(切り裂きジャック的な殺人鬼キドロ)
(流血やグロやローさん以外の女性との絡みがあります。後味あまり良くないです)
(色々と不適切な描写が含まれますのでご注意ください)





赤い髪は娼婦の証だという。
キッドの場合は男であったから、お前の母親が娼婦なのだろうと嘲笑されるのが常だった。馬鹿げたことを、と吐き捨てて侮蔑を返してやればよかったものを、あいにくとキッドは母親の顔を知らない。教会の前に捨てられていた孤児であったから、否定する根拠を持たなかった。育てることのできない貧困にあった女か、不義の末に身篭った訳ありか、あるいは事実娼婦であったのか。確率としてはそれぞれ三割、三割、この忌々しい髪色のおまけで四割、そんなものではないかと思っている。
黒い礼服と、灰の石床、象牙色の漆喰の壁、いろどりといえば美しくもストイックなステンドグラスがせいぜいの教会の中で、キッドの存在はそれは悪目立ちの一言に尽きた。捨て子のキッドを拾った先代の神父でさえ、表向きは努めて分け隔てなく接するように心掛けたのだろうが、ふとしたときに眉を潜め、目をそむけることに気付かぬほど鈍くはなかった。
教会の門は万人に開かれている。ただし、いくらかの選り好みはやむを得ないのだろう。そこで日々を営む者たちが、冷たく滑らかなマリア像を除いては、血肉を持った人の子である以上。

細かな亀裂ばかりを生みながら、それでもそれなりにつつがない日々が決定的に駄目になったのは、キッドが十六歳の誕生日(それはあくまで『拾われた日』でしかなかったが)を迎えた、少し後のことだった。

「ねえ、懺悔を聞いていただける?」

ミサの後片づけをしていた手を止め振り向けば、色味の薄い金髪の、いかにもといった上流階級の女だった。教会を訪れるに相応しく質素ながらも、一目で仕立ての良さの窺えるドレスをまとっている。指の先まで繊細なレースで覆い、一部の隙もない装いに反して、熱に浮かされたような瞳だけがどこかだらしなく蕩けている。

「…俺はここで暮らしてるだけだ。そういう用件なら神父に、」

「あら、だめよ、神父さまでは。それに……」

カツン、といやに鋭いヒールの音は、天井の高い人気の無い部屋によく響く。ここから出なくては、と思ったが、唯一の扉は女が背にしている。

「それに、懺悔すべきことはこれから作るんですもの」

なにが『赤い髪は娼婦の証』だ、とキッドは苦々しい、けれど冷め切った目で目の前の女を眺めていた。素知らぬ顔をしてよほどそれらしい人間など、掃いて捨てるほどいるではないか。
暇と退屈を持て余した貴族の女は、もはや人の形をした欲の塊でしかなかった。つい先程まで神を讃えていたその唇で若い男に口付け、敬虔に伏せていた瞳を甘く濁らせている。レースの手袋に包まれた指先がそっとキッドの髪を掬い上げ、かき乱した。「そんな顔をしないで。あなただってこんな髪をして、背徳を知らない身ではないでしょう?」
神の家の片隅の小部屋で、生温い堕落に犯されている。扉一枚隔てた場所ではときおり人の気配がして、また去っていった。高潔そうな色をした女はのぼせ上がり、淫靡に微笑んでいる。高い小窓から見える外はミルクの霧に閉ざされている。気温は低く、空気はぬるく、石床は冷たく、身体は熱い。なにもかもが忌々しかった。誰に謗られても、育ての親である神父にさえ疎まれても、傷を膿ませながらもまったく謂れのない中傷だと鼻で笑い飛ばせたものを。
よりにもよってこんな場所で、こんな女に。あぁ、これで俺も汚らわしい堕落の仲間入りだ。
小部屋のテーブルには一冊の古い聖書と、二つ三つの果物と、小振りのナイフが置いてあった。身を乗り出してめいいっぱい腕を伸ばせば、ひやりとした金属に辛うじて指先が届いた。自然、キッドに抱きすくめられるような形になった女が、耳障りな蜜漬けの声で笑う。「どうしたの、急にその気に、」その続きは聞こえなかった。
女の白い首筋がぱくりと斜めに口を開け、目の前が、顔に掛かる鬱陶しい髪よりももっと鮮烈な赤で覆われる。びしゃびしゃと降りかかってはすぐに冷えていく血飛沫が、まとわり付いていた不快感をすべて拭い去ってくれた。あれほど煩わしく、どこか空恐ろしいもののように思えた女は、もうあの媚びた笑みを浮かべはしない。ひどいことをするとキッドを罵るような真似も、別段しない。
床に水溜りが広がっていくにつれ、どこか懐かしいような気分になった。もう思い出せないが羊水の温度とはこんなものだったか。顔も知らない母親にはじめて触れている気がした。白濁と血糊にまみれた邂逅。ふさわしいだろう、赤毛の娼婦とその息子には。

