それはとある豪雨の日のことだった。 今日は雨がすごいな、と火神は朝から思っていた。 というよりも更に詳しく言うなら、こんなに雨がすごいなら学校が休みにならないだろうかとずっと思っていた。実際は普通にあったのだが。 しかし、放課後になると話が別だった。部活中もどんどん酷くなっていく雨に、火神はこっそりため息をついた。 (――今日の部活は、早く終わるかもしれねえな……) それは少し嫌だ――そう思いながら、ちらと体育館の窓から外を窺っていると、黒子から肩を叩かれた。 「――っと、黒子か、なんだ?」 振り向いて自分の相棒を見ると、彼はいつもどおりの読めない表情で淡々と続けた。 「キャプテンとカントクが、今日の部活の終了時間について聞きにいきました」 「やっぱ雨が酷いからか?」 「そうです」 「早めに切り上げるのか?」 「分かりません。それまで、休憩しているようにと言われました」 黒子は額の汗を拭って、火神を見つめた。 「一緒に休憩しましょう」 ◆ そして今に至る。 火神と黒子はいつもどおり二人ならんで、体育館の端に座り込んでいた。先ほどまでハードな練習に取り組んでいただけに、二人共会話はない。火神は、そっと隣の相棒がスポーツドリンクを飲んでいるのを横目で盗み見た。 (こいつは、どうしたらこんなふうになるんだろうか) 火神はふと、そんなことを思って、隣の相棒を(故意ではなく)見下ろした。 (――あいたっ) その拍子に汗が目に入って、痛い。特徴的な眉をしかめた火神は、昔を思い出す。 ずっとアメリカに過ごしていた自分にとって――日本の夏というのは異様なまでに住みにくい。湿っぽくて、空気がクリームのように纏わりついてくる。体育館という場所もあるのだろうが、明らかに水分を含んで重い空気はこの国特有の気候だ。雷も鳴るような豪雨に、火神は少しゲンナリしていた。雨は嫌いだ。イライラして目を擦る。汗がしみて、痛い。 「……火神くん、どうしましたか」 そんな様子を見ていたらしい相棒に、火神は少し反応を遅らせながら答えた。 「――あ??あぁ、目に汗が入って……」 「タオル、忘れたんですか?」 「いや、そういうわけじゃねーんだが」 黒子から見えなかっただろう、右側においていたタオルを右手に持つと、汗や水を含んだそれが重く垂れ下がるのをみて、黒子は微かに笑った。仕方ないですね、そう呟いて黒子は自身の後ろから新しいタオルを差し出す。火神はそれを受け取りながら、目を見張った。 「サンキュ……ずいぶん、準備いいな」 そう自然と口をついでた言葉に、黒子は 「――今日は、朝からすごい雨ですからね」 また、そう言って遠くを見つめる。その瞬間に、遠くから雷が轟いた音が体育館に響いて、二号が吠えて黒子に飛び乗った。 「よしよし……」 怖くないですよ、そう言って(やっと自分がようやく慣れてきた)自らにそっくりの犬を撫でる相棒に、先ほどの思考をつなぎ合わせた。 (こいつは、どうしてこんな風にあるんだろうか) 小さな背中が、部活や試合になるとこんなにも頼りになる。隣に少しだけ視線を飛ばしながら、――そして本人から借りたタオルに顔をうずめながら――静かに考えた。普段は本当に、 (――ぼんやりして薄くて、何考えているかちっともわからねえ) そういう人間は今まで出会ったことがなくて、それこそ日本という風土がなければこういう風に育たなかったのではないかと火神は単純に考えていた。 侍とか、忍とか――そういうたぐいの心の強さだと思う。 (アメリカに居た頃の友達に言ったら、喜びそーだな) じっとりとしたタオルで汗を拭いながら、そう思った。 日本と言ったらSAMURAI・NINJA!自分は流石にそうは思わないけれど、そう思っている友達も少なくなかった。日本という風土や気候や文化が生んだ、そういう強さにあこがれている友達も多かった。 特別で、独特で、特殊で、異質で、不思議な。しかし人というのは身勝手で、「特別」に憧れるくせに「外れた」存在は嫌う。火神もそれに則って、最初は黒子を受け入れがたかったけれど――今は、違う。 (どうしたらこんな風に周りを気づかえるんだろうな) だからこそ、それは別に疎ましさや、やっかみからではなくて本当に、「不思議と」知りたいと思ったから生まれた思いだった。 「火神くん」 そうぼんやりと思案にふけっていると、いつものように唐突に声を掛けられた。少しだけ声が上からして、相手が立ち上がっているのを知った。顔を上げてみるも逆光で、黒子の表情は窺えないが、いつもどおりぼんやりとした表情をしているのだろう。 「あ?」 「練習、今日はもう終わりのようです」 雨が酷くて、電車が止まりそうだそうです。 帰ってきたリコと日向が、そう言っているのに気づいてなかった火神は、 「へ?あ、まじだ。気づかなかった」 既にほとんどの部員が体育館から出ようとしているのに気づいて、慌てて立ち上がる。黒子はそんな火神を待って、隣に来てから歩き出した。それに火神は気づいていない。 ◆ 部室に少し遅れて戻ると、既に殆どが着替え終わっていた。それどころか、みな少しだけ焦っている。なぜだろうかと思い、火神は声を掛けた。 「やけに急いで、どうしたん……ですか、センパイ」 「あ、火神か……いや、今小降りになってるから、早く帰りてえなって」 近くにいた日向に尋ねると、そうした返事だった。そうですか、大変っすね。そう返すと日向は、 「火神も早く帰れよー」 と言って会話を打ち切った。 火神はそれにはい、と素直に返事をして、自分のロッカーの前に移動してから窓の外に視線を移した。確かに先程までバケツをひっくり返したような土砂降りだったのに、ばらばらと、今は少しだけ小止みになっている。 電車通学者や自転車通学者は、出来れば今のうちに帰りたいものだろう。そう判断した火神は、 (まぁ、俺には関係ないな) はぁ、と溜息をついて前を向き直した。 一人暮らしだから、遅くなっても咎めるものも心配するものもいない。それは気楽だが、少しだけこういうときには寂しい気もした。しかしそんな火神の感情の機微は、 「カエルが鳴く日に帰る……これは微妙だな」 「カエル鳴いてねーよ!!!」 「いや、今のはなかなかうまかったと思うぞ!」 見慣れた光景に吹き飛ばされる。ははっと笑えば、気づけば隣に居た黒子が口を開いた。 「センパイたち、いつもどおりですね」 黒子はロッカーをガチャリと開けて着替えを取り出した。 「あぁ、変わんねぇ……あー腹減ったな」 「それも変わらず毎日言ってますね」 呆れたような口調を無視して、普段どおりのやり取りを重ねた。 「帰りマジバいこっかなー」 すると黒子は珍しく少しだけ顔を顰めた。 「……雨、酷いですよ。雷だって、」 「雨よりも腹減ってるほうがよっぽど俺にはとってはひでえ」 そう口に出せば、黒子はほんの少しだけ考えあぐねて、 「……僕もご一緒したいですが、今日は辞退します」 「なんだ、お前も雨ヤバイと危ない組?」 シューとデオドラントスプレーを自分に噴きかける。火神は、少しだけ不快感が軽減されたのを感じて、目を細めた。あ、でもヤバイ。カランカランと缶を振ると、もう少しで無くなりそうな感じ。もうちょっとで切れるな。思い出したら帰りにでも買うか。そう思っていると黒子が続けた。 「いえ、僕は徒歩なのであまり関係ないですが……」 全て言う前に、横目で黒子を見ていた火神は言葉を引き取る。 「雨酷いしな」 「……ええ」 肯定した黒子は、デオドラント剤を手に出し首筋に薄く伸ばしながら目を細めた。ひんやりとでもするのだろう。あたり一面に匂いが広がる。 (……水色か) 徹底してるのかどうかしらないが、その容器はとてもよく黒子に似合う。そんなことをぼんやり考えて見つめていたら、 「火神くんも、今日は危ないですから早く帰ったほうがいいですよ」 「……は?」 黒子はいつもどおり、何を考えているのかわからない口調で言葉を紡いだ。 「いくら一人暮らしとはいえ、今日のような日に一人で出歩くのは感心しません」 火神はギョッとして黒子へと向きなおった。黒子はキョトンと火神を見つめ返した。 「――お前……それ俺に言ってんのか?」 「ええ」 勿論、と黒子の唇が動いた。 火神はそう断言されて、――絶句する。 (なんなんだこいつ……ほんと、どこまで見通してんだよ) 心配してほしいなどと思った覚えはない。