昼は軽く済ませたから、夕食はちゃんとしたものを。確かにそう言ってはいたが、いくらなんでも多すぎるんじゃねえか。
オムライスをメインに鮭のムニエルとオニオンスープ、それに加えてツナサラダと何故か肉じゃがに揚げ出し豆腐、ほうれん草の和え物までが食卓に並んでいる。よく言えば和洋折衷、平たく言えば思いつくままに作ったようにしか見えない。
ちょっと頑張ってみた、と胸を張るトラファルガーはどうやら料理は得意なようだった。

「もうこんな時間か。待たせたな、腹減っただろ」

ペットボトルから烏龍茶を注ぎながら、行儀悪く足で椅子を引いて座るよう促してくる。
昼もそうだったが、トラファルガーは俺に床で食えなどとは言わなかった。テーブルには二人分の食器がきちんと用意され、盛られた料理が湯気を立てている。誰かと食卓を共にするのはひどく久しぶりのことで奇妙にすら感じた。今まで飼い主と同じテーブルにつくなど有り得なかったし、ヒューマンショップでの扱いも似たり寄ったりだ。
とろけた卵が乗ったオムライスにスプーンを入れる。今度は毒見まがいの真似はしないと決めていた。
トラファルガーは少し心配そうに「別にムカつくとか思わねえから無理しなくていいぞ」と言っていたが、いつまでもそんな怯えたような情けない姿を晒すのは癪だった。それにトラファルガーだって、やっぱりいい気持ちはしないだろう。
けれど案の定というのか、一口目のオムライスを飲み込んで二匙目を掬うとき、大丈夫だと自分に言い聞かせても手が震えて止まらなくなった。
精神的なものというのは厄介だ。大丈夫だと言ってるのに頭の中で喚き続けるぶっ壊れたアラームを無視して口に物を入れた途端に、条件反射で吐き気が込み上げてくる。
やばい、と咄嗟に口元を押さえたが、過去に二度も死ぬほど痛ぇ思いをした経験が俺自身の行為を非難して、軽いパニックに襲われた。取り落としたスプーンが皿にぶつかって、ガチャンとでかい音が響く。

「ユースタス屋、」

「…っ、う……」

「馬鹿、無理すんなって言っただろ…いいから吐き出しちまえ、ほら」

「……へい、きだ」

申し訳程度に数度咀嚼したオムライスをどうにか飲み込む。たったそれだけの行為に、額に冷や汗がびっしり浮いた。無理やりにでも食べてしまえば落ち着くと思ったのに、心臓が馬鹿みてえに暴れていて収まらない。「ユースタス屋」、心配そうな声にますます焦燥が募る。
こんなみっともねえ姿。せっかくメシ作ってくれたのに、早くなんでもねえって顔しないと。呆れられて蹴り落とされる前に、早く。
焦る気持ちとは裏腹に椅子から崩れ落ちそうになった身体が、いつの間にかすぐ側に来ていたトラファルガーに抱きとめられた。

「ごめん、無理させたの俺だな。頑張ってくれてありがとな、ユースタス屋」

頭を抱え込まれ、掌が落ち着かせるようにゆっくりと髪や背中を往復する。
額に浮いた汗を袖で拭われて、思いがけないくらい間近にある蒼い瞳に一瞬だけ苦しいのを忘れた。


ここに来るまでこんなまともな扱い、想像もしていなかった。
突然押し付けられた俺をトラファルガーは犬としてここに置いているんだろうし、そんな前提は今更すぎて噛み付く気にもならない。売り物にならねえと判断された時点で殺されないだけマシだった。競り落とした野郎が俺を手放そうが、根本的には何も変わっちゃいない。飼い主がトラファルガー・ローという男になった、それだけのことだ。
幸か不幸か、この上まだ甘ったるい期待を持てるほど俺の頭はめでたく出来ちゃいなかった。それなりの期間飼われていれば、こういった連中の考えそうなことは嫌でも分かってくるもんだ。
新しい飼い主がどういった趣味嗜好かは知らねえが、まずは俺に話しかけて口を開かせようとするんだろう。油断を誘うような薄気味悪い猫撫で声で、この後に叩き込むつもりの仕打ちとギャップがあればあるほどいい。一言でも何か喋れば、嬉々として横っ面を殴り飛ばして罵倒するのが挨拶みてえなもんだった。犬のくせにだの、立場が分かってねえだの。誰が素直にワンなんて啼くか、まとめてくたばれ変態どもが。
トラファルガーに名前を聞かれたとき、次に来るのは「たった今からそれを捨てろ」という類のセリフだと思っていた。犬には似合わねえと嘲笑われて、適当に思いついた名前でも首輪に彫られるんだろうと。だから機嫌を損ねて殴られるのを覚悟でだんまりを決め込んだ。今にこいつも澄ましたツラ歪めて、生意気だと怒り出すに違いねえ。踏みつけられたら下から見上げて鼻で笑い飛ばしてやる。
逃げられねえのは分かってるし、痛ぇのが好きな訳でもなかったが、膝を折って従順になるなんざ死んでもごめんだった。
そう思っていたのに、こいつときたら。