きっとどの女の心臓からも、こうして懐かしい温度が零れ落ちるのだ。
ならばすべての女は等しく娼婦で母親だ。会いにいって暴いて、再会を喜んでやろうじゃないか。
すぐ側に転がったまだあたたかいものを撫でて、今ならそれを愛しいとすら思えた。見知らぬ女と、つつがない日々の死体だった。

教会というのは、死に近い場所でもある。
女の死体は墓地の片隅に埋めた。亡骸をひとつ増やし、墓標はひとつ足らず、それを知るのはキッドのみである。
血のこびり付いた床を何度も水で流し、汚れた身を清めて服を着替え、涼しい顔で夕食の席に付く。主よ、あなたのいつくしみに感謝します。食前の祈りは、キッドには女への追悼のように響いた。
ミサのあった日曜日の夜は、普段に比べ少しだけ顔ぶれが多い。あるときは寄付を弾む熱心な信者であったり、あるときは神父の旧知の友であったり、しかしこの日は少しばかり毛色が違った。若い男だ。キッドより五つ六つ上だろうか、二十歳を少し回ったほどで、恐ろしく整った顔をしていた。神父と同じ黒服をまとい、夜色の髪を持ち、色味のあるものといったら嵌め込まれた青い宝石のような瞳だけだった。少し、加減でも悪いのだろうか。目の下には隈が翳っているが、その美貌を損なうにはほど遠い。気圧されたように見つめるキッドの視線に気付き、青い瞳がこちらを見た。
初めて女を知り、初めて人を殺した日が、トラファルガー・ローとの出会いだった。




ぐちゅり、ぐちゅりと卑猥な音がする。身体の奥深くを、キッドの知る限りこれ以上ないほど深くを掻き回す音だ。右手が皮膚を裂いて、脂肪を抉って、あたたかいはらわたを掻き分けている。ぬるりとして弾力のある腸を慎重に手繰り、表面を覆う向こうが透けて見えるほど薄い大網膜をそっと広げていく。血管の走る淡い黄色の膜をふつりと指先で破る瞬間は、ひとつの儀式のようでもあり、いつでも静謐に満ちていた。
今日の女はなかなかに聡かった、と彼女の身長よりもはるかに長い肉の管を引きずり出しながら物思いに耽っていた。口付けてこようとする頬をやんわりと避け、しなだれかかってくる肢体を抱きしめるように拘束して、しかし途中で勘付かれた。まさか、と半疑の色を浮かべながらも逃げようとするから、中途半端な位置にナイフを突き立ててしまった。無骨な刃物が背中側からべきべきと肋骨を砕き、肺に食い込む過程はさぞ苦しかっただろう。醜く顔を歪め、妙なリズムの呼吸を繰り返す女がさすがに気の毒で、キッドは珍しくいささかの申し訳なさを感じながら改めてその心臓に刃を滑り込ませる。身体を穿つ冷たい金属を、女たちはいつだって愛しくてたまらないというように離そうとしない。そのはしたなさに眉を顰めながら、がっちりと咥え込まれたナイフを渾身の力で引き抜いてようやく、あたたかい生命の水が恵みの雨となって降り注ぐのだ。細くやわらかい身体に蓄えられた血潮は限られている。冷えて錆びていく水溜りの中で、キッドはさっきまで自分に跨り、食らおうとしていた女の中をきちんと隅々まで暴いてやることにしていた。どれほど熱く火照るうわべだけの肌よりも、少しずつぬくもりを失くしていく腹や胸の中のほうが、触れていてずっと心地よかった。
もう決して媚びることのない女が好きなのかもしれない。たったいま殺した女が自分の母親でない確証を、キッドは一度も持てなかった。てめえの母親に色目を使われてるところを想像してみろ、とシャワールームの排水溝に向かって吐き捨てる。王の耳はロバの耳だ、いつか誰かがこの穴から反響する俺の訴えを聞くかもしれない。想像してみろ、反吐が出るだろう。実際俺は、あのねとりとした目で見られるたび嘔吐一歩手前だ。それは美醜とは無関係だ。愛とは別物だ。高飛車だろうが従順な女だろうが同じことだ。
積み上げた死体の数もとうに両手両足の指を超えただろうか。
けれどもどれだけ経とうと、あれらの発する腐臭まがいの甘ったるさに、俺は絶対に耐えられない。




