(本誌二年後の少し前)
(スモーカーさんとローさんであれこれ捏造だらけ)




事の始まりはマリージョアにてトラファルガー・ローを見かけたことだった。
我が目を疑うとはこのことだ。軽装しか知らなかった男の厚手のロングコートに包まれた姿は違和感さえ感じさせたが、そのピンと伸びた背筋と、なにより特徴的な模様の帽子と刀を見落とせる筈もなかった。ぎょっとして足を止めたスモーカーをちらりと一瞥して、ローはほとんどコートの襟に隠された口元に皮肉な笑みを浮かべてみせた。「お久しぶりだ、sir」、吐き出された言葉も皮肉以外の何物でもなく、スモーカーは不愉快さを隠そうともせず顔をしかめてみせた。

「てめえに敬われる覚えはねえな」

「ご挨拶だな…どうせ昇進してるんだろう。なんて呼べばいい?准将か、少将か」

「こんな所でなにしてる」

軽口を無視して唸るように被せられた質問に、ローはさして気を悪くする風でもない。ひょいと肩を竦めて壁にもたれかかった。スモーカーが取り出しかけている愛用の十手を面白そうに眺めているが、刀を構えようとはしない。

「物騒なもんはしまっとけよ、白猟屋。ここがどこだか分かってんのか」

「……俺の台詞だ。なんだっててめえみてえな海賊が、」

「七武海になった」

聞き慣れない単語だと思った。しちぶかい。眉間の皺を深めたスモーカーが時間をかけてそれを反芻するのを待ち、ローはもう一度、静かな口調で念を押すように繰り返した。七武海になった。

「……てめえが?」

「俺の贈り物の話を聞かなかったか?」

「……百の心臓を送りつけたって胸糞悪い噂なら届いている」

「さすが政府の情報伝達は正確だ。たった今、話がついた。すぐに世間にも発表されるだろう。野放しの海賊がしでかしたとあれば大パニックだろうが、味方に引き込んだなら戦力の誇示だ」

「味方?」

「お前はお気に召さねえだろうとは思ってたよ」

まるで薄汚い野良犬を見る目だ。そう言ってローはおかしそうに笑う。お前も同じくせに、海軍の鼻つまみ、行儀の悪い野犬まがいが、と言外に嘲っている。せり出したつばが作る陰鬱そうな影から、酷薄な色をした眼がうっすら笑んでいる。嵐の来るほんの少し前の海の色だった。なるほど、こいつなら百の心臓を手に取ることなど苦もないだろうと納得して、スモーカーは灰になりかけている葉巻の端を噛み締めた。

「互いに言いてえことは山程あるだろうが、ひとまず休戦するしかねえだろう、なぁ少将。紛いなりにもこれで俺は、」

俺は、なんだったのか、その先を聞くことはなかった。政府の人間だとでも言うつもりだったのかもしれない。議論の余地はないと言わんばかりにくるりと背を向けて、滑稽で中身のない、それこそ心にもない戯言は、ただ無意味にスモーカーの神経をささくれさせることしかしない。
ぐい、とコートの襟を掴めば、あっけなく無防備なうなじが晒される。スモーカーの無骨な掌ならば片手でへし折ってしまいそうな首筋だった。上着に隠されてはいても細身の男だ。これがあの曲者ぞろいの(押し並べて体格もいい)七武海どもに加わるのかと思うと不思議な気分だった。そんなことは有り得ない、と頭の隅でいやに鈍い声がする。
トラファルガー・ローが七武海?あの最悪の世代においてもなお悪名高い、指図を受けることがなにより嫌いな、生まれてこのかた殊勝に膝を折ったことなどなさそうな、この男が?有り得ない。理屈ではなかった。そんなことが許されていいはずがない。
振り返りかけたローの横顔があっけにとられている。襟足の少し下、微かに浮き上がる頚椎の出っ張りを十手の先で軽く押した。考えるよりも早く伸ばした両腕にたちまち、想像していたよりは幾許か確かな重みが落ちてきた。





