「明日、なんの日か覚えてるか?」
僕は彼にそう問われ、あぁ、来てしまったと思った。彼が、心持ち頬を赤くして僕にそう尋ねている様子は言いようもないくらい僕の心を浮き立たせるけれど、それと同時にほんの少しの後ろめたさすら感じてしまう。きっと今、彼は「女々しいと思われないか」とか、「忘れていたらどうしよう」とかそんな意味のないことを考えている。そんなことを考えるような人間じゃないのは、もうそろそろわかってほしいところではある。

僕は結構、形を気にする男だと自分では思う。例えば今のように恋人らしく二人並んで帰路につくのもそのひとつだ。二人で浴びる夕焼けは残酷なほど綺麗でそれでいて暖かい。勿論、繋いだ手から伝わる温度もあるかもしれない。
少しだけ彼の学校が終わるのをまっていたせいで、確かに寒くはあった。けれども僕だってさっきまで大学の中のカフェでコーヒーを飲んで時間を潰していたからそれほど待つのが辛かったわけではない。それに待つのは嫌いじゃない。

大体、僕が気遣うならまだしも、僕は彼に気遣われるような価値のある人間ではない。
むしろ、僕が今何を考えているかを考慮すれば、僕は彼に罵られ謗られるべき人間だろう。


「『……勿論。覚えているよ』」
明日は、僕達が付き合ってちょうど半年の記念日だった。








ちょうど今日から、半年と一日少ない日のことだ。僕が生徒副会長に就任して結構経った頃だったように思う。とはいえあと少しで僕の任期は終了だ。何事も恨んだことのない僕ではあるが、自分が年長者であることをその時初めて、ほんの少しだけ憎んだ。それぐらい、終わりが恐ろしいくらいの幸せを噛み締めていた。
安心院さんは結局何も手出しをしてこなかった。時折来て、僕や彼や高貴ちゃんや喜界島さんに絡んでは退散する。やっぱり読めない人だと思う。いつの間にか、それこそ生徒会室に彼女がいるのが当たり前になったときぐらいにやっとめだかちゃんと話すようになって、そういえば彼女たちはもともと友人だったのだからすぐに意気投合していた。それでもフラスコ計画については毎日毎日飽きもしないぐらいに議論を重ねていた。でも、それも彼女たちにとってはディベートの域を出ないような論争だった。安心院さんはなぜだか、「めだかちゃんを論破できないこと」を嬉しげに受け入れていた。

それで、尋ねた。特に懸案事項がなくなった今、自分がいなくなったときのあとのことを。
具体的に言うと、副会長は誰がするのか。
唐突すぎたかもしれないが、必要なことだと思った。
めだかちゃんは少し躊躇ってから、やはり対抗勢力がいいと言った。自分をセーブしてくれる存在が良いと。自分の過度を、適量に戻してくれる存在がいいと。
それに対して、安心院さんはこう呟いた。
『善吉くんがいいと思うけどねぇ』
『どうしてだ、安心院なじみ』
『めだかちゃんは善吉くんが自分にやさすぎるなんて思ってるみたいだけどそれは君らしくない誤りだと思うね。彼は君のストッパーとしては最適だよ。彼は君の言うことを妄信的に崇めたりしていない。むしろ、そういう人間たちがいるからこそ自分が必要だとさえ考えている』
『……』
『確かに庶務としてもとても重要なポジションにいる彼だけれども、彼の真価は君をセーブし、君を人たらしめるその力だと思うけどねぇ』
『老婆心から忠告すると、君は善吉くんを舐めすぎだよ。彼は、君がわかっているように自分ってものをちゃんと持っている。下手をすると僕や君よりもね』
『……貴重な参考意見として心に留めておこう』

そのとき、僕はほんの少しだけ安心したのだ。めだかちゃんはは人を使うのはうまいが、人の気持ちはわからない。僕が彼女に抱いているのは勿論羨ましさや妬ましさもあるけれど、それ以上の厚意だって、最初からずっと抱いていた。
だけれど彼女は僕の表面的な彼女に対するマイナスな気持ちだけしか読み取れず、僕を副会長の座に据えてしまった。対立する勢力というくせに、僕は君のことが死ぬほど好きだぜめだかちゃん。
僕はめだかちゃんがたとえ誤った道にゆこうが、やりすぎの正義を振りかざそうが決して反旗を翻したりしない。
ただ笑って、おしとやかに面従してしまうだろう。

だから安心した。これで、これでちゃんと彼女が望んだ通りの姿になると。それを代弁してくれた安心院さんにはやはり感謝すべきなのだろうと思って、ありがとうと告げて僕も言葉を続けた。出来るだけきちんと、はっきりと、事務的な口調で。

僕も同じく――現、第九十九代箱庭学園生徒会執行部庶務職、人吉善吉一年生を、僕の後任の副会長に推すと。
これは、副会長としての最初で最後の仕事として、受けとって頂戴。そう、告げた。
めだかちゃんは面食らったような顔をしたが、ちょうど証人もいることだしと続けて頷いた。