ローと二度目に会ったのは、あの夜から二年近くが経ってからだった。
二年の間に、なにもかもがずいぶんと変わったものだと思う。
あれから間もなく、育ての親である神父が亡くなった。キッドが十七の時分だった。高齢でもあったし、心臓が弱っていたのだと医者はいう。最後の数ヶ月はほぼ臥せったままで、日に日にやせ細り小さくなっていく老人は、うわごとのように神への祈りを呟くばかりとなっていた。日曜日ごとのミサはもう執り行なわれることもなく、賛美歌が響くこともない。少し栄えた隣町の教会が滞りなく信者を受け入れ、小さな祈りの家はひっそりと役目を終え、ただ朽ちゆこうとしていた。
老神父が棺へと寝床を移したあとも、別段行く宛てもないキッドだけは変わることなく、聖堂のマリア像と寝食を共にしている。ときにはそこに浮き足立った不埒な女が加わることもままあった。まるで連れ込み宿気分だ、キッドがどれだけしかつめらしい顔をしてもお構いなしに。そしてまたすぐに誰もいなくなる。物言わぬ肉の塊がごろりと床に転がるのみになる。ぐちゅり、ぐちゅりと卑猥な音が響きだす。セックスをすることと殺すことは、キッドにとってはイコールだった。
その繰り返しが破られたのは、そんな生活を一年も続けた頃だったろうか。高く上った日が落ちかけてようやくベッドを這い出たキッドが、食料を調達しにいこうと開けた扉の向こうに、トラファルガー・ローが立っていた。

「あ…れ?お前、ここの…」

「……ひさし、ぶり」

「あぁ、久しぶり…驚いた、もうここ誰も住んでねえんだとばっかり…。俺のこと覚えてんのか、昔一回会っただけだろ」

「…そっちこそ」

「そりゃあ…一度見たらそうそう忘れねえよ」

何を、とは言う必要もない。今更腹を立てるでもなく、キッドはいつの間にかずいぶん伸びていた髪をひと房つまんで、あぁ、と気のない返事をした。

「それでな、今日からこの教会で神父を務めることになった」

「…教会って……まぁ、教会ではあったけどな」

「屋根と壁が残ってれば充分だ。とりあえず掃除して片付けて…ほら、お前も手伝え」

扉を塞ぐキッドの身体を押しのけるように入ってきたローの腕を咄嗟に掴んだ。まるで肉を削いだ後のように、細くて骨ばって頼りない。
駄目だ、ここは。昔ならいざ知らず、最近じゃあここに入ってきた人間が自分の足で出て行ったためしがない。きっとお前も殺してしまう。俺は女しか殺さないはずだけど、でもお前だったら、きっと。
初めて女を知り、初めて人を殺した日に出会った、鮮血すら霞むような初恋の色を覚えていた。


何も知らないローときたら、殺人鬼の館に踏み入ったというのに底抜けに無防備だった。礼拝堂のベンチのひとつに放り出していたナイフを慌てて隠し、夥しい血を浴びては洗い流した小部屋の鍵をそっと後ろ手に掛けたキッドに不審を抱く様子もない。一日の終わりの微かな光を孕むステンドグラスに懐かしそうに目を細め、音の狂ったオルガンを二つ、三つ、奏でていた。
二年前となにひとつ変わったようにも見えないローは、綺麗な顔立ちと目の下の翳りまでそのままだった。過ぎただけの年月をきちんと飲み下し、消化したキッドとこの教会を尻目に、彼だけが初めて会った夜のまま時を止めているようだった。皺ひとつない漆黒の神父服の下、その心臓は本当に動いているのか、空恐ろしくなったキッドがほとんど本能と衝動のままにローを押し倒したのは、そのときはごく自然な流れであった。女たちの欲で割った愛を疎むキッドにとって、うつくしいままの初恋はそれ自体が幻想のようなものだ。それが目の前に存在しているなど、現実であるわけがなかった。

いたい、くるしい、としゃくり上げる声にはあまり馴染みがない。絶叫と物言わぬ沈黙ならば耳慣れたものだったが。
まだ掃除もされていなかった床の上で、黒服は皺だらけで白く埃まみれになっている。訳も分からないまま性器を捻じ込まれて、ローは子どものように泣いていた。浅く早い呼吸を繰り返し、縋るものを求めてキッドの首に腕を絡めている。短く整えられた爪がせがむように皮膚を掻く。繋がった腰を揺すれば、ぐちゅり、と卑猥な音がした。腹の中を掻き回す音。
夜の帳が降りかけている教会の中で、つかのまキッドは、はらわたを引きずり出され恍惚と震えているローの幻を見た。やわらかな下腹から一直線にひき裂き、肋骨に触れる位置に突き立った金属が、ピンで留められた蝶の標本のようでうつくしかった。無意識に右手がナイフを探し、左手は目の前の反らせた喉をなぞり、その感覚にローがどこか甘いむずかるような声を上げる。「…ユースタス、屋ぁ…」ハッと我に返ったキッドを潤みきった瞳が見つめ、いたい、と涙声が訴えている。いたい、背中、ユースタス屋…。
きゅう、と縋りつく両腕に逆らわず、ローを抱き上げて向かい合わせに膝に乗せれば、自重でずぶずぶ埋まっていく性器に悲痛な悲鳴が上がった。びしゃりと腹に飛沫が叩きつけられる感覚があり、腕の中のローが硬直と痙攣を繰り返す。食い絞める肉の壁はキッドの知るどの人間よりも狭く、あたたかく、ぬかるんでいた。閉じられない唇からわずかに舌先を覗かせて喘ぐローに頬を寄せると、自分よりすこし高い体温がじんわりと沁み込んでくる。生きている人間のぬくもりがある。