「ん、落ち着いたか…?キツいならもうやめとくか?作り過ぎてどうせ食い切れなさそうだし、明日にでも温め直すから」

「…平気、食える。お前のメシうまいし」

半分強がりで半分本気だったが、どうにも自分で思うより疲弊していたようで、時間を掛けても食いかけのオムライスとサラダを胃袋に収めるのがやっとだった。
トラファルガーはとっくに自分の椅子に戻って素知らぬ顔をしていたが、時々心配そうに俺の様子を窺っている。最後の一口を飲み込んでスプーンを置くと、海みてえな色の眼が細められる。ふいに腕が伸ばされて、驚きとも緊張ともつかないものが走ったが、ティッシュペーパーを一枚とって口元の汚れを拭われただけだった。
俺も大概どうかしてる。
触られるのが大嫌いだったはずなのに、また撫でられるのかとほんの一瞬だけ期待した。




「ユースタス屋、紅茶淹れるけど飲むか?コーヒーもあるけど」

「お前と一緒のでいい」

ショッピングセンターで買ってきたばかりのマグカップにたっぷりの紅茶が目の前に置かれた。
トラファルガーは元々この部屋にあった白熊のマグに口をつけている。シンプルな熊の顔が描かれ、鼻と耳が出っ張った立体的なものだ。ソファに沈んでテレビのチャンネルをくるくる切り替え、適当な映画に合わせてリモコンとマグを置いた。

「腕、ガーゼ替えてやるから出せよ」

昨晩、車が事故を起こしたときに左腕に切り傷を負っていた。
俺の手を掴んで、テーブルに置いてあった救急箱から消毒液と脱脂綿を引っ張り出す。テープをそっと剥がされて、引っ張られた皮膚が治りきっていない傷をぴりぴりと痛ませた。
まだ生々しい傷口をトラファルガーはまじまじ眺めたが、それ自体はそう深いものでもない。剥がしたガーゼにも多少血が滲んでいるくらいで、しばらくすればキレイに塞がるだろう。

「連れはそこそこ重症だったんだろ。お前は他に怪我は?検査とかしなくて大丈夫なのか?」

「平気だ。何処もぶつけてないし、ガラスで切っただけだから」

「へぇ、そんな事もあるんだな。良かったな」

「…別に、わりといつもこうだ」

「いつも?」

簡単に手当てを終えて、救急箱を片付けながらトラファルガーが不思議そうな顔をする。「いつもって、お前そんな頻繁に事故ってんの?」きっと他意などないそれはあながち的外れでもなくて、咄嗟に言葉が出てこなかった。
頻繁なのは確かだが、ひっくるめて単純に事故と呼んでいいものか、俺はいまだに分かりかねている。

「…俺を手元に置くと、不幸を呼ぶらしい」

救急箱を仕舞いこんだクローゼットの扉がバタンと音を立てる。
クローゼットに手を掛けたまま、トラファルガーは少しの間黙っていた。知らなかったわけでもないだろうに、どこか困惑したような顔をしている。

「なんかそんなこと言ってたな…ドフラミンゴはまるで信じてねえみたいだったけど」

「でも多分本当のことだ」

「そうなのか?」

「…よく分かんねえ、けど…多分」

どっちだよ、そう言っておかしそうに笑われた。
きっと突拍子もない話で、真面目に受け取っていないだけなんだろう。それでも多かれ少なかれ嫌悪されることを覚悟していたから、返ってきた屈託のない声に、知らず知らず固まっていた肩の力が抜けていく。
いい子にしてればしばらく置いてやる。
昼間、トラファルガーは毛玉野郎にそう言っていた。

「…トラファルガー、今更かもしれねえけど…」

「なんだ?」

「俺のこと、飼うのか?」

夜が更けたせいか、少し眠たそうだった眼が大きく見開かれた。正面から俺の顔を覗きこんで、ぱちんと音がしそうな瞬きをひとつ。
「お前は?」返された質問の意味が分からなくて首を傾げると、トラファルガーが少し困ったような表情になる。その顔を見て、聞き方を間違ったんじゃないかと焦りが込み上げた。
そもそもトラファルガーは自分から俺を欲しがったわけじゃない。優しくしてくれるのもほんの気紛れで、本当は迷惑に思っているのかもしれない。

「飼うって言い方はアレだし…俺がどうって言うより、ドフラミンゴが今後どうするつもりかによるんだろうけどな…お前はどうしたい?ここは嫌か?」

「…違ぇよ、イヤとかそんなんじゃねえ」

「ん…事情はあんま知らねえけど、また妙なのに売られるくらいならここに居た方がマシだと思うぞ。お前の好きにしていいよ。さすがに勝手に逃がすのは駄目だろうけどなぁ」

そう言ってトラファルガーは、やっぱり少し困った顔のまま頭を撫でてくれた。
ずっとここに居られるとは思っていない。
好きにしていいとは言われても、トラファルガーが飽きたらそこで終わりだろう。或いは、ろくでもないことばかり引き起こす俺に嫌気が差すのが先かもしれない。今までだってそうだった。本当は一度買われたら、主人なんざそうそう変わるもんじゃねえ。使い物にならなくなるまで遊ばれるか、運が良ければ正気のうちに飽きてほったらかしにされるか。三度も放り出され、ヒューマンショップでも腫れ物に触るみてえに避けられ疎まれた俺はどう考えてもまともじゃなかった。
それでもなるべくなら、トラファルガーの気が変わらなければいいと思った。




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