(現パロ)
(性描写を含みます)




トラファルガー・ローは売り物である。
売り手と買い手が存在し、値段がつけばそれはもう立派な商品だった。
端的にいえば、ローは男にしか欲情できない性質だった。そして世の中には自分以外にもそういった人間が一定数いるのだと実感を持って知ったのは、初めて男に抱かれたときだった。当時着ていたまだ新しい高校の制服は、肩幅や袖の長さに少しゆとりがあって、ローよりも十歳ほど年上に見えた相手が、かわいいね、と何度か笑っていたのを覚えている。二回射精されて、どうにか一度射精して、三万円を渡された。だからという訳でもないが、それ以来ローは気が向くたび男相手に三万円で売り物に徹している。商品である以上、ローは相手の望むことは出来る限り叶えてやったし、多少趣味の合わない相手でも大概はローを最大限気持ちよくさせようと努力する。人生のいくらかを占めるビジネスは、今のところまったくもって悪くなかった。


もちろんそんな事情を知人友人に暴露する趣味は持ち合わせていないのだが、なにしろ衝動というものは恐ろしい。「女に興味が無い」くらいは言っても構わないだろうか、と理性の箍が緩むことだってある。主に苛立ちが頂点に達している時などは。

「ほんと、今回だけですから!お願いしますって!」

「嫌だ」

「一回だけ、本当に!もう金輪際しつこくしませんから!タダ酒飲むと思って今回だけ!」

「彼女いるし」

「もう少しやる気のある嘘吐いてくださいよ!」

必死に説得しようと試みるシャチは、薄く色のついた眼鏡に隠れてよく分からないが、うっすら涙さえ浮かべているようだった。早い話が合コンの数合わせだ。「ローさん顔だけはいいし座っててくれるだけでいいですから!相手も可愛い子ばっかりって聞いてますし!」とカフェテリアのテーブルを叩き出しそうな気迫で訴えるシャチの言葉を聞き流し、ローは半分ほど氷が溶けて淡いグラデーションの掛かったアイスコーヒーを掻き回した。女相手の飲み会など、ローにとって世界でもっとも不毛なもののひとつでしかない。

「……なんでローさんって彼女作る気全然無いんですか…選り取り見取りですよ、腹立つくらいモテるのに」

「んー…相手に困ってねえし」

「知ってますけど!」

ローの性癖を知らないそれは勘違いも甚だしいのだが、いつもならあしらえば渋々引き下がるこの後輩が、珍しいほど食いついてくる。よほど期待を抱いているのだろう。絵に描いたように健全な大学生であるこの後輩を、態度に出さないだけでローはわりと気に入っている。本気で迷惑なのが半分、折れてやってもいい気になっているのが半分だ。申し出通り、二、三時間酒に付き合って、今後の平穏が約束されるのなら。
それに、おれだってセックスしたくてしょうがねえ気分はまぁ分かるし、とは思うだけで口にしなかった。絶句の後にひとしきり抗議されるのは想像するだけでうんざりする。
ローがいつものように頑なに断り続ければ、きっと最終的に折れたのはシャチの方だっただろう。
だからほんの匙加減ひとつの気まぐれでしかなかった。
それだけだったのに。



「…トラファルガー?」

「え…?おう…つうか、え……まじで?ユースタス屋?」

「相変わらずその呼び方かよ」

見覚え、なんてものではなかった。これを忘れられる人間なんてそうはいないだろうという派手な風貌の男が、驚いた顔でローを見下ろしている。見開かれた切れ長の眼の色と、ぬるい風にわずかに吹かれた赤い髪が夜に浮かぶネオンを滲ませる。ほんの数瞬、ローは周囲の時間が巻き戻ったような錯覚さえ覚えた。ほんの束の間のことだけれど。繁華街には似合わない制服をとうに脱ぎ捨てた男は、高校時代のクラスメイトだった。

「…お前も合流?今日の飲み?」

「あぁ…本当に久しぶりだな、二年か…そろそろ三年振りか?驚いた」

「おれも」

ローが約束をすっぽかすと懸念したのだろう、ほとんど引きずられるようにして連れてこられた合流先での思いもしない再会だった。知り合いだったんすか、と感心半分、驚き半分で無邪気に尋ねてくる後輩の言葉にも曖昧な返事しかできなかったのは、どこか現実感が欠けていたせいかもしれない。