「…っ…泣い、てんのか…」

「…え…?」

「…馬鹿じゃ、ねえのか…こんなことしといて…俺の、ほうが…」

少し震えている指に頬を包まれて、同じ高さに合わせられた青い瞳の中に、見慣れた自分の顔が映っていた。悲しいような困ったような、見慣れない表情をしていた。幾筋も流れる涙がローの手を濡らし続けている。

「俺は神父だから…たまに見るよ、そういう顔…」

「……」

「親に捨てられて、途方に暮れてるガキの顔だ」

「……ロー」

「…寂しいのか、なぁ」

「…っ、」

「ひとりで寂しかったか」

ローはきっと、育ての親である神父の逝去を指していたのだろう。
それに限って言うならば的外れだった。育ての親の死を悼む気持ちは当然あった。十七年の年月は軽くはない。けれどそれはキッドの抱く空洞のほんのひとかけらだ。薄情な己が嫌になる。
それすら霞んでしまうほどに、キッドはただ漠然と、けれど圧倒的に寂しかったのだ。誰もいてくれない。ローだって、きっと今日の今日までキッドのことなど忘れていたに決まってる。いつだって世界にひとりぼっちで、それはとても恐ろしい。ローの言葉を借りて初めて、寂しいと素直に思うことができた。

「…泣くな馬鹿……俺はそういうのに弱いんだ…。これからは俺が一緒にいてやるから、だから…」

続きごと飲み込むように口付けられて、しかたないと諦めたように苦笑するローが、幼子にする手付きで頭を撫でている。繋がったままの下肢をそっと揺すれば、羞恥と少しの非難をにじませた目を伏せて、それでもおずおずと足が絡められた。裂いた腹の内をかき回す時に似た、けれどもっとあたたかい、泣きたいような感情がこみ上げてくる。女たちが簡単に口にするもの、彼女たちだけの特権とすら思っていたもの、それが自分の手の内、胸の内にある。あれほどおぞましいと思っていた愛を無心にローに注いで、ただひたむきに求めていた。




無遠慮なナイフがぱっくりと裂いてしまった不恰好な心臓を薪の間に置き、暖炉に火をくべる。肉の焼ける匂いが煤と共に煙突を登っていく。燃え尽きた灰はきちんと墓地に埋めてやるのだ。殺すごとに死体を持って帰るわけにもいかないから、これがせめてキッドのしてやれることだった。どれほど疎ましくても、死者にはいくらか穏やかな気持ちで接することができるものだ。例えば商売女が埃っぽい空き家で死んでいたところで、誰がそれを弔ってやるというのだろう。清貧と憐れみは、紛いなりにも教会育ちのキッドにとっては身近なものだった。
背もたれに深々ともたれれば、古びた木がきしりと軋む。暖まってきた部屋にいると少しづつ瞼が重くなってくる。無性にローに会いたかった。今頃ひとりでベッドに入っているのだろう。シーツがなかなか温まらなくてしかめつらをしているだろうか。早く帰りたい。ただいま、とキスをして、薄っぺらい身体を抱きしめてやりたい。手を伸ばし、暖炉の熱と外の冷気で白く曇った窓ガラスを撫でる。一部のみ透けたそこからは夜が覗いている。

霧のたちこめる街角では、死んでいった女たちへの追悼と、まことしやかな殺人鬼の噂が囁かれている。『殺されるのは女ばかり』『つながりは?』『さぁ?』『娼婦ばかりが幾人も』『あら、関係ないわ、女なら誰でも』『いいえ、娼婦よ、だって赤毛が多いもの』『赤毛と相場が決まっているもの』『喉を掻き切られて』『身体の中身を抜き取られて』『どこもかしこも切り裂かれて』
切り裂きジャックの名が人々の口に上り、彼らの心臓とともに霧の中で凍り付いている。



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -