浴室の壁に、肌を吸い上げる音が反響する。
その音があまりにも甘美で、私は目を閉じた。


「…っ、緒方さん」


私の呼びかけには応えない。
彼は私の両方を掴んだまま、首筋や肩口に赤い花を散らしていった。


「…は」


やがて満足したのか、吐息をひとつ漏らすと、彼は私の身体をきつく抱きすくめた。私たちはお互いに何一つ纏っておらず、遮るものは何もない。湯によって高められたひときわ高い体温を肌で感じながら、私はもう一度「緒方さん」と彼の名前を呼んだ。

すると彼は少し腕の力を緩め、私の顔を至近距離で覗き込んだ。私はおずおずと彼の顔を見る。


「どうしたんですか、今日はなんだか…」


甘えているみたいですね、そう言おうとしたけれどやめた。それじゃまるで恋人同士みたいだ。

私と緒方さんは、恋人同士ではない。
時々彼に呼び出されて、こうして2人で夜を過ごす。
世間一般ではセフレと言われるのだろうけど、それとは何か違う気もしている。
…違う、と思いたいだけなのかもしれないけど。


「なんだか、何だ?」
「…あ、いえ」
「そうか」
「…っ、ん」


噛み付くような口付け。
顎を強い力で固定されているから、息が苦しくなっても、拒むこともできない。

なんだか食べられているみたいで怖くなって、緒方さんの背中をきゅっと掴んでみたけれど、彼はそんなものはお構いなしだ。


「待っ…、ここ、お風呂ですよ」
「それがどうした?ここでもお名前を抱く事はできる」
「…」


彼は本気だ。
射抜くような視線を向けられて、何も言えなくなる。

けれどさすがに、こんな明るい場所で、しかもこんなにもお互いの声が響くところで緒方さんに抱かれるのは嫌だ。私の羞恥なんて、彼には関係ないのだろうけど。

蒸気で滴った彼の前髪の隙間から、鋭い視線が私を貫いて、ぞくりと肌が粟立つのを感じる。私が何を言っても、例え拒否しても、無駄なのだと思い知らされる。彼はそういう男だ。


「君は誰のものだ?」
「…」
「答えろ」
「……緒方さんの、ものです」


震える声で答えると、彼は満足そうに口の端を持ち上げた。私は見たことがないけれど、彼が生業といしている囲碁の真剣勝負で勝利を収めた時、こんなふうに笑うのだろうかと頭の隅で思った。


「いい子だ」


再び口付けが降ってきて、そこから割って入ってきた熱い舌先が私の口腔を侵していく。脳にダイレクトに響く水音にくらくらしながら、これから私は彼に抱かれるのだと思い知った。




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