「キッドさん、去年そっちの学際でステージやってたじゃないですか、おれ友達と見に行ったんですよ。格好よかったです」

「あぁ、どうも」

「おれああいうのすっげえ憧れてて!大学入った時もバンドやりてーってローさん誘ったんですけど、鼻で笑われたし」

「よりにもよっておれに声掛けんなよ……大体ユースタス屋は高校んときからやってんだからこのレベルとか目標高すぎだろ」

キッドが意外そうな顔でこちらを見るのが視界の端に映る。余計なことを言った、と舌打ちしたくなった。これではまるで気心の知れた旧知みたいだ。ユースタス・キッドとは別に友人と呼べるほどの関係でもない、本当にただの顔見知りでしかないのに。
けれどシャチがそれ以上何か言う前に、少し離れた場所から賑やかに彼を呼ぶ声がした。「早ぇって、もう着いてた」「女の子たちまだ?」「さっき駅着いたってメールあった」気安い楽しげな様子で、シャチと共にいるローにも会釈が寄越される。なんとなく程度に見知った顔が二人、あとは覚えがないから、シャチの同級生かキッドの方の知り合いなのだろう。「予約時間だし、先に店入ってましょう」と促され、ローは拳ひとつ分高い位置にあるキッドの顔を見た。こういった雰囲気はあまり肌に馴染まず、すでに幾らかの居心地の悪さを感じていた。こちらを見つめ返すキッドの表情からは、何を考えているのか読み取れない。視線はすぐに断ち切られ、骨張った手がボトムのポケットから少し潰れた箱を引っ張り出した。

「先に行っててくれ、煙草吸ってく」

分かりました、と何の疑問もなくローごと置いていった後輩は、完全に二人を仲の良い友人だと思い込んでいるのだろう。差し出された煙草を首だけ振って断れば、キッドはそれ以上勧めるでもなく、慣れた手付きで銜えた一本に火を点け、深く息を吸い込んだ。ローに掛からない位置へと吐き出される煙の匂いだけが淡く香る。キッドはなにも喋らず、ローもまた、ひと口ごとに点滅するフィルターの先の火をぼんやり眺めていた。いつから煙草を吸うようになったのだろう、と取り留めもない思考が流れていく。高校の頃はまだ吸っていなかったと思う、多分。硬質な印象の薄い唇は、きっと苦い煙の味がするのだろう。想像でしかなく、昔のローにはそんな覚えはなかったけれど。
友人と呼ぶには首を傾げてしまうくせに、この男と一度だけキスをしたことがある。




落ち着いた照明の中に水槽が設置されたいかにも洒落たダイニングバーは、なるほど同年代の女が喜びそうな雰囲気だとローは少し感心していた。けれど皿の上できれいにアレンジメントされた料理を器用に取り分け、フルーツの入ったカクテルのグラスを傾けるようなスタイルはどうにも馴染まない。結局一番遅くに店に入ったロー達は端の椅子にそのまま並んで座ったのだが、どちらが気になるものやら、チラチラといくつもの視線が向けられ続けるのにも辟易していた。おれに話し掛けても意味ねえんだけど、といっそのこと言ってしまえたらいいのにと思う。自分にとっても、相手にとっても。

「……ユースタス屋」

「あ?」

「退屈なんだけど」

「知るか」

一応は小声で気を遣ったローの訴えに、キッドは素っ気ない返答しか寄越さなかったが、一見涼しい表情の裏で多分ローに負けず劣らずうんざりしている。判断材料はせいぜい眉間にいくらか寄った皺くらいで、平素から仏頂面の類に入るこの男にはいかにも物足りなかったが、ほとんど確信に近かった。適当に飲んで、あらゆる煩わしさを振り切って帰って眠りたいと思っている顔だ、これは。

「なぁってば」

「…なんだよ」

「抜けねえ?」

「…馬鹿言え。どうやってだよ」

「普通に出ればいいだろ」

なおも何か言いかけたキッドに被せるように、「あのさ、」と二つ飛んだ席にいるシャチに声を向ける。

「悪いけどおれ達そろそろ戻るな」

気楽な調子で告げられた内容を、多分誰もとっさには理解していなかっただろう。行くぞ、とキッドに声を掛けて立ち上がったローが、単に手洗いに立ったのだと思ったのかも知れない。「は…?え、どこに!」といち早く我に返って慌てふためいた声を上げるシャチを振り返りもしなかった。気にしなければいいのだ。それなりの時間付き合ってもう終盤に差し掛かる頃合であったし、女達は見ず知らずもいいところで、男はむしろ有難がってもおかしくない。シャチは諦め半分で怒るかもしれないが。
ちらりと視線だけを斜め後ろに投げれば、キッドは文句も言わずに半歩後を着いてきていた。女達の動揺したようなざわめきがその背中越しに聞こえる。全く未練がましい様子の見られないこの男も、おそらくは自分と同じく頭数合わせとその女受けのする容姿で引っ張ってこられたに違いなかった。

