01

まだ肌寒い冬風が頬を撫でる季節。

巻島ユウマはその青いデローザで箱根まで来ていた。いくらロードレースがオールウェザースポーツだからと言っても今日はちょっと寒かったかもしれない。帰りは足湯だけでも浸かっていってもいいなあ。

箱根の峰々はいい。道は穏やか、坂は楽しい。文句のつけどころがない。
今年の春からはロードバイクで有名選手を数多く輩出している”聖星学園”に入学予定だったが、この山と直線の道が走れるなら”箱根学園”でも良かったかな。

緩やかな下り坂にスピードをつけるようにケイデンスを上げはじめると、後ろからシャカシャカ自分とは違うマシンの音が聞こえる。後ろを振り返ってみるとヘッドも着けないでダンシングで駆けてくる青髪にアホ毛が印象的な男の子。横に並ぶと嬉しそうな顔で話しかけてくる。



「キミ、このあたりで見ない顔だね」

「…今日は家族で箱根温泉に来てるだけなんデ」

「ふーん、温泉に来ているだけの割にこの山に挑むなんて結構無謀だなぁ」



「初心者じゃないね」と薄ら笑う同い年くらいの男の子。ちらっとその笑う様を見てすぐ前に目線を戻す。ちょっといい汗をかいて気持ちよく温泉に入りたいとは思ってはいたが、悪気のなさそうなその顔にどう返したらいいのか分からず口をつぐんだ。



「もうすぐでこのあたりで一番キツい山道が待ってるんだ。キミさえ良ければ一緒に山頂にいこうよ」

「…いいですけド」

「次の左を曲がるとしばらく直線、その先から緩やかに上りが始まるんだ。そこから頂上まで。どちらが先につくのか競争しよう!」


グッと男の子は力強くペダルと踏むとカーブを先行するかのように早く進む。ユウマは男の子の自由人ぶりにため息をつき少しペースを速めた。



ペダルが重い。タイヤも前にうまく進まない。それでもそれが自分の思う”生きている”ことを実感させてくれる。汗を流しながら、最後の一滴を絞るような、そんな感覚。

後ろを振り向くと静かな山々のさざめきのみ。先ほど勝負を仕掛けた男の姿は見えなかった。正直期待していた。その華奢な身体に息を乱さぬ体力。綺麗なペダリング。経験者でも恐れるその山々を身軽に走る姿を見てこの子と走ったら自分はもっと”生きている”と感じることができるのではないかと思った。

が、その目で確認しても姿はない。これはもはや勝負にすらならなかったかと前を向いたその瞬間。



「おにーさんに追いついたっショ」

「え…?」



風が背中を押すように勢いよく吹くと同時にエメラルドに輝く髪が横をすり抜けていく。きらきらと星が降りかかるように見えるのは錯覚だろうか。どんどん遠ざかるのを見送りながら目を丸くすると自然に口角が上がるのがわかる。やばいな、俺わくわくしちゃってる。



「キミ!!速いね!俺興味出てきた!」

「おにーさん、叫ばなくても聞こえてますヨ」

「あは、楽しいなあ…!」



ギアを上げる手が止まらない。
カチ、カチとどんどん重くして速度を上げてもちっとも追いつかない。先ほどのように横にすら並べないのに”生きている”と心が叫ぶ。

でも足りない。脚が引きちぎられようが、心臓が張り裂けようが、あの男に追いつきたい。



「(あのおにーさん、笑ってるっショ)」


数メートル後ろを走る青髪の男の子が笑いながら迫ってくるのを冷静に見る。風が男の子の味方をするように吹く。前を見据えるともうすぐ山頂。気は抜けないなと思いながらグイっと強くペダルを踏むと更に差が広がる。だれだ、今日は風が寒いと言ったやつは。真夏のように暑い日じゃないか。ニッと兄譲りの顔で笑った。









(山頂はもらったヨ、おにーさん)
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