「…ユースタス屋、昨日どこ行ってたんだよ。ずっと待ってたのに帰ってこなかっただろ」

「悪い…会社に泊まりこんでたんだ。ここしばらく忙しくて」

「ふぅん…最近遅いもんな」

「ごめんな、ずっと部屋で待ってたのか」

「おかげで寝そびれた」

「ほんとだ、隈ひでえ」

「…お前もだろ。寝てねえくせに」

一年、また一年と流れ、俺もローも少しずつ年を重ねて、ローの高校生時代なんてあっという間だった。
大学に入って一人暮らしを始めたローは俺のマンションから三駅離れた所に部屋を借りている。うちに住めばいいのにと思ったこともあるけど、ここからだと大学には電車を一度乗り換えなきゃいけない。それが面倒なんだろう。
ちゃんと顔を合わせるのは随分久しぶりだ。先週の土曜は一緒に飯食ったけど、もう何日もメールくらいしかしてない。
俺は仕事が立て込んでいて、ローは医学部の二年生で、お互いに忙しい身の上になっていた。

「一緒に寝るか。今日は半休だから午後からだし」

「…いいけど…なぁ、ユースタス屋、ずっと考えてたんだけど」

「ん?」

「俺と一緒に住んで」

こういうとき離れて暮らしてると不便だよなぁ、と考えていただけに面食らった。
口に出てた?と思わず訊ねたがローはきょとんと首を傾げる。

「…だめ?」

「だめじゃねえよ。ちょっとびっくりしただけだ」

「やった…!じゃあいいよな!」

「でも俺の仕事場とお前の大学、反対方向だろ。遠くなっちまうぞ。それとも中間地点に部屋借りるか?」

「何言ってんだよ。ユースタス屋が俺の部屋に来るの」

「お前がここに引っ越すんじゃなくて?」

「うん、俺のとこ。一人用にはでかいからちょうどいいだろ。で、ユースタス屋、仕事も辞めて」

「……え?」

「もう外なんか出るなよ、ずっと部屋で俺のこと待ってて。俺もこれから大学忙しくなるけど、そしたら一緒にいられるだろ」

「ちょっと待てって、やっぱり昨日帰らなかったこと怒ってるのか?本当にただ仕事で…」

「怒ってねえよ。でもこの先ますます一緒にいられる時間減っちまう…そんなの嫌だ、俺はずっとユースタス屋と一緒がいい。当面の生活費は平気だし、心配しなくても将来はちゃんと俺が養ってやる」

「あのな、ロー…」

「昔みたいにずっと俺といてよ。いなくなるの嫌だって言っただろ…もうどこにも行かないで」

「…少し寝てから話そう、な?きっと疲れてるんだ。ごめんな、昨日ちゃんと連絡入れてやればよかった」

くっきりと濃い隈をなぞって寝室に促したが、肩を抱いた手はすぐに振り払われた。

「…聞いてくれねえならビデオ使って今までのこと全部ばらしてやる」

「…ビデオ?」

「気付いてなかっただろ?ユースタス屋に抱かれてるとこ、中三の頃から何回か撮ってあるんだ」

「…全然気付かなかった」

「ずっと一緒にいたもんな。カメラ仕込んどけばチャンスなんていくらでもあったよ。いまいちだったら撮り直せばいいんだし。制服着てるのもいっぱいあるから、それ持って警察とかに相談したらユースタス屋、ただじゃ済まないと思う」

「………」

「大人しくしてないとばら撒くってずっと脅されてたとか、まぁ何でもいいよな、実際に映像あるんだから。ついでに昔俺を誘拐したのもユースタス屋だって言ってもいい。そっちは時間経ちすぎてるし証拠もねえから、今更立件は無理かもしれねえけど」

「…ロー、」

「だから、それが嫌だったら俺の言うこと聞いて」

ローはあくまで真剣で、冗談でも悪ふざけでも、ましてや眠くて駄々をこねてるわけでもなかった。

「…俺と再会したときから、ずっとそうするつもりだったのか?」

「うん、でもユースタス屋だって同じだろ。俺を独り占めしたくてどこにもやりたくないから連れて帰ったんじゃねえの?」

「そう…だな」

「欲しがりなのはお前だけじゃないんだよ」

淡々とした口調で、いつもの甘ったれなローとは思えないくらいだったけど、俺の服を掴んだ手が震えてた。
泣き出すかと思った。
どこにも行かないでと、そう言われてるみたいで。
小さかったローも、そうやって泣きながら俺を探してたんだろうか。

「…ユースタス屋…」

「分かったから、そんな顔すんな」

こいつが望むなら何だってしてやろうと、あのときからずっと思ってる。


ローはすぐにでも俺を連れ帰る気だったらしいが、引き継ぎやら引越しの準備やらでさすがにそんなわけにもいかない。
さんざん宥めすかして、結局は大学の試験も終えて休みに入ったローが折れた。もともとこの時期は俺の部屋に転がり込んでたから渋々ながら納得してくれたんだろう。だけど何となくぴりぴりしているようで、夜は俺が帰るまでずっと起きて待ってる。先に寝てろと電話をしても同じことだった。深夜だろうがなんだろうが必ず俺を出迎えて「絶対起こしてから仕事いけよ」と念を押してようやく目を閉じる。
不貞腐れてうまく寝付けないらしいローを撫で回しながら、こうやって拗ねてるのも悪くねえなと思ったけど、こんなに長期間不機嫌なのは初めてで少し困った。

引越し当日までずっとそんな調子だったローも、荷物を運び込んで今まで俺の部屋に置いてあった揃いのマグカップや歯ブラシも並べ終えたらようやく落ち着いたようだった。
逆に俺は、平日の昼間も家にいるのが何となく妙な気分だ。給料は悪くなかったしすぐ生活に困るわけでもないが、長年のサイクルがいきなり変わるとやっぱり戸惑う。
ひとりで外に出るなと言われていて、ローが学校に行っている間は退屈で仕方なかったけど、帰ってきて一番に俺を呼ぶローの嬉しそうな顔を思い出したら別にいいかという気になった。
たまに意地悪をして出迎えてやらないと心配そうな顔で探しに来てくれる。
どちらかというと飼われているのは俺なのに、その様子がまるではぐれた猫か何かみたいだった。



「…誰、それ」

「おかえり、早かったな」

今どんな顔してるんだろうか。
ちゃんと見たかったけど、乗り上がってきてる女の身体が邪魔だ。

「…別に、買い物しなかっただけだ。後でユースタス屋と行こうかなって。……なぁ、その女、誰?」

「先週お前とジム行っただろ?そのとき声掛けられて」

「…それで?」

「メアド渡されて、連絡取った」

言い終わると同時にローが持っていた重たそうな鞄を振りかぶるのを見て、とっさに女の腕を引いた。
スタンドをなぎ倒して真横を横切った鞄に高い悲鳴が上がる。耳元でうるさい。でかい音を立てて壁にぶつかりベッドに落ちたバッグから、分厚い本が何冊も滑り落ちた。


「出てけ!!」


身を竦ませていた女が弾かれたようにベッドを降り、部屋を飛び出していった。まだちゃんと服着てたのが幸いだ。もたもた着替えなんかしてたらローが何しでかすか分かったもんじゃない。
玄関あたりで慌しい物音がしてドアが閉まるのを聞くまで、誰も一言も喋らなかった。

「ロー」

「…ッ、…」

「泣くなって」

「うる、さい…っ!お前が…!」

「俺のこと嫌いになった?」

「……なんだよ、それ」

「女連れ込んだから」

「………」

「やってねえけど」

「………」

「ロー…?」

「…やだっ…!絶対いやだからな!!」

「ロー、」

「なんで、そんなこと…っ、嫌いって言ったらここから出てくのか!?」

触れようとした腕は、香水くさいと喚いて振り払われる。
なのに素直に引っ込めたら傷付いた顔するから、ベッドに座って膝をぽんぽん叩いたら躊躇いながらも乗っかってきた。