「……驚いた」

思ったよりも近い場所からしたその声に、しかし非難の色はない。面白がるような含み笑いだけが滲んでいた。おれもだよ、とローは心の中だけで返す。本当に素直に着いてくるとは、半分思っていなかった。
従業員の手で音も無く引かれたドアから一歩出た途端、湿気を含んだ熱気が肌を撫でる。重さのある空気はどこか浮ついたローの気持ちを捕まえ、肺の中に押し込め、呼吸と一緒に体の中をぐるりと掻き混ぜる。気分は悪くはなかった。けれど、良くない兆候だとも思った。

「ユースタス屋これからどうすんだ」

「別に、することもねえしこのまま帰るけど」

「けど?」

言葉尻を捉えたローの意図を計りかねたように、キッドの歩調が緩む。

「なんもねえなら飲み直さねえか」

「…お前と、か」

「他に誰がいんだよ。顔合わせんの久しぶりだし」

キッドはすぐには答えなかった。視線を合わさず、なにか躊躇している風にも見えた。一分ほどの沈黙がいやに長い。大通りから車のクラクションが聞こえる。10メートルほど先にある横断歩道に据えられた信号の青がチカチカと瞬き、タイミングの悪さをローはこっそり笑った。立ち止まらざるを得なかったキッドが更に数秒の沈黙の後、「今日はやめとく、悪いけど」と低く呟いた。

「そうか」

「またそのうちな」

「……」

「……トラファルガー」

「ん?」

「昔、お前に言ったことあったか?バンドやってるなんざ」

「さぁ、聞いてねえと思う。でもおれも文化祭で見たよ、お前が歌ってんの、一年のとき」

「…文化祭、」

「懐かしいな、もう六年も前になるのか。早えよな」

「そうだな…」

「でもよく覚えてる」

目の前を音を立てて車が次々に通っていく。ローは少しだけ体の向きを変えて、赤い瞳を見上げた。不遜な仏頂面がわずかにたじろぐ気配を察して、背筋をぞわりと這い上がるものがある。腰の奥が重くなるような、錯覚と言い切れない錯覚。

「あの日の午後、お前が寝てるおれにキスしたのも」

今度こそ大きく見開かれたキッドの眼は、一拍置いて青に変わった信号などもう映していなかった。周囲にあった人の波が動いても、キッドとローだけが、世界から切り取られたようにその場に立ち尽くしていた。

「……お前、」

「寝てなかった」

「…っ、」

「ユースタス屋、別にもう、飲みに行こうとか言わねえから」

キッドの薄らと汗ばんだ掌を掴む。抵抗はほんの僅かだった。それも引っ張るようにして一度歩き出してしまえば、もう無いにも等しかった。
ローにはこの辺りの土地鑑がさほどあるわけでもなかったが、繁華街からなるべく外れるように、人通りの少ない道に逸れるように進んで、レストランの裏手らしい手狭な路地に入り込めば、ちょうど上手く人目から逃れることができた。すぐそこにある従業員用らしい出入り口がいつ開くか分かったものではなかったが、知ったことではないとキッドの手を強く引く。黙りこくっているこの男が何を考えているのか、それすらもどうでも良かった。身体の芯で熱か灯って燻っている。口の中に溜まった唾液を飲み込んで、赤い滑らかな髪に指を差し入れた。浮かされたように欲情していた。

