「『……違うもの』」 僕はふいと横を向いた。 動いたおかげで――ふわり。白い清潔な匂いが香る。 「嘘つけ」 「『嘘じゃない』」 彼が困ったように笑った音が背後からした。それに釣られて僕が寝返りを打つと次は?――かさりと衣づれの音が響くんだ。 ただ、ただ静かな保健室。珍しく二人きりだった。 いえないこころ ――さっきまでいた生徒会室とは全く違うこんな空間があるなんて、と。 僕は初めて入る保健室に、転校生らしく驚いていた。だいたい、考えてみれば保健室にお世話になるようなことが今までなかった。オールフィクションがある昔は、そんなことすら無かったことにしていたから。 ……不思議だと純粋に感心する。同じ敷地内にある同じぐらいの広さであるのに、こんなに性質が違う場所。 それが学校ってものなら、なかなか面白い、と思う。 ほとんど同じ年齢で、同じような制服で、同じように過ごすのに、まったく性格の違う人間の集まり。この瞬間を起点とする未来も、過去も、まったく違う人間の集まり。 楽しい。だけど少し不安になる。余りにも自分と他人が違うからかも知れない。その不安に耐えられるほど、自分が強くないのかも知れない。繋がる喜びを知る――裏を返せば、拒絶以外を知ってしまったということ。そして初めて、取り返しのつかない、拒絶を意識すること。 じわり、と背筋が震えたのは、病のせいだけではない。 「『別に病気なんかしてないし!』」 誤魔化すようにそう言い返しながら、彼の顔をちゃんと見た。 普段は眉間にシワをよせているくせに、今は困ったように眉を下げて、僕の寝ているベッドの隣で足を投げ出すように座って。 手には体温計。 はぁ、と溜め息が聞こえた。 「お願いだから熱測ってくれよ!どうみたって風邪引いてるんだから」 「『い・や・だ』」 「さっき倒れた癖に……めだかちゃんたちだって心配してただろ!」 「『倒れてない……ちょっと足を崩しただけだし』」 「嘘つけ」 二回目だ。彼はまた困ったように笑った。ふわ、と心が浮き足立ってしまうのがわかって、顔を顰める。 「『嘘じゃないって』」 「顔赤いっつーの」 「『善吉ちゃんに心配されたのが――嬉しかったからじゃない?』」 軽口を叩けば彼は――次は普通に笑ってくれた。 「嘘つけ!」 「『嘘じゃないよ?』」 彼はがしがしと頭を掻いて、そしてやっぱり困ったように僕を見ていた。 「……あーもう!だから熱を測ってくれって言ってるんだよ!」 はいはい。 その視線を受けて、僕はここにきて初めて表情を和らげる。 ふわふわと確かに頭の隅に霞が掛かって、熱があるのだろうとは思った。震える背筋が、悪寒が、自分が病にあることを教えてくれる。 でも、それでも。 他人に悪寒を与え背筋を震えさせる僕には――逆にちょうどいいくらいだと思う。無理してみんなと一緒に居ようかななんて思ってしまえるくらいにはきつくもないし、楽しいし。 例えば、めだかちゃんと高貴ちゃんと喜界島さんと、財部ちゃんと鰐塚ちゃんと希望が丘ちゃんと与次郎ちゃんと、安心院さんと、君と―― 一緒に居ようかな、なんて思ってしまえるくらい。 風邪引いてるんだから、これくらいのワガママ許してほしい。 どうせ君たちは風邪なんて、かかりたくてもなれないんだから。 それでも、仕方ないなと微笑んで体を起こし、体温計を受け取った。そしてぷちぷちと学ランのボタンを外していく。 ――別に緊張する必要性は皆無なのに、手が震えているのには気付かないフリをした。 「『……生徒会を、執行する!!』」 それを紛らわすようにえい、と掛け声一つを挟んでみると、彼はぷっと吹き出して僕の頭をぽんと叩く。 「仰々しいわ!」 「『あいたっ……病人だぞ僕は』」 「うっせー知るか!ったく……」 「『すぐ手が出る男はモテないよ』」 「黙れ」 「『ま、例えキミがモテたとしても、全く妬ましくはないかな』」 「は?」 「『……高貴ちゃんには、どう、せ、勝てなっ――い、よっ!』」 げほげほっと咳き込みながら答えれば、おいおい大丈夫かと狼狽える声が降り注ぐ。大丈夫、とだけ答えて続けた。 「『だって――僕が女だったら高貴ちゃんにするし』」 はは、と笑うと控えめな電子音が測り終えたこと知らせた。 「『!……お、38度1分。ちょっとヤバいかな……って』」 「……」 「『……なに……黙ってんの』」 彼は奇妙な面持ちで僕を見つめていた。 「……いや、ただ――ムカつくなぁって。