(本誌で出ていた二年後仕様のキドロです)
(妄想とも捏造ともネタばれともつかない代物です)
(ややグロ要素かもしれないのでご注意ください)




焼け付いている。
熱した鏝をあてがわれたような、吐き気すら伴うひどい痛みだった。きっと沸騰した指先からぶくぶくと泡立って蕩けているのだ。だから形がない。もう、なにもない。
感覚は鮮明なのに、頭はぼんやりとしていた。苦痛で目が覚めたのか、目が覚めたことによって痛みを認識したのか、どちらつかずだ。気だるい眠りの気配が身体の芯を犯している。奥歯を噛み締めて、疼く腕をどうにか引き寄せようとしたが、まるで動かない。重い。曲げた指先が掻いたはずのシーツには皺一つ寄らない。それが何を意味するのか、寝ぼけた頭は理解することを拒んでいる。十キロ四方にある鉄屑を全てかき集めたよりもまだ重くて、それを言い訳にじっと手負いの獣のように蹲っている。苦痛を噛み殺すだけで寝返りひとつうたないのは、我に返ることすら億劫だからだ。
ひんやりとした掌が額に触れるまで、そうやって頑なに目を閉じたままだった。

「…ユースタス屋…?痛ぇのか」

「……っ、」

「嘘つけ、痛ぇんだろ」

一言も発しなくても、せめて目で強がろうとしたキッドを一笑に付して、ローがベッドに這い上がってくる。上等のオーク材は軋みひとつ上げず、隣に寄り添うように腹這いになったローの体重をやわらかく受け止めた。
こうして上着を脱ぎ、帽子を被っていないローは、二年前となにひとつ変わったようにも見えない。二年の月日は、ただこの男の肌の表面をなぞって、さしたる痕跡も残せずに通り過ぎてしまった気さえした。だからこそ、二年ぶりにまみえた時、キッドはほんの僅かにたじろいだのだ。己の身体に刻まれた生々しい傷跡を、ローがどんな目で眺め、なにを思うのか。荒々しいこの海の軌跡とも言えるそれを悔いたことも恥じたこともなく、けれどどこか後ろめたさに似た思いをローに抱いたのも事実だ。
けれどもキッドの心中を他所に、ローは微かに目を瞠っただけで、すぐにあの人を食ったような笑みを浮かべ、二年ぶりの口付けを求めてきただけだった。救われたような、物寂しいような、不思議な気分だった。もう昔のように、抱き潰してしまうのではないかと心配しながら、細い身体を両腕に閉じ込めることもないのだ。間近で見たピアスに少し傷が増えていたことだけが、辛うじて時の流れを感じさせた。

「可哀想になぁ…俺みてえに隈作っちまって」

「…てめぇほどじゃ、ねえよ」

「まぁな、繊細な俺とは似ても似つかねえよ。凶悪なツラに磨きが掛かってんぞ」

「………」

「嘘だよ、どっちかっつうと死に掛けの猛獣みてえだ」

可哀想にな、と噛み締めるように繰り返されるのは、キッドが腹を立てる余地もなく力を抜いてしまうほどに優しい口調だった。ぐずる子どもにおやすみのキスを与えるように、汗で額に張り付いた髪をそっとかき上げられ、薄い唇が落とされる。

「幻肢痛ってやつだな…無くなったはずの腕が痛むんだろ」

「……痛くねえ…」

「ひでぇ汗だ」

「…夢見が悪かっただけだ」

「そうか」

「………」

「処置をしたのはお前んとこの船医か」

「……あぁ」

「いい腕だ、的確で丁寧で…なにより大事にされてるのがちゃんと分かる」

ひやりと冷たい指が閉じた傷を撫で、そこがじくりと痛んだ。
失くしたはずの腕ではなく、癒えきらない肉がきちんと痛んだ。

「嘆くなよ…受け入れろ、ユースタス屋。俺でさえ許したんだ。勝手に落としてきた、この腕を」

「…別に、俺は…」

「気付いてねえだけさ。お前は強くて泣かない、いい子だよ」

「……またてめぇは…そういう、」

「お前の弱さを俺は知らないが、弱くてやわらかい部分がちゃんとあるってことは知ってる…それくらいのことは、二年も前にお前は見せてくれてたよ。ユースタス屋は俺のことが大好きだったもんな」

