(現パロでありがちファンタジー)




吹き荒れる風の音ばかりがうるさい、真っ黒な夜だった。


「初めまして、ご主人さま」

ダークグレーのスーツに真っ赤な髪の男が、そう言って俺に笑いかけた。
人気のない夜道の闇は重たくて、ひとつ呼吸をするたびに肺を圧迫するみたいだ。古びた街灯は電球が切れかかっているのか、ジジッと心許ない音を立てて明滅を繰り返している。
暗い冷たい真冬のアスファルトの上で、ホストみたいな派手な身なりの男はユースタス・キッドと名乗った。『ゴシュジンサマ』、聞き慣れない名前で俺を呼び、いつの間にか捕まっていた手の甲に唇が落とされる。

「やっと見つけた。気配だけだと探すの大変だったな」

柔らかく細められた瞳まで赤い。
白い手が伸びてきて頭を撫でられる。引き寄せられて額にキスをひとつ。鼻先と、頬にも。会いたかった、と耳元を吐息がくすぐる。冷えたスーツの生地からは煙草と香水の匂いがした。髪を撫で回す手とすり寄せられた頬はあったかい。いつの間にか腰に回されていた腕に力が込められ、そこではじめて自分が抱きしめられていることに気付いた。
誰もいない夜道で、同じ男に。
呆然と固まっていた思考がシャボン玉みたいにパチンと弾け、渾身の力で目の前の胸板を突き飛ばした。みっともなく悲鳴を上げなかった自分を褒めてやりたい。心の中では、痴漢、通り魔、変態、ホモ野郎、その他諸々罵詈雑言の嵐だったけど。
しつこく捕まえようとしてくる腕をかいくぐって鳩尾に思い切り拳を叩き込み、一瞬できた隙を付いて全力疾走でそこから逃げ出した。あの男がぴったり後ろについてきてるような気がしていて、首の後ろがジリジリむず痒いような焦燥に急きたてられていた。明るい大通りと車のテールランプと沢山の人混みの中に飛び込んで、やっと縺れかかった足を止める。道の端で必死に息を整える俺を、通りすがりの幾人かが不思議そうな顔で見ていた。
フッとあの香水と煙草の匂いがして、ぎょっとして辺りを見回したが恐れていた赤い色は見えない。額に浮いた汗を拭って、そこでようやく自分に残った移り香だと気づいた。胸くそ悪いにもほどがある。痴漢じゃなきゃ酔っ払ったホストか何かに決まってる、あんなのさっさと忘れちまうに限るのに。
『おやすみ、ご主人さま。また今度な』
耳の奥には逃げ出す背中に投げられた男の声がこびり付いていた。




「……何でいるの」

「お迎え。この前ちゃんと話せなかっただろ?」

「いや変態にもホストにも知り合いいねえし」

「ひっでえなぁ、まぁ確かにホストだけど。この前はやっと見付かったの嬉しくて仕事途中で抜けてきたんだぜ、あとで怒られたけど…ってどこ行くんだよ」

「職員室。校内に変質者がいますって知らせてくる」

「やめて下さい洒落になんねえ」

見ず知らずだったはずの痴漢がわざわざ会いに来るなんてもっとパニックになっても良さそうだが、案外冷静なものだった。まだ昼間だし周囲に人通りもあるからだろうか。やっぱり夜道っていうのはろくでもない。
だけどいくら冷静だからって、こんな現実を受け入れられるかっていうとまた別な話なわけで。

「何で俺の高校知ってんだよ!」

「だからご主人さまの気配だったら何となく分かるし。それに一回会って匂い覚えたから、探すの随分楽になったな」

「…ごめん、何言ってんのか全然分かんねえ」

「あとはこの前借りておいた生徒手帳で」

「失くしたと思ったらお前の仕業かよ!!」

返せ!と喚くとあっさり差し出された手帳をひったくる。個人情報を何だと思ってるんだこの野郎、携帯じゃなかっただけマシだと思うべきなのか。
臨界間際の不信感と沸騰しそうな怒りを持て余してる俺を見て、ユースタスとか名乗った男は困ったように眉尻を下げた。

「そんなに怒んなよ。別にお前に何かしようって訳じゃなくて、ほんとに会いに来ただけだから」

「…なんで俺のことご主人さまって呼ぶの?いや別に聞きたくねえんだけど、俺にそういう趣味はねえから付き纏うのやめろ」

「何か変なこと考えてる?見掛けによらずやらしいんだな」

「変態に言われたくねえよ!!」

「いきなり納得させるのちょっと難しいんだけどな…お前さ、自分が吸血鬼だって知ってる?」

冬の早い夕日を溶かした赤い瞳が瞬いている。
ぐしゃぐしゃ無遠慮に人の頭を撫で回しながら、世間話でもするような口調だった。

「そういえば俺、忙しいんだった。じゃあな、もう二度と来んなよ。次は通報するから」

「ちょっと待て。信じられねえの分かってるけど、真面目な話だから」

「本当そういうの間に合ってるって言うか、分かった信じたから。じゃあな」

「待てって、何でご主人さまかって説明がまだ、」

「間に合ってるって言ってんだろうが!!」

真顔な分タチが悪い。ただの変態かと思ったら電波だった。いや、あれが面白くない冗談とか、ホストのよく分かんない話術とかそういう可能性もあるけど、だとしてもただの変態に戻るだけだ。男の俺に抱きついて頬擦りしてご主人さま呼ばわりした挙句、生徒手帳パクってストーカー紛いのことまでした罪は消えない。どっちに転んでも危なすぎるっていうか思い出したら普通に気持ち悪い!何を長々と会話までしてるんだ馬鹿か俺は!
追いかけてきたらどうしようと思ったが、早足で立ち去りながら振り返ったら、にこやかに手を振って見送られていっそう腹が立った。