大体自分でも吹き飛ばした思考だったのに、その吹き飛ばしたボールをちゃんと受けとってしまうのがコイツで。ほんと、コレに関しては別にバスケしてんじゃねーんだぞ俺ら。受け取る必要も、パスし返す必要もねえんだよ。普段は全然シュート決まらねえくせに。 (……こんなときだけしっかり決めやがって) そして――こういうときだけ小憎たらしいくらいに格好いいからムカツく。 そんな火神に対して一方の黒子は、デオドランド剤をバッグにしまいこんだ。 「……コレ、少なくなって来ました」 黒子はそう言って、バッグを閉めた。コレ、とは先ほどまで使っていたデオドラント剤のことだろう。 「お前、最近買ったって言ってなかったか、それ」 「昨日帰宅したらバッグの中でぶちまけてました。言ってませんでしたっけ?」 「聞いてねえよ!」 「僕の数Aの教科書はさらさらしてとてもめくりやすいです」 「粉っぽくなってるだけじゃねーか!」 「スプラッシュマリンの香りもしますよ」 「どうでもいいわ!!!」 「火神くんなんか授業中の眠気覚ましにちょうどいいんじゃないんですか?」 「余計なお世話だ!」 一連のやり取りが終わって、ぜーはーと息をする火神に対して、黒子はふと視線を下げた。 「でも――無くなったら、困りますね」 「あ?あぁ……明日も雨、すごいだろうから、ベタベタするだろうな」 「そうですね」 すっかり着替え終わった黒子は黙り込んでしまった。火神はそれが黒子が何か考えて、言葉を選んでいる様子だとみなして、黙って待っている。それに、黒子は応えた。 「……やっぱりご一緒します」 「は?」 「でも、マジバに行く前にドラッグストアに寄りましょう」 「え?」 あっけにとられる火神を気にせず、黒子は更に言葉を重ねた。 「僕がコレ買うのに付き合ってください。っていうかマジバ行くのはやめましょう」 「は?」 お前、人の話聞いてた?断定口調に、火神はそう突っ込みたくて仕方なかったが、口をはさむ暇すら黒子は火神に与えない。 「雨酷いですし雷も酷いですから、遅くなったりして――」 黒子はロッカーをガチャリ、と閉めた。 「一人で帰る火神くんに何かあったら大変じゃないですか」 ちょうど着替え終わった火神に、そう言って微笑みかける。 「…………お前ってマジさ……」 「なんですか?」 「どこまで見えてるわけ?」 「僕は残念ながら<鷲の目>も<鷹の目>も持ってないですよ」 ふふ、と黒子はバッグを肩から下げて火神を待った。火神も、バッグに荷物を詰めて黒子の隣に立つ。 「まぁでも――それなりに目はいいほうかと思います」 「……はいはい」 なんだかごまかされたような気がして、 「タオル、洗って返してくださいね」 やっぱりごまかされたと思った。 (……そういえば) アメリカに居た頃の友達の一人に、さっきも思ったみたいに日本に対して若干偏ったイメージ像を持っていた奴がいた。NINJAとかSAMURAIとかも大好きだったが。 「……一歩下がってってやつか」 「は?」 「あ、いや、なんでもねえ」 「はぁ……あ、火神くん、ドラッグストアは駅前のにしてくださいね」 「あ?なんでだ?」 「火神くんが使ってるデオドラントスプレーは多分駅前にしかないと思いますよ、前僕が行ったときに無かったので」 「――、……へぇ」 一瞬また絶句して、次はちゃんと相槌を打てた自分に満足した。 (――日本人の一歩下がってとか、良妻とか、おしとやかとか、そういうのは都市伝説だと思ってたけどなぁ) なんだかんだで自分の気持ちに聡い相棒に、火神は悪い気持ちがしなくて顔を緩めていると。 「何にやにやしてるんですか、気持ち悪い」 いや、訂正。 冷たい瞳で自分を見つめる相棒の頭を、グシャリと掴んだ。 「……なんですか」 「いいや、別に?」 一歩前よりも、一歩後ろよりも、隣にいるこの位置が一番心地よいなぁなんて、もうわかりきってる筈だった。 「じゃあ僕のことそんなにジロジロ見ないでもらえますか?」 「それ、今お前にいっっっちばん言われたくねーわ!!」 通常SS(黒バス)一覧に戻る Novel一覧に戻る topに戻る |