「ヤらせろ」

トラファルガーに告白すると決めて、本人を目の前にしての第一声は何を思ったか最低極まりないものだった。自分で言っておいてなんだが、いや自分で言ったからこそ呆然とした。色々すっ飛ばしすぎじゃねえのか、こんな筈じゃなかったのに。思わず後ずさった拍子にガラス片でも踏んだのか、靴の下でカシャンと場違いに澄んだ音がした。
息の詰まるような空気の中、高級な細工物みたいな瞳がひとつふたつ瞬いて俺を見ている。ちょっと眠たそうにも見えるゆっくりした瞬きは、多分トラファルガーが考え事をしているときの癖だ。そんな細かいことさえ気付くくせに何だって俺は肝心な…そんなことをグルグル考えている場合じゃない、言い訳か訂正をしねぇと、と思い至ったのはトラファルガーの声を聞いてからだった。つまりはもう遅かった。

「んー、別にいいけど」

「……え?」

「ヤらせろって事はお前が俺に突っ込みてえんだろ?違うのか?」

「違わねえ…けど」

どう考えても違うというべき場面だった。やり直すチャンスだったのに、トラファルガーの了承が予想外すぎて思考が追いつかない。つうか何でここで承諾できるんだよこいつは。ぶち切れて唾棄されて徹底的に避けられるものだと思ってたのに。それよりはマシだけど、いやマシなのか?下手すると最悪に輪をかけた最悪の状況じゃねえのか、これって。

「…てめぇ、男と寝たことあるのか?」

「海賊に聞くにしても、これからベッドに入る相手に聞くにしても野暮な質問だな?」

「いいからどっちだよ」

「さぁな、教えてやる謂れもねえ。自分で確かめたらどうだ」

切って捨てるような物言いで、あっさりと踵を返すトラファルガーを慌てて追いかける。さすがに怒らせたのかと思ったが、角を三つ曲がって行き当たったのは客引きの女が並ぶ通りだった。
喧しい媚びた嬌声と腕を取ろうとする女達の手を振り払い、すたすた歩くトラファルガーの半歩後ろを着いていく。こういう下卑た場所は別に嫌いというわけではないのに、こんなにも居心地悪く感じるのは生まれて初めてだ。
適当な宿に入り、刀と帽子を部屋の隅のテーブルに放り出すと、トラファルガーは立ち呆けている俺を気にすることもなくさっさと風呂場に消えていった。

そうしてこの日、初めてトラファルガーを抱いた。

多分、こいつも男は初めてだったんだろう。少なくとも抱かれる側になるのは。
痛そうに顰めた顔も、苦痛の逃がし方を知らねえ喘ぎ声も、無理な体勢に軋む硬い身体も、全部俺が欲しくて仕方なかったトラファルガーのものだと思うとどうしょうもない気分になった。初めて女を抱いた時だってもう少し余裕があっただろう。気持ち良いかどうかなんて正直どうでもよくて、全部焼き付けておきたいとただそれだけだった。トラファルガーにとってはろくでもない、苦しいだけのセックスだったかもしれない。だけどすげえ無理をしてやっと全部収めきって、何を言っていいかも分かんなくて薄っぺらい身体を抱きしめた俺の頭を撫でて、「泣きそうな顔してんじゃねえよ、ガキかてめえは」とトラファルガーは笑った。ふざけんなと言い返したかったはずなのに、思ってたよりずっと優しい色した眼を見たら本当に泣きそうになった。


翌朝、目を覚ましたときにベッドに一人だったときは最悪の想像が襲ってきて腹いせに宿をふっとばしてやろうと思ったくらいだったが、それからもトラファルガーは別に俺を避けたりはしなかった。ごくごく普通に今までどおり、顔を合わせれば喧嘩を吹っかけて、酒を飲んでくだらねえ話をして。ただひとつ変わったのは、同じ部屋の同じベッドで眠るようになったことだけだ。
相変わらず、朝になるとトラファルガーは勝手にいなくなってたりする。引き止めておこうと思ったらしっかり抱きかかえて眠るか、俺が先に眼を覚ますかだ。だけど時々寝坊して飛び起きたら、暢気にシャワーを浴びて新聞広げながらメシ食ってたりするんだから、何考えてるんだか全然分かんねえ。

「朝っぱらから不機嫌そうだな、ユースタス屋。夢見でも悪かったか?」

「…別に」

「ふぅん、こんなに良い天気なのに」

「機嫌よさそうだな」

「ここの朝食は当たりだな、卵がふわふわですげえ美味い。それにほら、少し前から気温が上がったからこの島名物の花が咲き出したらしいぞ。あとで見に行くか」

差し出された新聞には、通りいっぱいに立ち並ぶ花をつけた木の写真が載っていた。確かに見事なものだが、こいつの趣味にしては可愛らしすぎやしないか。

「花なんか好きだったか?」

「まぁ…どっちかっていうと好きだな。俺は北の出身だからな、夏が短いから否が応でも浮かれるさ。それに前に立ち寄った春島でも同じものを見たが、あれは圧巻だった」

「…てめぇがあの白熊以外に好きなんて言うの、初めて聞くな」

言いながらふと横を見ると、トラファルガーがフォークを銜えたままビー玉みたいな眼を真ん丸くしてる。びっくりしたその顔に、今しがたの何気ない台詞が頭の中にぐわんと響いた。二回反復して、ゆっくりと顔が赤くなっていくのが自分でも分かる。まだ寝呆けてんのか、なんだ今の拗ねたみてえな言い方。ヤキモチ焼いてるって言わんばかりの。
今すぐ窓から飛び降りようと決意したのに気付いたのか、トラファルガーは笑いを噛み殺しながら開きっぱなしのガラスをパタンと閉じた。

「今日は随分かわいいこと言うんだな、熱でも出たか?」

「ちが、今のは、」

「いつも俺に怒られるんじゃないかってビクついてるのにな」

「なっ…誰がだ!」

「お前がだよ、ユースタス屋」

皿にひと口分残ったスクランブルエッグを咀嚼して飲み込み、読みかけの新聞を丁寧に畳んでから、腰掛けていた椅子から立ち上がって細い脚がベッドに乗り上げてくる。
何となく気圧されて後ずさろうとした俺を押し留め、トラファルガーは真正面から目を見据えてひとつふたつゆっくりと瞬いた。こいつが考え事をするときの癖。逃げ出したいのを必死に我慢してる俺の気を知ってか知らずか、また少し距離を詰めて口が開かれる。

「いいかユースタス屋、ものごとには順序ってもんがある」

「…なんだよいきなり」

「お前が俺に何を求めてるのかはちゃんと分かってるけどな…踏まない手順を飛び越して望む物をくれてやるつもりはねえ。心当たりはあるな?」

「………」

「俺はお前のことに関しては海よりも広い心で接してやってるつもりだ。多少の間違いは水に流してやるし、叱らねえから思ってること正直に言ってみろ」

ガキにでも諭すみてえな物言いだった。憤慨したってよさそうなもんだけど、真面目くさった顔をしてるトラファルガーの眼だけが優しく笑ってる。部屋を満たす甘ったるい沈黙は、あの始まりの夜の息が詰まるような空気とは似ても似つかないものだったが、それでもこれはあのときの続きなんだと俺にもちゃんと分かった。

「…お前が好きだ」

「それから?」

「……遅くなって悪かった」

「よくできました」

じゃあご褒美にデートしてやろう、と頬にキスして囁いたトラファルガーの肩越しに、空っぽの皿と銀のフォークが日の光を弾いてキラキラ光っていた。






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