これやるよ、とローが放り投げてきたのは小さな指輪だった。
細身のプラチナの台に宝石が一粒あしらわれ、陽に透かすと青みがかった緑色にきらきら光る。

「なんだこれ、エメラルド?」

「違えよ、もっといいもんだ。あのな、夜寝る前に好きなやつのこと考えながらランプにかざしてみろ。両想いだったら色変わるから」

「…嘘吐け、いい加減そういうのには騙されねえぞ」

「なんだよ、可愛くねえぞユースタス屋。こういうのはまず信じねえと駄目なんだ」

摘んでいた指輪をローが取り上げ、キッドの手を掬うとその指に嵌めようとする。中指にも薬指にも小さすぎたその輪は、最後に通された小指にちょうど収まった。
ロー個人の持ち物か、それともどこぞの敵船から奪ったのだろうか。つるりとした銀色の表面にあちこち細かな傷が付いていて、昨日今日買ってきたようなものではないことが窺われた。

「大事にしろよ。これアレだから、縁結び」

「なんだそりゃ」

「ちゃんと色が変わって、それをずっと身に着けてたら、永遠の何とやらってやつ」

「…お前そんな女みてえな趣味あったっけ」

「別に俺とは言ってねえだろ?お前が誰を思い浮かべるか次第だよ。まぁ、いらなきゃ売り払うなり捨てるなり好きにしろ」

じゃあな、とあっさり手を振って踵を返したローは、引き止める間もなく白熊を従えて帰ってしまった。もっとゆっくりしてきゃいいのに、結局これ渡しにきただけか、と思うとつまらないような照れくさいような気分になる。
残された指輪はまだ体温に馴染みきっていなくて少し冷たい。
失くすな、などとわざわざ言われなくても、ローが自ら通してくれたを思うと外す気にさえなれないのに。女々しいのはどっちだ、と血の上りそうな頬を慌てて風に晒した。




昼間の出来事はずっと頭の隅に引っ掛かっていたけれど、結局キッドが再び指輪に目をやったのは、もうすっかり夜が更けてからだった。寝酒のボトルを干し、換えたばかりの真新しいカーテンをきっちり閉め、シーツに潜り込んで無意味に寝返りを十回も打ってから、ようやく。
大体、思わせぶりに「好き合っていたら」なんて条件をつけるのが悪い。
捻くれもののローのことだ。ふと目に付いた指輪に尤もらしい御託を並べて、真に受けた自分を後でからかいたいだけかもしれない。
馬鹿馬鹿しいと思いながら左手をランプに近づけて、驚いて声を上げそうになった。
確かに青緑色をしていたはずの石が、赤味を帯びた紫に変わっている。
目を擦っても、ランプの光から遠ざけても同じだった。あんまりにも鮮やかな変化は、石そのものがすり替わったような錯覚さえ覚える。

「え…だって、からかってただけ、だろ」

端から期待していなかった分、吹き零れた動揺を収めることができない。
ローの言葉が蘇る。
顔を思い浮かべて、光に翳して、そして色が変わったら。
途端に猛烈な羞恥に襲われて、羽のたっぷり詰まった枕に窒息しそうなくらい深く深く顔を埋めた。
こんな分かりやすいアプローチ、告白してから今日まで一度だって寄越したことないくせに。誰のこと考えるか、分かりきっていると言わんばかりのあの腹立たしい顔ときたら!
獣みたいにぐるぐる喉で唸りながら、あの話が本当でも嘘だったとしても、結局この醜態や葛藤を見透かされて笑われるであろう自分の運命を呪った。