「だから、何でいるんだよ…!」

「会いに来たんだって…タイミング良かったな」

腕を押さえて痛そうに笑ったユースタス屋のスーツは、袖口の飾りボタンが引き千切れて大きく汚れも付いている。運転を誤ったのか、歩道すれすれを高速で掠めた車から俺を庇って自分の腕を引っ掛けやがった。いきなり後ろから引っ張られて崩された体勢と、視界に飛び込んだ真っ赤な髪に、反射的に怒鳴りつけようとした瞬間にすごい音がした。それこそ骨でも砕けたんじゃないかってくらい。なのに何でへらへら笑ってるんだ、馬鹿じゃないのか。

「怪我してねえか?」

「…っ、こっちの台詞だろ!お前の方が腕…!」

「あぁ平気、これくらいすぐ治るから」

「ば…かじゃねえの!?治るわけねえだろ!病院行かねえと、下手したら折れて…」

「半日もあれば充分だって。本当に平気だから」

「……この前も思ったけど頭大丈夫か?」

「はは、ひっでえ。じゃあ大丈夫じゃねえから、医者の代わりにこの前の話の続き聞いて?」

家まで来ていいか訊ねられてものすごく悩んだが、「それか俺の家来てくれてもいいけど」と迫られて結局折れてしまった。連れ込むか、連れ込まれるか、どっちも嫌過ぎるけど後者は論外だ。それに俺を庇っての怪我だと思うと、以前みたいに振り切って逃げるという選択肢はどうしても取れなかった。
「…友達、呼んでいい?」家には誰もいないから、せめて第三者がいてくれれば少しは安全だろうとペンギンに連絡を取ろうとしたが、携帯電話はあっさり取り上げられた。「すぐ帰るから、ちょっとだけ二人きりがいい」こんな台詞を男に言われるなんて、俺の人生どこかで間違えたとしか思えない。ワンルームの自室にまるで似合わない着崩したスーツを眺めていると余計にそう思う。

「…要するに俺はすっっっごく微妙に吸血鬼が混じった人間ってこと?」

「まぁそういうことだな」

「…それって普通の人間となんか違うのか?」

「いや、基本的には同じかな。ちょっと怪我の直りが早かったり、微妙に寿命が長かったり、何となく血が好きだったり、それくらいじゃねえ?吸血衝動まではいかねえはずだけど」

「微妙にとか何となくとかちょっととか、そんなんばっかだな」

「知らなきゃ知らないで済む話だからな」

「…じゃあ何でわざわざ教えるんだよ」

「俺が会いたかったから」

「…答えになってねえし。お前何なんだよ、同じ吸血鬼だって言うのか?」

「違えよ、俺は狼。お前は俺の主人だよ」

「……オオカミ?」

「人狼とか狼男とか言うだろ?ほら、耳も出せるぞ」

淹れてやったコーヒーのマグカップを置き、瞬きひとつの間に真っ赤な髪の中から犬みたいな耳が飛び出ていた。ほんの少し茶色がかった、でもやっぱり赤い毛並みがふわふわ動いてる。恐る恐る手を伸ばして撫でてみると柔らかくてあったかい。ちゃんと生き物の温度だった。

「…へぇ、よくできてるな。本物みてえな触り心地」

「作り物じゃねえんだけど。信じてねえだろ?」

「…こんな話あっさり信じたら、むしろそっちの方が心配だろ」

「まぁ、それもそうだな。でも困ったことがあったら俺を呼べよ、ご主人様が呼んだらちゃんと駆けつけるから」

「どっちかっていうとお前に付き纏われて困ってるんだけど」

「それは諦めろ」

すっかり冷めたコーヒーを飲み干して、ご馳走様、と律儀に礼を言われたときにはもう耳は消えていた。去り際にまた頭を撫でた腕は、ほんの一時間前まで確かに腫れて熱を持っていたはずなのにもう何ともないみたいだった。
バタン、と閉まった扉にしっかり鍵とチェーンを掛けて、そのままずるずる玄関にへたりこんだ。
一気に疲労が押し寄せてきて頭が重い。もう何を不思議に思っていいのかわからない。混乱しすぎて逆に冷静になっている気もするが、どの疑問から手を付けて良いか分からなくなってるだけなんだろう。
あぁ、そういえば尻尾見せてもらうの忘れてた。耳だけであんなにふわふわしてるんだから、きっとすごく良い毛並みのはずなのに。



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