「先生…先生、起きて」


呼ばれている。
身体を揺すられて、目を開けなければと思うのに、暖かい毛布の感触がそれを拒む。
不明瞭な声を返してもぞもぞとベッドに潜ってしまったローに、キッドは苦笑を漏らして丸まったふかふかの塊を撫でた。
すぐに再び寝息が聞こえてきて、困ったな、と思いながらもそっと毛布の端をめくり、ぐずるローを引っ張り出した。可哀想な気もするが、起きてもらわないと後で大変なのはローの方だ。

「起きろってば先生、学校行かなくていいのかよ」

「…がっこう…?」

「うん、だって月曜じゃん」

「月、曜…っ…!?」

ばちっと音がしそうな勢いでローの目が見開かれる。
「いま何時だ!?」と聞かれ、「六時だけど…先生の出勤時間知らねえから早めに呼んだ」そう返せば、ほっとした声で礼を言われた。

「朝メシ出来てるからな」

「うん……え?ユー…スタス屋…?あれ、俺、いつの間にベッド…」

「昨日、そのまま寝ちまったから」

「きのう、って…ッ…!」

寝起きで上手く働いていなかった頭がようやく回転し始める。
昨日。一言呟いて、ローはさぁっと顔を高潮させ、それからまた急激に血の気が引いていった。今更距離の近さに気付いたのか、肩を抱いていたキッドの手から逃れてずりずりとベッドの上で後ずさる。

「…な、何でまた…あんな、」

「痛くはしなかっただろ」

「そ…いう問題じゃねえだろ!」

「とりあえず支度したほうがいいんじゃねえの?服、着てきたやつクリーニングしておいた」

必死に言い募るローに取り合わず、感情の読めない顔でキッドはクローゼットを指差した。
半信半疑で近寄って扉を開けるが、スーツもシャツもきちんとハンガーに掛かっている。ちらりと見た時計は六時十分を指していた。ここから学校までそう遠くないが、確かにいい加減支度をしなければ間に合わない。だけど、どうして突然。
どれだけ懇願してもローを外に出そうとしなかったキッドの豹変に、安堵よりも困惑が勝っていた。


服を着替え、簡単な朝食を食べている間、キッドはほとんど喋らなかった。
ロー自身もかける言葉が見付からず、その間にも時計の針ばかりが着実に回っていく。気まずいというのもあるが、それ以上に表情が読めなくて何を考えているのか分からない。
何ともいえない居心地の悪さを残しながらも、出かける時間が来たローは席を立ち、ここを出る旨を伝える。
玄関までキッドに見送られ、靴を履き終えると鞄を渡される。キッドが制服を着ていない点を除けば、何もかもがここに来たときのままだった。

「どうかしたか?」

「あ…いや、学校って…こんなあっさり出してくれるって思ってなかったから、」

「さすがにそれじゃあ監禁だろ」

「…って、お前な…!俺にとっては全然大差なかったんだぞ!」

声にこそ棘はあったが、ほっとしていたせいもあって、少なくともこの時は言うほど責めていたわけではない。怒っているというよりむっとした、拗ねた口調になるのが自分でも分かった。
だからまた、いつもみたいに生意気な物言いで受け流されると思っていた。

「………」

「ユ…スタス、屋?」

「…先生、イヤだった?最初から最後まで全部か?」

「…え、…」

いつもみたいに、苦笑交じりに宥められると思っていたのに。
「もう、嫌われちまった?」聞いたこともない声で、痛みを堪えるような顔をしてぎゅっと抱きついてきたキッドに返す言葉が見付からなかった。
当たり前だと、そう吐き捨てたって多分許されるのだ。実際に何度もキッドの振る舞いを詰って逃げ出そうとした。
そんな顔も、そんな悲しそうな声も、したいのはローの方だというのに。

「ごめんな…でも、俺、」

「…なんだよ、それ…っ…」

「センセ、」

「分、かんねえよ…そんなの…!イヤとか、そういう問題じゃ……なん、で、こんなの…どうしたら…っ…!」

ずっと、考えないようにしていたのかもしれない。
驚いたように伸ばされたキッドの手を振り払って、玄関先だというのに爆発したような感情に震えが止まらない。
ここに連れ込まれてからローはくたくたで身も心も磨り減っていて、それを言い訳に考えないようにしていたのに、どうして最後の最後で傷口に爪を立てる真似をするんだろうか。
嫌だという気持ちは確かにあった。男の自分が誰かに力ずくで奪われる日が来るなど、ローには想像の外だった。恥も矜持も取り繕う余地さえなくて、痛くて怖くて堪らなかった。
けれどそれ以上に恐ろしかったのだ。
自分の生徒とこんな風になってしまったという事実に、頭がパンクしそうだった。
強引に事を進めたのはキッドでも、耐えられないほどの罪悪感で一杯になった。

「…先生」

キッドの掌に目許を覆われ、何かを言う間もなく唇が触れ合った。何も見えないのに、反射で固く目を閉じてしまう。「泣くなよ、先生」もう聞き慣れてしまった台詞と繰り返される口付けに、泣いてなんかないと反論したいのに、言葉は端からキッドに飲み込まれていく。

「俺、先生のこと好きだから。先生が俺のことどう思ってても、この先どんだけ冷たくされても、諦めるなんて無理」

それだけ覚えておいてな。
あと、できたら覚悟もしといて。

もう一度、唇の端を触れるだけのキスが掠めていった。
そっと頭を撫でられ、ドアを開く音がして身体が押し出される。
再びローが目を開けたときには既にキッドの姿はなく、閉ざされた扉が無機質に沈黙しているばかりだった。



pH7 melancholy


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