「…過去形でいうな」

「ふふ、拗ねんなよ、なぁ……変わってねえよ、何も」

いつだって同じだったじゃないか。
慰めでもなんでもなく、ただ噛んで含めるようにローはそう言った。いつだって行きたい所へ行って、好き勝手に暴れて、顔を合わせれば潰れるほど飲み明かして、抱き合って眠ってまた新しい朝が来た。約束なんてひとつもなく、ただそうやって日々を積み重ねたじゃあないか、と。「あの島で迎えていた一日と、二年ぶりの今日この日に、いったい何の違いがあるっていうんだ。なぁ、ユースタス屋」相も変わらず、詭弁のうまい男だ。
ローの指先はまだ、ぷっつり途切れたそこを撫で続けている。不思議な感覚だった。がっちりと食い込んでいた、苦痛を固めて腕の形を為していたものが、血も骨も肉も一緒くたに崩れて溶け出していく気がする。少しだけ呼吸が楽だった。

「……澄ましたツラしやがって」

「何がだ」

「…最初に見たとき……お前、なんも言わなかっただろうが」

「なんだ、可哀想がって泣いて欲しかったのか」

「……うるせえな」
 
「キスしてやっただろ」

「お前からねだってきたんだろ」

「…まさか俺が平気だとでも思ってんのか?」

窓から差し込む月明かりしか光源がない部屋で、ローの顔は半分以上が影になっている。青白く濡れたような頬をようやくの思いで持ち上げた片腕で撫でれば、薄くなめらかな皮膚をすり寄せて猫のように目を細めた。笑ったわけではないのだろう。底の見えない瞳は、かつてシャボンディ諸島から潜ったあの懐かしい深海を思い出す。

「本当ははらわた煮えくり返ってんだ。まるごと俺のもんだと思ってたのに…どうせなら俺がこの手で切り落として、優しく介抱してやりたかったよ」

「…てめぇが言うと洒落になってねえよ」

「もちろん洒落や冗談なんかじゃねえさ。だから俺なりに折り合いをつけて、喰っちまったと思うことにした」

「……あ?」

「この腕をだよ」

ローが身を屈めるのと、ゆるやかに労られていた皮膚がぎちりと引き攣れるのは、ほぼ同時だった。息を呑み、潰れた呻き声を押し殺したキッドを上目遣いに見ているローの、その大きく開けられた唇が左腕の切断面に触れている。小さな粒の揃った真珠のような歯が、みしりと肉に食い込む生々しい感覚がする。

「この腕をどこに落としてきた?今、いったいどこにある?分からねえんだろう、なぁ、大雑把なお前のことだ。せいぜいが海の藻屑だろう。だったら、俺にくれりゃあよかった」

くぐもった不明瞭な言葉が、耳元で聞こえている気がする。

「想像してみろよ、ユースタス屋」

「…痛ぇよ」

「まだ温かいお前の腕を拾い上げて、指先から齧って呑み込んでいくんだ。切り離された身体は脆いんだろうな。ビスケットみてえな骨まで全部腹に詰めて、丸一日ベッドでぐっすり眠るんだよ。街角で売ってたヒヨコをあっためるような気分だろうな、きっと。泥みてえに眠って眠って、目が覚めたら腕はきれいに溶けちまってて、あとには俺だけが残ってるんだ。ベッドの上で、ひとりきりで」

「………」

「会いたかっただろう、俺に」

「…知るか」

「俺は知ってる。俺が腹いっぱいでぐっすり眠ってる間、お前は痛ぇのも苦しいのも我慢して俺のことばっかり想って、夜が明けるのを待ってたんだ」

「………」

「ちゃんと知ってるよ、ユースタス屋」

動物の親が子供にするように、疼く皮膚をそっと舐めながら、いっそいたぶるかのように優しい物言いだった。
薄っぺらい腹に手を這わせれば、鼻に抜けるような声でローが笑う。片腕でもその気になればへし折ってしまえそうなこの身体の奥深くに、ずしりと重たい自分の一部が詰め込まれていたのだと、その想像は吐き気がするほど濁っていて甘ったるい。よく知った、ローの内側のあたたかく濡れた温度を思い出して、頭がぐらぐらと揺れた。失くした指先がどこかでぴくりと動いて、やわらかな粘膜を掻きむしっている。ローは耐え切れないと言わんばかりに小さく喘ぎ、這い上がるように馬乗りになってキッドを見下ろした。今にも舌なめずりをしそうな薄い唇が唾液で濡れている。

「痛いのか」と再び囁くような問いに、黙って首を振った。嘘だった。けれど、希釈された痛みは快楽に等しいと、その感覚を久しく忘れていた。
焼け付いているのだ。どこも、かしこも。


すべてはあなたと泥の底



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