それだけ、だ」 「『……僕が高貴ちゃんには勝てないって言ったから?』」 「あー……多分」 彼は釈然としない表情で少し考え込んだ後に、 「……まぁいい。てか、38度って普通にヤバイじゃねえか!」 ちょっと待ってろ、と彼は椅子から立ち上がり奥へと進む。 ――期待するから、そういうの止めてほしい。 その後ろ姿を見ながら、そう言おうとして、言えなかった。 さっきまで散々否定してきたけれど、僕は病気みたいだ。 「これ」のことを「戦争」だと、「盲目」だと、「魔法」だと言う人もいる。 僕からしたら、これは、病気だ。 治らなければならない。風邪みたいなものなのだ。 癒えないから言いたくなる。だけど、言ったらダメなんだ。 言ったら、取り返しのつかない、拒絶が、 「あった!」 その声ではっと我に返り、知らず知らずのうちに俯いていた顔を前に向き直した。 「『どうしたの?』」 「ほら、ポカリくらいはあると思ったんだ」 彼はコップを出してそれを注ぎ、僕に手渡す。 「『ふぅん……ありがと』」 ごくり、とソレを傾けて体の中に注ぎ込む。 ほんのり甘いそれを飲み干しながら、胸の中は苦味でいっぱいだった。 甘い。どうして甘いのだろうか。脳がそう感じるからだ。 ならこれは辛い。苦い。そう信じればいいのだ。 真逆の信号が脳に灯って、目の前が滲みそうになる。 それでもこぼれないのが僕で、括弧付けてるのが僕なのだろう。 「『優しい善吉ちゃんって、なんか気持ち悪い……』」 「はぁあ!?おま、ちょっと優しくしてやっただけで……!!」 「『あはは!ま、いいじゃないか』」 そう言ってコップを机の上におき、起こしていた上体を倒す。 はぁ、とため息一つを吐く。そして毛布をかぶって、言った。 「『じゃあ僕もうしばらくここで寝てから帰るから。お休み』」 「あ、あぁ。おやすみ」 しゃーっとカーテンが引かれる音がして、動揺する。 帰っただろうか。わからない。毛布の中は真っ暗だ。 音もない。視界も冴えない。拒絶してしまったように、外から閉ざされる。 しばらく眠って、そして、帰る。 ――ただ、それだけで終われば良かった。 「『善吉ちゃん、今日はありがとう』」 「!」 くぐもっていたとは思うが、そう呟くと、カーテンの向こうで驚いた気配がした。 まだ居たのか。そう思う前に体が勝手に言葉を吐き出していく。 「……あぁ」 「『……あと、来週の』」 月曜日、放課後、残ってて。 「!」 「『……話があるんだ』」 「……わかった。風邪、早く治せよ」 「『……うん』」 彼がそう了承すると、ばたん、とドアが閉まる音がした。帰ったのだろう。 「あーあ……」 やまいがはやくいえるといいな。 おもいがはやくいえるといいな。 矛盾した思考とごちゃ混ぜの願い。 表裏一体プラマイゼロ。 どちらにも焦がれ、どちらもなれない。どっちつかずに取り返しもつかず。 絶対の拒絶と相対の幸せ。むしろ、「会いたい」の幸せ。 会って話してどうするのか、それはまだ、わからない。 「……うん」 ただ、目を瞑った。 言えないまま終わりたくない。だから言いたい。でも癒えない。いえると、楽に、なれるけど。 「――好きだよ、善吉ちゃん、……」 そう呟いて、意識を手放した。 風邪が治れば、君に会えれば。 この心も体も全部治って癒えてそして言える。 今日、優しく僕を介抱して解放してくれたこと絶対に忘れない。 拒絶されても嫌われても、それが僕だと信じてゆける。 涙が伝った気がした。誰かが拭ってくれた気がした。気のせいだと思って、僕はまた夢の世界に墜ちていく。 都合のいい夢を見るのは、やっぱり僕の体が病にあるからだろう。 熱があるときには悪夢を見るという。 ――これは、悪夢だ。 ** 月曜日まで待てないと、手を握り頬に流れる涙の筋を拭う。 どうか、気づいてくれるようにと。 「もう、一生いえなくていい」 こうやって頼ってくれるなら。 グリーン様へ! 「風邪なのに無理して倒れた球磨川さんを善吉ちゃんが介抱する」というリクエストだったんですが……… なんか、もっと、王道イチャラブにする、つもりでした(過去形) 両片想いとかいいなって思って書いてたんですがなんか普通にいちゃいちゃしてる気がする。わからない。 なんか本当に自分の趣味全開で申し訳ないです……ですがこの度はリクエストありがとうございました!どうか今後ともよろしくお願いします! 一万打企画小説一覧に戻る Novel一覧に戻る topに戻る |