やばい。

その三文字が頭をぐるぐると回っていた。

俺ははぁ、と溜息を一つ漏らして、作業を続ける。
生徒会室の窓から入る朝の風が、ブラインドを揺らしている音が聞こえた。
がさがさ、という音が憂鬱さを増大させて、さらにまた溜息。



たまたま昨日、家に持ち帰ってしようと思った書類をうっかり忘れてしまったのが原因だった。
出来れば今日中にめだかさんに渡したい書類。
仕方ないから朝いつもより早く登校して、急ピッチですすめているのだ。
しかし、朝はさすがにクーラーもついてなくじんわりと暑い。風があるだけマシか。

「……はぁ」
また溜息が零れた。なかなか終わりが見えない。

(久々にポカしたなぁ……)
いつもは何でもそつなく器用にこなすせいで、この久々の危ない状況に溜息しか出てこない。


そんなときだった。


がちゃり、と言う音がしてドアが開く。

思わず書類から顔を上げると、見慣れた顔。

「……あれ?」

彼は驚いたような顔をして立っていた。






改めて朝の挨拶を









「先輩でもそんな失敗するんですねー」
にやにやと意地悪く笑う彼に思わず口を尖らせて反論する。
「俺だって人間なんだよ……」
そう言うと彼はあはは、と笑いながらペンを進ませる。

彼はたまたま、昨日忘れ物をして、それを授業前に取りに来ただけだった。
事情を聞かれ仕方なく答えると、手伝いますと申し出された。
いやいや俺の責任だから、と断ったものの、「大変でしょ」という彼の言葉に押し切られてしまい、結局今に至る。でもありがたいことに、手伝ってもらったおかげであと少しで終わりそうだった。

「っと、おしまい」
「……ありがとう人吉くん」
感謝の意を示すと、
「困ったときはお互い様ですって。仲間なんですから」
彼はそう言って笑う。当たり前みたいに。



……中学のとき、周りの同級生は俺と目すら合わせようとしなかった。
……高一のとき、友達はいたが、それでもやはり様々な理由(例えば女子に人気だとか、例えばなんでも器用にこなす性格とか)が薄い膜のように俺と俺以外を隔てた。柔道部なんか、退部させられた身だ。

だから、仲間だから、なんて言われたのが普通にうれしくて。



だから、

「っ、あ、阿久根せんぱいっ!??!」

目の前が滲むのだ。

やばい、と瞬時に思った。やばいやばい。ダメだ。
そう思ってごしごし、と拭っても拭ってもあふれ出たものは止まらない。

「っ、あ、ごめ……、なんでも、ないから、」
気にしないで。

俺は苦し過ぎる言い訳を重ねて更に涙を溢れさせる。
彼は呆気に取られたような顔をしていたがハッと我に返って俺に話し掛けた。

「あの、なんか、えっと俺が悪かったらすみません、謝ります」
「ちが、うよ!!なんでもな、いって」

あぁまだポロポロと。駄目だ駄目だ。泣き止まなくちゃいけないのに。彼は困惑した表情で俺を見つめている。

「ご、ごめ、顔洗ってく、る」

がたり、と俺は勢いよく席を立つ。

彼の驚いた顔を視認したのと自分の身体が自分の制御下から離れるのは同時だった。


世界が反転した。

あっ、と思った。それくらいあっさりだった。
泣いているのにいきなり立てば足元はふらつく。

それすらわからないほど、自分は動揺しているのだなぁと遠くで思う。
頭、打つかなぁ。受け身をとる余裕はない。

刹那、思考が錯綜する。


――がしり、と腕を掴まれるまで。





「何やってんすかアンタ!」
「……ひとよし、くん」
「大丈夫ですよね!?ケガは?」
「……ない、よ。ありがと」

よかった、と彼はほっと胸を撫で下ろした。
俺はぼんやりと彼を見つめる。彼は俺の腕を掴んだまま俺を引き寄せる。抱き締められている、と思った。

「はぁ、もう……本当にわけわかんないですね」
「ならほっとけばいいのに」
「そうはいかないでしょう!だって、」

だって?

俺は答えを待つ。
風は止んでいるのだろうか。ブラインドを揺らす音すらない無音の沈黙。


すぅ、と彼は息を吸った。

「……目の前で先輩が泣いてたら……俺は、その涙を止めたいと思います」

これって変ですか?と彼は言った。



「……あはは!!はは!!うん、おかしい。おかしいよ!」

突然笑いだした俺に、彼は一瞬むっとした表情をみせたがすぐに笑みを浮かべた。

「やっぱりアンタは笑ってるほうがいいです」
やっぱ訳わかんないけど、と彼は続けた。
そんなコトを言われたせいで、嬉しくてまた涙が零れそうになる。
何でこんなに涙腺弱いのかな、年かな、なんて言うと彼は笑って一歳違うだけでしょなんて言う。抱き締めたままで。

「そういえばまだ言ってませんでしたね」
「ん、何が?」
「おはようございます。阿久根先輩」

「……う、ん。おはよ、う‥…っ」

もう、駄目だなぁ。悪い夢からやっと覚めたみたいだ。そう思ったら止まりかけていた涙がまたボロボロと溢れて、子どもみたいに泣きじゃくる。彼は何も聞かないままその涙を拭ってくれた。

幸せだよ。できれば、授業が始まる寸前まで。このまま、で。




extend!の弓野様のために書かせて頂きました
実はかなり大好きです。書いたのは初めてですが……相互本当にありがとうございましたっ



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