「…なぁ、しゃぶらせて」

「は、…」

「しゃぶりてえ…いいだろ?ユースタス屋はなんもしねえでも、別に目閉じててもいいし」

「…ふ、ざけんな、変態野郎」

「その変態にキスしただろ、お前だって」

ローは躊躇無く地面に膝を着き、ボトムを留めるベルトに手を掛けた。キッドが思わず、といったように一歩後ずさったが、背中が壁にぶつかり行き場を失くす。ガチャガチャと金具を外し、ジッパーを下ろさないまま着衣の上から股間を何度も食んだ。布の下でびくりと震える塊が膨らみ、唇を押し返すたび、陶酔にも似た感覚が頭を浸していく。クソ、と頭上から憎らしそうな悪態が零れる。
取り出す間すら惜しくて頬を鼻先をすり寄せ、布地の上から歯を立てた性器はすっかり勃起していた。溢れてくる唾液を絡め、音を立てて啜り上げるローの髪を些か乱暴に大きな手が掴む。構わずに膨張した肉を限界まで飲み込み、えづきそうになりながら口腔を窄め、舌の表面を擦り付けるように頭ごと動かす。鼻の奥に抜ける生々しい匂いに背筋が震え、下着の中が濡れるのが分かった。自分は今、どんな顔をしているのだろう。視線だけを上げてキッドを窺えば、それだけで人を射殺しそうに殺気立つ眼がローを見据えていた。身体はこんなに昂ぶっているくせに、邪魔くさい理性がまだ引っ掛かっている。甘えるようにローの口の中でペニスを脈打たせて、一方でひどい嫌悪を滲ませて見下している。それすらローを興奮させると知ってか知らずか。

「…っ、随分慣れてんじゃねえか」

「ん、んっ……だって、こんなん…慣れてるし、実際…」

「くたばれクソビッチ…ッ、」

唾液と先走りが交じり、ぬめり、塩気を帯びている。喉まで塞がれかかって飲み下すのに苦労するそれが、唇の端からこぼれ、顎を伝って滴り落ちる。キッドのペニスは随分と大きくて、口に収まりきらないのが残念だった。できることなら鼻先を陰毛に埋めるくらい深く飲み込んで、キスできるくらいの目の前で射精を耐えて腹筋が震える様まで見たいと思った。一刻も早く喉の奥に精液を叩き付けて欲しくて、けれど一秒でも長く温かい肉を味わっていたくもあって、こんなにもどかしいフェラチオは初めてだ。根元をゆるゆると撫でていた指先を睾丸に掛ける。やわく揉みこむと、キッドが低く呻き、頭を掴んでいる掌に力がこもった。短い髪がぎゅっと握りこまれ、頭皮が引き攣れるように痛む。もう入らないと思っていたペニスを更に押し込まれ、生理的な嘔吐感に喉奥が痙攣し、涙がぼろりと零れた。反射的に逃げようとした身体を引き摺り戻され、口腔を抉るように出し入れされるのは苦しくて、けれど舌も粘膜も捏ね回されるように犯されながら射精してしまっているのではないかと思うくらい、気持ちが良かった。無意識に漏れる悲鳴じみたみっともない呻き声ごと押し戻すように、熱くどろりとした体液が口の中で弾ける。気を抜けば緩んだ口元からこぼれそうになるそれを、一滴残らず胃に収めようと、ローはまだ硬さの残る性器に夢中でしゃぶりついた。

しばらくの間、潜めた、けれど抑えきれない荒い息遣いだけが聞こえていた。地面にへたり込んだまま自分の股間を探り、張り詰めたままのそこに指を這わせて、イけなかった、と呟いたローを、心底うんざりした眼をしたキッドが見下ろしている。「…当たり前だ。フェラしただけでイきやがったらてめえ、救いがねえぞ」と吐き捨てられ、ローは否定も肯定もせず首を傾げて白痴のように笑った。これ以上ないほど機嫌の悪そうなキッドに、あのままもう少しされていたらきっと、とは言わないだけの分別は持っていた。
視線を上げると、目の前にはまだ中途半端に勃起したままの剥きだしの性器がある。ローが唇を寄せてそっと舌を這わせても、予想に反してキッドはそれ以上罵倒することをしなかった。舌の上には精液の残滓がこびり付いている。頭の芯から犯されているような匂いに眩暈がしそうだ。熾き火のようにくすぶり続ける熱は引いてくれない。欲情というものは、幸福な飢餓感に似ている。

「ユースタス、屋」

「……」

「足りねえ…なぁ、もっと欲しい」

六年前は、まだ男を知らなかった。今は違う。心臓がどくどく煩くて、全身に薄く汗が滲むほど発情した身体の奥が、勝手に形を変えて男のための空洞を作ろうとさえしている。汚いものでも見るようなキッドの瞳に絶望の色が混じっていることに嫌でも気付いたけれど、自分をこんな風にしたのはこの男じゃないかと、そんな気さえする。六年前のあの時にめちゃくちゃに犯してくれれば、きっとおれはもう、その後ずっとお前しか知らなくて、誰もいらなくなるくらいに、きっと。




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