「久しぶり、球磨川くん」 「『安心院、さん』」 「もう聞くと思うから言うけど、大体丸一日君は寝てたんだぜ」 安心院さんは呆れたような目で僕を見た。僕は上体を起こして、彼女を見つめる。 「シミュレーションから逃げ出すために、シミュレーションを重ねる――君は、本当に過負荷な男だね」 「『…………』」 「ちなみにココは君の家」 「『僕、今――』」 「君は高校3年生。今は年越したばっかぐらい。明日――善吉くんが正式に生徒会長になる、選管主催の任命式があって、君はそれに出席しなくちゃならない。オーケー?」 ぼんやりとした頭の中に、それらの単語が吸い込まれる。そして、少しずつクリアになる。 僕は口を開いた。 「『オーケーだよ安心院さん』」 「そりゃ重畳」 安心院さんはどかりと僕のベッドの脇の椅子に座った。かと思うと、僕を一瞥してこう言った。 「ごめん」 「『何が?』」 「君に、選択肢を与えたことさ」 僕が彼女にスキルを貸りるようになったのは「どうして自分の中の恋心を消せないのか」という本当に恥ずかしい理由に起因していた。 彼女はあのシミュレーションと同じように僕にシミュレーションすることを薦め、そしてそのためのスキルを貸した。なぜ消せないのかを試行してみるのが良いと。 そして僕はそのシミュレーションに溺れ、回避したルートで止まらずに進み続けた。 だが、それが正しい流れじゃないのは当たり前で。 それが違和感として生じ、僕はシミュレーションのなかでも同じ事を繰り返していた。 現実をそっくりそのまま、仮想世界でも試行した。 その結果が――これだ。 「意地悪したかっただけなんだ」 と、彼女は言う。 「あのスキルを貸し出せば、こうなることはわかっていたんだけど、それでも僕は君にこの試練を課さずにいられなかった――もしかしたら、僕の気持ちを理解してくれるかもしれないなんて、浅慮だね」 「別に気にしてないよ」 「……」 「わかって欲しかっただけなのは、僕だって誰だっていつだってそうさ」 僕がそう言うと、彼女ははぁとため息をついてみせた。 「球磨川くんは、本当に――強いのか弱いのか解んないぜ」 「あは、僕は誰よりも弱いよ」 「好きに言うがいいさ」 彼女はそう言って、僕に向かって何かを投げる。 「!」 「――まぁ、失恋の痛みは涙で流すがいいっていうから」 水分補給にでもどうぞ。 彼女はそう言い捨てて、僕の部屋から出ていった。多分、スキルが返却されたから慌てて来た――そんなところだろう。案外彼女は人間味溢れる人格者だったりするのだから。 冷たいペットボトルのスポーツドリンク。今冷蔵庫から取り出したみたいに冷えていて、彼女のもつスキルの一つで冷やされていたのかもしれない。それは、とても便利で、不幸だ。 キャップをあけてゴクリと飲み干して、僕はまたパタリとベッドに倒れ込んだ。 「あーあ」 結局、分岐されたシミュレーションから、更に分岐したシミュレーション。それに僕はいちいち感じ入ったり涙したりしていたというのだから、滑稽なことこの上ない。 僕はあの中で「邯鄲の夢」なんて言ったけれど――実際は「胡蝶の夢」とでもいえばよかったのか。 ああ、だからあのとき安心院さんは顔を強ばらせたのかも知れない。 あの安心院さんは気づいていたのだろうか。じゃあ、あの安心院さんはやっぱりと思いながら僕にスキルを貸したのだろうか。何もかももうわからない。大体、あのシミュレーションの中にいた善吉ちゃんやめだかちゃんや高貴ちゃんや喜界島さん、財部ちゃんはただの空想世界の人物なのか?それはなんだか違うような気がする。 そう、例えるならパラレルワールドだったんじゃないだろうか。そう思わなければ、やってられない。 でも本流の現実世界において、善吉ちゃんは僕なんかじゃなくめだかちゃんに恋焦がれ、また生徒会長としてせわしなく走り回っている。新しい役員を探さなきゃ、なんて言っていた。多分僕には声は掛からない。当たり前だ。っていうか、もし頼まれたとしても僕は断るだろう。 でも、それでも―― 「やっぱり"善吉ちゃん"が好きなんだよなぁ……」 あの中の優しかった彼も勿論好きだったし、彼と唇や体を重ねたのは勿論幸せな思いとして僕の中に残るだろう。だけれど、僕はそれを昇華してでも、現実の善吉ちゃんを愛している。彼が傷ついたりするのを恐れている。もう、彼は僕の優しさが必要なほど弱くもないのに。彼は、誰の庇護も必要とはしていない。 それが、現実だ。 やっと、ボタンを掛け違えかのような気持ち悪さが消え失せていた。これが、あるべき現実なのだ。これが、本来の姿なのか。 あのたった一日にあった半年と一日少なかった彼との思い出は、所詮は偽り。優しすぎる嘘だった。 「……」 もうこの想いを無くそうだなんて思わない。だけれどこの想いがこの現実に於いて叶うとも思わない。 結局、してもしなくても変わらない現実試行。それを何万回も、幾度と無く繰り返した僕は。 「現実を、甘んじて受け入れるしか――ないのか」 そんなのは、嫌だ。 次へ 捧げ物一覧に戻る Novel一覧に戻る topに戻る |