだのと思ったりすぐ口にするからな。全く!
坂本はようやく同調できる奴を見つけたからかさらに盛り上がっている。
その転校生が綺麗なのはわかったし、そんなに言われると気にはなってくるけれど何よりロードに乗ることのほうが今は最優先。ほら早く部活戻るぞ獣ども!
付き合ってられるかと先にリドレーに乗り静かに走り出す。隼人もそれに気づいたのか、坂本たちに断り愛車に跨り付いてくる。平坦な道を2人で並んでいた。
「坂本たちすごい盛り上がってたな」
「真剣な目元しか俺には見えなかったがな」
「じゃあ真剣な目をした綺麗な子だったんだよ、ほんとにさ」
「俺は見れたからな。あれは男どもが騒ぐのわかるよ」とパワーバーを口の中に入れる隼人。
そんな風に言われてもな、と思い出されるのは真剣な目と揃えられた黒い前髪、指定の制服とは真逆の黒い襟元。これだけで人の美醜がわかるかと言われればわかるわけがない。沿道に並ぶ女子たちが騒ぐ声が聞こえてくる。
「きゃー!東堂様ー!」
「いつもの指さすやつやってー!」
「素敵ー!!」
ビシッと指をさし笑みを浮かべる。こうして応援をしてくれるファンクラブの女子たちは自分自身への活力になる。
例の”謎の美少女”が本当に自分のファンならここに来てるのにと考えて頭を振る。俺は何を考えている?まだちゃんと対面もしてない女子に。だが指に刺さったささくれくらいには気になっていた。
「相変わらずすげえな」
「まぁな、お前もモテるのだからこのくらいのサービスくらいはしとけよ」
「んー、じゃあ一回だけ」
”相手を必ず仕留める”といわれるバキュンポーズを構えると「おい尽八あの子!」とレースでもないのに隼人は高揚したように声をあげ、狙いを定めて撃つ。
きゃあきゃあと悲鳴をあげる女子の向こうの人気のない道で彼女たちは歩いていた。友達と2人でなにやら楽しそうに見える。そこで初めて俺は”謎の美少女”の顔をはっきりと見たのであった。
鴉の濡羽色の長髪がさらさらと揺れる。控えめに笑う様が同じ高校生というのを忘れさせるくらい大人びている。しかし表情が柔らかいところは可愛げがあり幼く見えた。
そして俺はその顔に見覚えがあったと思い出す。
「帰り道だったのかな、どうだ尽八。騒ぐやつらの気持ちがわかったろ?」
「…ああ、驚いたよ。あの子は確か京都伏見のサポーターをしていた子だ」
「京都伏見…?おめさん良く覚えてたな、俺気づかなかったぜ?」
「少し前の春先での大会だ。その頃は新チームで選手出場してたから周りを見てる暇なんてなかったろ。彼女を見たのは本当に偶然だったんだ。確か、テントが近くてとかそんな感じの…」
──そうだ、あの日は突風が吹いていた春一番の日だった。
俺たち2年生は新チームのデモンストレーションとして走り回っていた。
先輩たちに習い、優勝を常に確実のものとするために。
箱学の自転車競技部は女子マネージャーというのがいない。
いや、志望があれば参加を許可するのだが、その過酷さと厳しさに挫折し、1週間ともしないうちに去っていくの繰り返しだった。
だからだろうか、黒と紫を基調としたジャージに長い髪を高い位置にポニーテールをし、日差しが強い日だと言うのに汗をぬぐうこともなく懸命に走り回っている彼女の姿を見て「珍しいな、女子のマネージャーなんて…」と物珍しいものを見たと思ったのと同時に、本当に好きなものを支援する真剣な働きぶりに胸の奥が少し跳ねた気がした。
その時の俺は「あんなに頑張って偉いな」と思っただけだった。そんな彼女が箱根学園の自転車競技部に興味がある?
「へぇ、京都伏見から転校しても自転車競技部の様子を見にく来る辺り本当にロードが好きなのかもな」
「あぁ、きっとそうだな」
「あの子マネージャーに入ってくれないかなあ」
「入るんじゃないか?」
「おめさん自信ある言い方だな」
「次期山神の感だ!ワッハッハッハ!」
後ろから一周してきた荒北が「ウゼ」と言いながら近づいてきたがウザくはないな!隼人も笑うな!
山の神様もご機嫌のように残っていた春のにおいを運んできていた。
(それは少し甘酸っぱいような、)