「俺のこと嫌い?」

「嫌いになんかならない…!」

「絶対?」

「…絶対…っ」

「また誰か連れ込んだりそいつのこと抱いたりしても?」

「…ッ…ぅ、やだ…」

「嫌いになる?」

「…なら、ない…だから、ユースタス屋…」

「…うん」

「どこにも行くな…置いてかれんの、やだぁ…!」

ひどい。ローの泣き顔がそういってた。何でこんなことするのか、何でそんなこと言うのか。
怒ってるのと悲しいのと不安なのが全部ぐちゃぐちゃに混じっていて、こんな表情はじめて見た。いつだって大切に甘やかしていたから。
かわいい、もっと見たい、いつもみたいにそう言って撫でてやると、俺の肩で乱暴に涙を拭って噛み付かれた。

「…なぁ、ロー」

「……ききたく、な…ッ…」

「出てったりしねえって。あのな…俺は昔、お前に置いてかれたと思ったよ」

「違うっ…!いなくなったの、ユースタス屋で…!」

「ん、ごめんな…でも俺だってさみしかった」

あんなに好きだったのに、二度目は迎えに行けなかった。
こいつだっていつかまた俺を置いて行くのかもしれない。

「俺にはローだけだよ…昔からそう言ってるだろ。何だって聞いてやる、だから、何があっても二度と俺のこと捨てないで」

俺がいなくなったら何度でも迎えに来て。
そう頼んだらちょっとだけ泣き止んでいたローはまた、どこにも行ったらやだ、と涙を零した。
泣いて喚いて思いきり引っぱたかれても一晩中ローを抱きしめていた。
どこにこんなに水分が詰まっているのかと思うくらい泣いて泣いて、明け方近くまで泣きじゃくってやっと眠った。俺の手を握り締めて頬をくっつけて、小さすぎる声はうまく聞き取れなかったけど、ちゃんと起きるまで傍にいると約束したら素直に目を閉じた。
ごめんな、寝顔にキスして心の底から謝ったけど、これだけで一ヶ月は幸せな気分だろう。


初めて会ってからもう十五年近くも経ってるのに、ローは変わらず俺の世界の中心だった。
離れていた期間の方が長いなんて信じられない。こいつのいない八年を俺はどんなふうに過ごしていたんだったか。
一度は思い出として埋めてしまおうとしてた、なんて言ったら泣きながら絞め殺されるかもしれない。死に方としては悪くない気もするけど。

「なぁ、ビデオ撮ってたって言ってたけど、まだちゃんと持ってるよな?」

「あるけど…なんだよ、処分はしねえぞ」

「じゃなくてそれ一緒に見ようぜ」

「……なんで?」

「中学時代からあるんだろ、アルバムみてえなもんじゃねえか。俺もローのちっちゃい頃の撮っとけばよかった」

「…ユースタス屋って変にポジティブっていうか、反省の色ないよな」

「俺の中じゃ不可抗力なんだよ。なぁビデオ見たい。いっそ見ながらやらねえ?」

「…AVかなんかと勘違いしてねえか…まぁ似たようなもんだけど」

視界の端で替えたばかりのカーテンが揺れる。
今はこの部屋だけが俺の世界だ。ローにそうきっぱり言い渡されていた。
常識で考えたら死にたくなるような話なのに、案外すんなり納得してしまった。
俺にとってはそれくらい分かりやすい方がいいのかもしれない。
一度は覚めた夢の続きを見てるだけだと、心のどこかでずっと囁く声がある。
いつかまた終わってしまう日が何よりも怖い。
ローがいる限りどこまで行こうと夢の中だった。



お悔やみ申し上げます。


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