「ごめん、待たせたな」

別に慌てる必要などないのに、少し息を切らせて小走りに寄ってきたローの姿にキッドは口元を緩ませた。重そうな鞄を奪って通いなれた道を歩き出すと、さすがに焦った声で腕を掴まれる。

「ユースタス屋!それくらい自分で持てるからいいって、重いだろ!」

「平気だけど。俺の鞄ほとんど空だし」

軽いリュックを振って見せるとローは呆れた後に教師の顔になって「教科書と課題!」と怒り始めたが、適当に宥めながら駅まで歩く。キッドは定期券を持っていたが、ローは自宅の方向が違うらしく切符を買ってから改札をくぐった。
通勤ラッシュには早かったけれど、キッドたちと同じ学校帰りの学生や、週末のせいか普段よりやや多い人で電車はそれなりに混み合っていた。しかし満員というほどでもない中途半端な混み具合のせいで掴まる場所がなく時々よろけるローを隅に押しやり、鞄を持たせる。人ごみを遮って、自分の身体で囲うように壁を作った。

「…お前な…これぐらい大丈夫なのに」

「いいだろ、俺もこっちの方が安定するし」

しれっと返すキッドに少し不満そうな顔をしながらも、ローは大人しく隅に収まっている。キッドより少しだけ背が低いせいで、背伸びをすればつむじが覗き込めそうだ。
「センセイ、鞄重い?」と聞くと「平気に決まってんだろ!」と憤慨した答えが返ってきて可笑しくなった。そろそろ一つ目の駅に着く頃だろうか。「鞄、しっかり持っててな」と囁いて、向かい合っていたローの身体を反転させて後ろから抱え込んだ。「え…なに、ユースタス屋?」と戸惑った声でローが振り向くのと、電車がホームに滑り込むのは同時だった。
人が乗り込んできてさっきよりまた少し混んだ電車の隅で、ローの腰をしっかり抑えながら首筋にちゅ、と口付けを落とす。
ビクンと身を震わせて咄嗟に声を上げそうになったローは寸前でここが何処かを思い出したらしく、何ふざけてるんだ、と小声で叱責してキッドを睨みつけるにとどまった。

「ふざけてる訳じゃねえんだけど。先生、ここ人がいっぱいだからイイコにしててな?」

耳元に吹き込んでそのまま耳朶を舐め上げると、ローの口から小さいが上擦った声が上がった。慌てて唇を噛み締めて周囲を窺うが、乗客に気付かれた様子はない。思わず安堵の息をついて油断を見せたローは、次の瞬間目を見開いて硬直した。
片手で腰をしっかり拘束したまま、キッドのもう片方の手がローの股間を撫で上げた。当然萎えているそこの形を確かめるように幾度かなぞり、器用にボタンを外してジッパーを下げる。
あまりのことに固まっていたローが我に返ってキッドの腕を掴んだのと、キッドが下着の中に手を差し入れたのはほぼ同時だった。やんわりと性器を握りこまれ、指先で先端を捏ねるように弄られる。狭い下着の中での性急ともいえる動きに思わず膝から力が抜けたが、キッドに身体を支えられているおかげで崩れ落ちることはなかった。

「やめっ…なにして、ユ、スタス屋…!」

「声出したら気付かれちまうぞ?」

大丈夫だから、とまた首筋に吸い付かれて、なにが大丈夫なのだと反論も出来ずにローは震える膝を叱咤するのに精一杯だった。助けを求めればいいのか、声を殺して耐えるべきなのか、どうすればいいのか分からない。性器を弄るキッドの手付きはひどく的確で、こんな状況なのに思考がぐずぐずと崩れていく。「濡れてきた…気持ち良いの?センセイ」笑いを含んだ声に、混乱が極まって涙が滲む。

「や、めろって…!何のつもりだよ…!」

「だって先生が可愛いから」

「な、に言って…、ぁ…っ…!」

ぐち、と尿道をこじ開けるように爪で抉られて、今度こそローの口からやや高い声が漏れた。近くにいた乗客が訝しげな顔をしたが、「ほら先生、危ないからしっかり掴まって」というキッドの言葉で何事もなかったように興味を失った。おおかた電車の揺れにバランスを崩したと思ったのだろう。
こんなところで。ローは喘ぎを噛み殺しながら、必死に混乱した頭を回転させる。
こんなところで男が男に、しかも教師が生徒に痴漢されているなどと知れたら。外聞が悪いなんてものじゃない。下手したらとんでもない噂が駆け巡るだろう。
立っていられなくなったらしいローが俯いて震えながら腕に縋りつくのを見て、キッドは口元を吊り上げた。結局耐えてこの場をやり過ごすことに決めたらしい。賢いとも馬鹿だとも思った。
もっとも、ローがここでキッドを糾弾するなどとは微塵も思っていなかったのだが。生真面目でお堅いローの取る選択など見越していたのだ。