「キッド、どうした、さっきから落ち着きがない」

部屋を出たり入ったり、甲板を端から端まで行ったり来たり。見かねたキラーが声を掛けてもどこか上の空で、ひっきりなしに周囲をきょろきょろと見回している。

「探し物だ。指輪見なかったか?緑色の石が付いたやつ」

「指輪?いや、見かけてないが…洗面所やベッドの周りは探したか?置き忘れやすいのはそういう場所だろう」

「いや、多分…能力使ったときに引っ掛けたか吹っ飛んだんだと思う。昼まではちゃんとあった」

「…それじゃあ難しいだろう、そんな小さなもの…最悪海に落ちたかもしれないぞ。大事なものか?」

「…トラファルガーに貰った。失くすなって、言われてて…」

縁結びだの、口にしづらい内容を所々省きながら事情を説明する。
ランプのくだりで「あぁ、」と何かに思い当たったような顔でキラーが相槌を打った。

「アレキサンドライトか」

「アレキ……え、なんだ?知ってんのか」

「自然光と室内灯で色が変わる宝石だろう」

陽の光では青や緑、暖色の灯りに翳せば赤に。
あっさりと明かされた真実に、分かっていたのにやっぱりまた騙された、と学習能力のなさに愕然とした。
ショックを受けているキッドの表情から何かを察したのだろう。キラーは少し慌てたような口調で、「宝石言葉は確か…高貴とか情熱とか、悪くないぞ、うん」とよく分からないフォローを入れてきた。

「どうする?探すなら手伝うが…」

「…いや、船にあるかも分かんねえし、もうちょっと自力で探してみる。見かけたら拾っておいてくれ」

あんなちっぽけな指輪一つ、キラーの言うとおり見つけるのは至難の技かもしれない。でももしかしたら、という思いがあって、仕方ないと諦める気になれなかった。
もしかしてローはあんな馬鹿げた出まかせのジンクスをちょっとくらいは信じてて、それでキッドに指輪をくれたのかもしれない。
それをあっさり失くしたなんて知ったらがっかりするんじゃないか。
うろうろと船内を歩き回るキッドをクルーたちは不思議そうに眺めていたが、やがてキラーからこっそり伝わったのだろう、その日一日中、誰も彼もが足元に光る銀色が落ちていやしないかと目を凝らす光景があちこちで見られた。




しかし、結局それは海底のロッカーにしまわれたのか、終ぞ手元に返ることはなく。
数日後、白熊を連れずにひとりで船を訪ねてきたローを、キッドはいつになく縮こまって出迎える羽目になった。

「トラファルガー…悪い、あの指輪失くしちまった…」

「指輪?あぁ、あれか……そっか、失くなったのか」

「…ほんと悪い、せっかく色変わったのに…」

沈んだ声を出すローに焦りが募る。
言い訳や弁解がいくつも浮かんだが、どれひとつとして口に出せずに「ごめん」と項垂れるしかできなかった。
ふ、とローが息を吐く音がして、伸ばされた両手がこめかみを包むようにくしゃくしゃ髪をかき回す。
引っ張り下ろされたゴーグルがことんと首元に落ちた。鬱陶しく視界を覆う赤をかき上げられ、可笑しそうに緩んだ口元が見えた。

「ユースタス屋、馬鹿にしてたわりに案外信じてたのか?」

「…んなわけねえだろ、お前の方が信じてんじゃねえかって…」

「この人でなしとか、もう別れてやるとか、泣かれるとでも思ったのか」

「そこまでじゃねえよ!」

「俺に謝るってことは、俺のこと考えてたんだ」

「………」

「で、色変わったんだろ?」

「…あれ嘘だろ、元々そういう石だってキラーが言ってたぞ」

「まぁ、嘘ってことにしてやってもいいけど」

ロマンがねえなぁ、と刺青の入った指が鼻先を摘んでくる。
息苦しくて思わず口を開けると、ついっと背伸びをしたローに下唇を柔らかく食まれた。目許が笑っていて、突然のことに固まるキッドの首にするりと腕が巻きつく。

「…ん、なぁ、あれ気に入ってたか?嬉しかった?」

通りすがったキラーが慌てて踵を返すのが視界の端に映った。何か落としたんだろう、鈍い音と共に床に物が散乱している。
猫の仔がするように唇を舐められ、思わず腰を抱き寄せてしまえば今更ローを窘めることもできず、「なぁ、」と答えをねだる声に慌てて頷く。

「そうか、気に入ったんならいいんだ」

「……実はちょっとだけ、信じかけた」

「だろうなぁ…はは、言い忘れてたけどハッピィバースデイ、ユースタス屋。せっかくのプレゼント失くすなんてしょうがねえ子だな」

代わりのもんやるから泣くなよ。
失礼極まりないことを囁いて何度も何度も落とされる温度に、「最初からこっち寄越しやがれ!」と喚きたいのを必死で我慢した。



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