きみが水こそかなしけれ 俺にとって重要なのは自分を押し倒した者が同性であることよりも、球磨川禊であることだった。球磨川禊。川に禊とはなんて清らな名前だろう。しかしその実は汚れきっている。意味不明どころか意味の有無すら不明な言動を繰り返す、根が生真面目な善吉の天敵みたいな男だ。その球磨川は善吉に馬乗りになったまま、同性ならではの迷いなき手つきで制服を剥がしていく。 「いやいやいやいや待てよデビル待て」 『なんだい善吉ちゃん、僕は悪魔なんて怖いものじゃないぜ』 「俺は悪魔よりお前が怖いよ!」 人吉善吉、全身全霊の叫びである。 球磨川はごとりと首のもげるような傾げ方をした。敵対していたときを思い出させる、生理的嫌悪感をみちびく仕草。久しく感じなかった気持ち悪さに全身が粟立つ。 『僕が気持ち悪い?』 途端に言い当てられて凍り付く。気分を害した様子もなく、球磨川は極めて優しく、おだやかに笑った。まるで腐ってとろけるように。 『善吉ちゃんは優しいねー』 「黙れ! のけ!」 『パクらないでくれよ、それは僕の名台詞なのに』 「自分で名台詞とか言うな!」 『それにしても気配をなかったことにしておいてよかった。おかげで無事押し倒せたよ』 「さらっとエグいカミングアウトしてんじゃねえよ突っ込みづれえ!!」 ああどうしてこんなことになってしまったのか。確か球磨川と二人きりで仕事中いきなり背中を強打した、その時には既に床に縫い付けられていた。球磨川を認識したのはその後だ。『不用心だよ善吉ちゃん』まるで心底心配しているような声。『今のご時世男だって不審者には気を付けないと』って不審者も何もここは生徒会室だし不審者はどう見てもお前だろこの馬鹿阿呆螺子抜けよ。 『そんなことよりセッ●スしようぜ!』 「今年一番のいい笑顔!?」 球磨川の右手はぐっと親指を立て左手は器用に俺のズボンのベルトを、ってまずいだろそれは。全力で暴れようとするが衣服を貫く螺子がそれを許さず、関節が僅かに曲がるだけ。全身からどっと嫌な汗が出る。頭を棒でかき混ぜるような混乱と焦燥。 『ふふっいいよ善吉ちゃんその意気だ!』 「興奮してんじゃねえよ変態!」 『でももっと悪しざまに罵ってほしいな』 「リクエストしてんじゃねえ!」 『腐った生肉を見るような目で見てほしい』 「このドMが!」 『駄目?』 「駄目なのはお前の性癖だ!」 叫び叫んでぜえはあと荒く息をする俺の、鍛えた腹を球磨川の手がするりと撫でる。びくりと震える俺とは対照的に、球磨川は少し困ったふうに微笑んだ。その笑みのなんて無垢なこと! 『ふつうはみんな、そうしてくれるのに』 は、と目を丸くする俺にかまわず球磨川の手が滑る。 『なんで善吉ちゃんは僕がいても部屋に入ってこれるの? なんで当たり前のように僕の隣に座るの? なんで平気な顔して話しかけてくれるの? なんで今までしたこと責めないの? なんで僕を人間を見るような目で見るの? なんで嫌いなのに気持ち悪いのに気色悪いのに吐き気を促すのに、汚れちゃうのに、遠ざけないの? せっかく綺麗なのに、なんで? 僕、善吉ちゃんが遠ざかるように、たくさん近づいたのに』 幼子のように訳を知りたがる球磨川を俺は呆然と見ていた。押し寄せる言葉を咀嚼咀嚼咀嚼、嚥下。ああなんてこった、ため息すら出てきやしねえ。汚したくないから遠ざけるため汚すって、こいつはどこまで馬鹿なんだ。手のひらは心臓の真上で止まった。 『ごめんね』 球磨川の手はつめたい。 『君から僕を取り除けなくて、ごめんね』 歪な言葉が雫のようにぽたりと落ちて、俺の胸に染みる気がした。こんなにむごい言葉が他にあるものかと、やけに静かな頭で善吉は思った。 『さて剥こう』 「そういう奴だよあんたって人は!」 自分でつくった雰囲気をぶち壊して球磨川が俺のジッパーを降ろしにかかる。嬉々とした球磨川を見て、空を仰いで、俺はありったけの後悔をこめて言葉を吐いた。 「なんでだろうな」 『おや善吉ちゃん、やっとわかってく』 「なんで俺はあんたのことを、何年も放っておけていたんだろうな」 腹筋に力を入れて弾けるように起き上がる。同時に抜いた腕を球磨川の背中に回して、思い切り抱きしめた。制服のごわつき、肉付きの悪さ、肩甲骨の固さ、ぬくもり。こいつを克服するのはこんなにも簡単なことだったんだ。こうして触れてしまえば人間らしさしか返ってこない。 『え、螺子』 「お前がボタン外してくれたからな。言葉にしてしみじみと感じたが、お前馬鹿だなあ」 『おいおい善吉ちゃん、馬鹿なのは君もだろう。そしてドMなのも君のようだ』 「僕みたいな過負荷を抱きしめるなんて、ってか?」 くしゃりと髪を撫でてやる。花のように濡れた黒髪は驚くほど心地よく指の間を流れた。 「なあ球磨川、誰がお前をそんな風にした。名前人相できれば自宅と職場の住所まで、お前のいかれた頭が覚えてる限りで良い、全部吐け。殴るから」 『はい?』 「吐け」 『え、あの、ちょっと待ってくれよ善吉ちゃ』 俺は自分の頬を思い切りぶん殴った。 「次」 『……男前にも程があるだろう』 感服したような声が遠い、頬で激しい痛みが脈打つ。焦点が定まらなくて球磨川の顔がよく見えない。ああお前の言うとおりだ球磨川、Mじゃないけど俺は馬鹿だよ。でも気づかないお前はもっと馬鹿だ。またお前の言うところの名言をパクらせてもらうが、俺は悪くない。近づけば遠ざかるだと? 近づけば近づくに決まってるじゃないか。なあ球磨川、球磨川禊。お前は知らないようだが、最初から。 「吐き終わったら言ってみろ、俺がいつお前を嫌いと言ったんだ?」 俺にとって重要なのは自分を押し倒した者が同性であることよりも、球磨川禊であることだった。 ついったーでお世話になってます音子さん(@neji1934)から頂きました。 私が適当に呟いた「球磨川さんが善吉ちゃんを押し倒す『善球磨』ください」というツイートを受けて書いてくださいました……っ なんかもう……萌えすぎて息出来ないんですけど病気みたいですね私 本当にありがとうございました! 頂きもの一覧に戻る Novel一覧に戻る topに戻る |