そして、正式に僕の後任の指名は生徒会長の名の下に受理されたのだった。



すぐに話しを聞いたのであろう彼が、一人こっそりと帰路につく僕に向かって走り寄ってきたのだけは想定外だった。
『く、球磨川っ!!』
善吉ちゃん、と振り向けば肩で息をしている彼が、待てとでもいうように手を前につきだしていた。
『時間、あるか!?』
勿論、だってもう帰ろうとしてたから、と軽口を叩こうとした瞬間、彼と目があってその言葉を飲み込む。それぐらい、真剣な瞳。仕方なく軽く首肯して、彼の言葉を待った。
『もう、……いなくなるのか?』
え?と思わずポカンと口を開けたような覚えがある。
『だから、俺を副会長に推したのか?』
『折角馴染んだのに、馴染むことすらお前は拒否するのか?』
『俺は、お前の後にいて、そして……、』
彼は、みっともないくらい子供らしくポロポロと涙を零し始めた。僕は軽く瞠目して、それでも彼の言葉を根気よく聞く努力を続ける。
『俺は……お前が好きだ。だから、いなくなってほしくなんかねえ』
『いつまでも、俺の前に、横に、いてくれよ』
『わがまま聞いてくれよ、球磨川っ』
そう言って彼は僕をキツイぐらいに抱きしめた。
『お前がずっとここにいるなんて、思ってたわけじゃねえ。どうあがいたってお前が卒業しちまうなんてわかってた、だけど、こんな風にお前が自分がいなくなる準備をしていくなんて想像してなかったんだ………』
お願いだから、そばにいてくれ。
徐々に強くなる腕の力に、彼の気持ちを痛いほど感じた僕は、結局絆されてしまい彼と一緒にいること、勝手にいなくならないこと、卒業してもちゃんと彼と一緒にいることを約束した。そのときに交わしたキスは、確かにこれが恋愛の情であることの証明と、誓いの言葉の代わりの役割を果たしていた。






「……、がわ……おい、くまがわっ!」
「『あ、ごめん。善吉ちゃんのかっこ良さに思わず見惚れてた』」
ぼーっとしてた僕を、しかるように彼が言葉を降り注ぐ。条件反射的に言葉を取り繕ってみると、もう僕の突然の褒め言葉ぐらいには慣れてしまった彼は呆れたように僕を見やる。
「ったく……で、どこに行くって?」
「『そ!せっかくの記念日だから、明日は僕も授業入れてないし、善吉ちゃんも明日は土曜日だけど学校もないんだろ?』」
「あぁ」
「『だから明日はフツーに遊んで、でご飯食べたりしよう!』」

普通の恋人らしく、とそうつぶやけば彼はそうだな、と顔を綻ばせてみせる。それが本当に心が締め付けられるような切ない気持ちを生み出すから本当に手が負えない。

だって、こうやって二人で並んでいる今でさえ僕は――もう全てをなくしてしまいたいと思っているからだ。
だからこそ、やっぱり僕は冒頭で語ったように、彼に詰られ謗られるべき存在であって、気遣われるような存在ではない。

理由は、特にないのだ。
ただ最近になって、この関係性をなかったことにしたい――否、するべきだと思い始めるようになった。
善吉ちゃんと自分が、こういう関係になっていることに言いようのない違和感を感じる。まるで、歯車が噛み合わないような。そのボタンを掛け違ったような気持ち悪さは、別に善吉ちゃんが男で自分も男だから、とかそういうことではない気がする。そういったいわゆるセクシャルマイノリティへの嫌悪感ならもっと違うはずだし、もしそういうのに対する嫌悪感が僕にあるなら、既に彼に自分の体を無防備に差し出したことのあることはおかしいだろう。そういった行為を、別に嫌だと思ったことはない。むしろ回数を重ねるごとに恥ずかしさは薄れたが、嬉しさは募っていった。


だが――何かがおかしい。
何でこうなってしまったのだろうか。
幸せであることに慣れていないからだろうか?と考えてみて否定する。
確かに幸せだから不安になるという心情もあるかもしれないが、それこそ僕からしたら幸せものの発想だ。僕は、好物は最初に思う存分楽しんで食べる派だ。

その言いようのない齟齬が僕の中身をガタガタに食い尽くしていく。身体と心が乖離するような気味の悪さに、もうそろそろ耐えられそうがない。

多分、これがおかしいことだと気づいているからだと思う。善吉ちゃんが僕といることがおかしいのだ。これは、ずっと前から理由もなく脳の中で揺蕩う感覚。


そんなわけの分からない理由にもならない理由で――もうそろそろ、無かった事にしたいと、思っている。その半年と一日少ない日の出来事を。まぁつまりは別れたい、ということなのだけど。

好きだけど、好きだからこそ、この違和感に耐えられないのだ。


「ん、じゃあまた明日」
「『うん』」
思考を重ねながらも相槌を打つことは忘れなかった僕に、彼は別れの言葉を告げる。明日の約束を結びながら。
道の分かれ道。右に行けば彼の家、左に行けば僕が一人暮らししている家。
いつもここで別れるのだ。そして、

「『――、ん』」
「……じゃ、明日な」

少しだけ目立たないように裏道に入り込んで、唇を合わせる。別れを惜しむように。そのときになると僕の中の気持ち悪さはマックスに達して、唇はピッタリと合わさっているのになにもかも掛け違えたかのような手遅れ感が積もっていく。それでも、合わせた唇は柔らかくて暖かくて、やっぱり僕は善吉ちゃんが好きなのだ。たとえ、何回もあの半年と一日少ない過去をなかったことにしようとしてもできなくて、困っていたとしても。

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