「……まさかこんな熱烈な歓迎を受けるとは思わなかった。もしかして聞き逃したのかもしれねえが、俺は飲みにでも誘われたのか?」

「ここが酒場に見えるってならその通りだな」

「お前のチョイスにしちゃあ小洒落てるとこだ」

「……光栄だよ」

左腕と右足から垂れ下がる無骨な鎖を忌々しそうに調べながら、ローが吐き捨てた。皮肉ばかり紡いでみせる口先とは裏腹に、まったくもって気に入らないと不機嫌な顔を隠そうともしない。身じろげば壁に打ち付けられた重たい鎖がじゃらりと鳴く。軍で扱われる、能力者を拘束するための枷が繋がっている。
海楼石と、崩折れたところへ首筋への一撃、不意さえついてしまえばそれで充分だった。昏倒したローが目を覚ましたときにはもうこの有様だ。手足を一本ずつ繋がれ、少し離れたところにコートと帽子と刀が放り出されている。さして広くもない部屋の床にローは寝かされていた。傷の目立つ大ぶりのテーブルがひとつと数脚の椅子、据え付けられた小さなキャビネット、あとはせいぜい幾つかの空き樽がある程度の簡素な部屋だ。こういった雰囲気をローはよく知っている。地面がゆらゆらと穏やかに揺れている。どこかの船室だろうと見当がついた。ひとつきりの戸口の横の小さな窓から切り取られた空がちらりと見えたが、テーブルに肘をついて葉巻を吹かしている男の図体にほとんど遮られていた。
外は薄暗かった。分厚い雲を透かしたような、おぼつかない光が気を滅入らせる。海楼石の枷が触れる肌からは、刻一刻と気だるさが染み込んでくるようだった。

「何のつもりだって聞くだけ無駄なんだろうな」

「……まあな」

「白猟のスモーカーにこんなご趣味があったとは驚きだよ」

「気味の悪い冗談はやめろ」

心底不愉快そうに葉巻を噛んだスモーカーを冷たい眼で睨み、ローは自由な右手をせいいっぱい刀の方に伸ばすが、届かないことなど明らかだった。

「なんて事してくれやがった……あと数日もすれば俺は正式に七武海加入だと言っただろうが。こんなタイミングで俺に手を出してなんになる?てめえも面倒なことになるぞ」

「数日後の話なら、今のてめえはれっきとした海賊だろうが」

「……お粗末な屁理屈だ」

「てめえはてめえで今日はよく喋る」

何のつもりか。こっちが聞きたい。何のつもりだろうなぁ、とスモーカーは焦点をずらした視線をぼんやりと宙に投げた。小一時間前の自分はおそらく血迷っていたのだろう。ローに指摘されるまでもなく、実際厄介ごと以外の何物でもない。四億四千万という馬鹿げた額の掛けられたこの首も、七武海になるというのならビタ一文にもならないのだ。もっとも、海軍であるスモーカーがどれほどの額の首を提げて帰ったところで、ポケットマネーになるわけでもないのだが。
ローは黙ってじっとこちらを睨み上げている。スモーカーが予想していたより、もう少しだけローは冷静だった。暴れるなり罵るなり、もう少し、悪足掻きでもしてみせると思っていた。矜持の高いこの男がおとなしく床に繋がれているなど一種の悪い冗談だったが、武器に手が届かないと分かると、こちらの出方を伺うことに決めたらしい。上官の支持を仰ぐ一兵卒の眼差しに、ひと掴みもふた掴みも敵意を加えたらこんな視線になるのかもしれない。

「…いやな天気だ」

「あぁ…じきに降るだろうな」

「俺を帰す気はねえんだな」

「今のところはな」

「だったらもう寝る」

「……まだ日も暮れてねえぞ」

「俺の勝手だ。雨は嫌いだ」

厳しい眼でスモーカーを睨みつけたままだったが、聞き分けのない拗ねた子供のような言い草だった。なんとかして困らせようとしているかのような。葉巻を銜えたまま口端だけで苦笑すると、ローがほんの僅かにむっとしたような顔をした。

「向こうの部屋にベッドは一応ある。清潔なシーツとまでは望めねえがな」

「ならさっさと連れて行けよ」

「できねえ相談だ。それを外さなきゃならねえだろ」

厚手のコートを剥ぎ取られてしまえば、あるのは骨ばった細身の手首だった。重たそうな枷は少しだけ緩く、皮膚との間に幾許かの隙間を作っている。冷たい枷と血の通った肌の隙間にたまった空気の温度を確かめるように、ローはその部分に指を這わせてため息をついた。

「今ならベッドのありがたみがよく分かるよ。次からはペンギンの小言も、もう少し素直に聞けそうだ」

まったく同感だった。仕事の虫であるスモーカーは、自宅のベッドより執務室のソファの寝心地が体に染み付いている。風邪を引きますよ、といつも小煩いたしぎの声が今は懐かしい。けれどここにいるのは自分自身とトラファルガー・ローのみで、それを知るものすら現時点では誰もいない。雨に閉ざされた船室で、よりにもよってこの男と二人、寝床を嘆く羽目になるとは誰が予想しただろう。
ローはだらしなく壁に凭れたまま、テーブルに頬杖をついて葉巻を噛むスモーカーをじっと眺めていた。互いに睨みあう訳でもなく、眼を逸らすこともしない。身じろぎひとつせず、眠りの気配が近づくことだけを待ちわびている。





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