「なぁ先生、辛そうだけど、ここで出したい?」

「…う、そだろ…やだ、駄目だ…!」

「まぁ、さすがにバレるよな。じゃあ我慢して。そろそろ着くし」

我慢しろと言いながらも、キッドの手は止まる気配を見せない。執拗に弄られ、足だけでなく腰までもガクガクと震えだしたローは絶頂が近いのだろう。真っ赤に上気した顔を必死に俯かせて、破れそうなほど唇を噛み締めているのが見えた。キッドの腕を押さえている片手にはまるで力が入っておらず、もう片手で持っているはずの鞄を落としていないのが奇跡だった。

「あ、着いた。この駅」

今にも達する寸前、場違いに暢気なキッドの声と唐突に下着から引き抜かれた手に、白く霞んだ意識が悲鳴を上げた。もう少し、もう少しだったのに。はしたない欲求が渦を巻く。
呆然と中空を見つめて荒い息をついていたローは、元通りにボタンを留められ、ジッパーを引き上げられる感覚にハッと我に返った。

「ユー…スタ、」

「そんな顔すんなよ。嫌がってたんじゃねえの?」

肩を支えられるようにして電車を降り、エスカレーターで上る間も、少しの刺激でどうにかなってしまいそうな身体にローは今にも泣き出しそうだった。満足に歩くこともできず、キッドの手を借りてただひたすらにこの場から逃れたい一心で前に進む。こんな状況に追いやったキッドを恨む余裕もなかった。

「大丈夫、先生?」

「…ッ……」

「そんなわけねえか、もう少しだけ我慢な」

先生こっち、と促されて顔を上げるといつの間にか駅のトイレに来ていた。幸いなことに利用客は誰もいない。
個室のひとつに押し込まれ、ガチャリと鍵を掛ける音を聞いてローはついにその場に崩れ落ちた。膝を付く寸前でキッドに脇を抱え上げられ、蓋をした便器の上に乗せられる。
「よく頑張ったなー、先生えらいえらい」かすかに笑いを含んだ声でそんなことを言われ、額に口付けられても反論のひとつもできなかった。身体が熱くて堪らない。性器が下着に押さえつけられているのを意識しただけでも爆発しそうになっているのに。
断りも遠慮もなく、再び服を乱して取り出した性器を擦り上げる掌にしゃくり上げるような声が漏れた。待ちわびた刺激が気持ちがいいのと、振りほどいて逃げ出したいという思いがごちゃ混ぜになって脳を溶かしていく。
もう我慢しなくていいぜ、とひときわ強く先端を抉られ、頭の中はぐちゃぐちゃなのにすでに限界を超えていたローの身体はあっけなく射精を迎えた。か細く掠れた悲鳴が食いしばった歯の間から漏れ、今このトイレに誰も入ってこないことをひたすらに祈った。

「…――ッ!…ハァッ、あ…ふ、ぁ…ッ…」

「いっぱい出たな、興奮してたもんな」

耳元で鳴っているかのようなうるさい心臓の音を聞きながら、べったりと掌を汚した白濁を舐めるキッドを止めることもできず、ローは壊れそうな肺で懸命に酸素を取り込んでいた。
状況を整理しようとする理性と裏腹に、頭はこの現実を拒もうとする。
キッドが何をしたいのかまるで分からない。
口やかましく叱ったことへの腹いせなのだろうか。だけどキッドとの関係は決して悪くないと思っていたのだ。なんとなくだが、キッドには懐かれていると感じていた。ロー自身も問題児に手を焼きながらも、自分にだけ時折見せる素直さにかわいい生徒だと思っていた。
キッドが自分にこんな嫌がらせをするなんて夢にも思っていなかったのに。どうして。

「…っ…なん、で…?ユースタス、屋…」

「泣くなよ、センセ」

もっと苛めたくなる、と目許にキスをされて、今度こそローの瞳から大粒の涙が零れた。




「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -